〜Midnight Eden〜 episode2.【蛍狩】
 厨房から聴こえる調理の音、温もりのある柔らかな照明と艶々とした飴色のテーブル、トマトソースの残り香が店全体に漂う。オーナーシェフ以外はシェフも厨房でランチタイムを過ごしていた。

 ムゲットの空気に触れていると、ふいに思い出す男がいる。卯月の雨の夜、ちょうど彼はこの席に座っていた。

「初めて私がここに来た時に相席させてもらった男の人、覚えてますか?」
「美夜ちゃんが初めて来た時の……ああ、木崎さんね」
「よくお店に来られるんですか?」
「去年ここに店を出した時から、月に数回ふらっと来てくれるの。不思議な雰囲気の人よね。あのセンスの良いスーツは絶対オーダーメイドだよ」

スーツのセンスについてはわからないが、捜査一課の同僚刑事よりは木崎という男の身なりは洗練されていると思う。スーツがオーダーメイドなら、それなりに高収入の仕事かもしれない。

「木崎さんはいつもおひとりなの。あそこまで美形だと女が放っておかないと思うから、そのうち恋人を連れて来てくれないかって、ちょっと期待してるんだよね」

 園美から見れば木崎は美形の部類に入るようだ。人の容姿に関心がない美夜には、わからない感覚である。

自分から木崎の話題を振ったくせに、これ以上は彼の話題を続けたくないのは何故だろう。話が色恋の方面に傾き始めたせいか。

「個人的なことをお尋ねしてしまうんですが……」
「美夜ちゃんにならなんでも答えちゃうよ」
「園美さんと白石シェフはどうやって知り合ったんですか?」

 唐突に話題を変えても園美は嫌な顔をしなかった。それどころかわずかに頬が赤く染まっている。
美夜よりも幾らか年上の彼女は、いつまでも無邪気な少女の部分を持ち合わせた可愛い人だ。

「雪斗のご両親が表参道でイタリアンのお店をやっているの。まだまだ現役だよ。表参道の〈ルナ〉ってお店。雪斗がそこでウェイターをしていてね」
『園美が友達とうちの店に来たんだよな』

オーダーした魚介のペスカトーレが園美の夫、白石雪斗の手で運ばれた。美夜と園美の隣の席には雪斗のまかないのパスタが並ぶ。

「その時、化粧室にピアスを落としちゃって、お店を出た後にピアスがないことに気付いたんだ」
「お店に取りに戻ったんですか?」
「その日はピアスは諦めた。でも家に帰ってお気に入りのピアスと一緒に思い出すのが、接客してくれたウェイターの雪斗だったの。あの人にもう一度会いたいなって、思った時にはもう雪斗が気になっていたんだね」
『だんだん恥ずかしい話になってきたな。勘弁してくれ……』

雪斗は園美の昔話に相づちを打つだけ。彼の耳が赤いのは照れている証だろう。
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