お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
冷え切った夕食をレンジで温めながら、離婚へ至った自分を思い返していると、ピーっという電子音が鳴り最後のおかずの温めが終わる。
守頭の分と、冷蔵庫から出した作り置きの分――自分の分――を盆に載せ、ダイニングテーブルに運ぶと、不可解と困惑をないまぜにした表情で守頭が沙織を見つめてきた。
ああ、この人はこういう表情もできるのだと、今更に新鮮な思いで見詰め返していると、座りなさいと促された。
離婚して出て行くはずだったのに変だな。と思いつついただきますを言い、輪島の塗り箸を取りあげれば、守頭も同じように沙織と対の夫婦箸を取り上げ、その長い指で器用にあやつり夕食を摂りだす。
こうして守頭と食卓を囲むのは何度目だろうか。五度は数えていないはずだ。
味噌汁で喉を潤し、中に入っていた豆腐をつつきつつ沙織は思う。
(やっぱり変ですね。離婚する日になって一緒に夕餉を摂るのは)
これは最後の晩餐というやつだろうか。いや、それは死ぬ前の食事の事だから、離婚前食事が正しいだろうか?
らちもないことを考えつつテーブルを見やる。
豆腐とわかめの味噌汁に、ぶりの煮付け、ほうれん草のおひたしにだし巻き卵、炒り豆腐と里芋の塩煮――少し醤油味が多すぎたかもしれない。
関西の沙織がつくったものが、関東、いや外国暮らしが長かったという守頭の口にどれほど合うかわからないが、黙々と箸を進めている様子から、食べられない訳でもなさそうだ。
とはいえ、味が偏っているのはいただけない。次に作る機会があれば味噌ぬたなどを入れてもいいかもしれない。
もっとも、その相手が守頭だとは限らないが、料理のレパートリーは多くても困らないだろう。
そんなことを考えつつ、黙って箸を進めていると、ふと、といった調子で、料理をつついていた守頭の箸が止まる。
「それで、どうして離婚なんだ」
「どうして離婚しないのか、とお聞きしたいぐらいなのですが」
質問を質問で返す。思えば守頭との会話は、最初の時からこんな風だった。
「離婚する必要がないだろう。君と私が結婚してまだ一年足らずだというのに」
「夫婦らしいことはなにもしていないのに?」
言った途端、思い当たる節があったのか守頭の箸が宙に浮いたまま止まる。
(というか、思い当たる節が一つぐらいあってもらわないと困りますが)
なにせ、一緒に寝ないどころか家で顔を合わせることもめったにない。夫婦として出かけることはもちろん、あってしかるべき夫婦の行為もない。
気配や残り香があるから、家に戻ってきてはいるのだろうなと感じるだけで、これなら幽霊と結婚しているのと変わらない。
経緯はどうあれ結婚したのだ。
変なところで真面目かつ古風な沙織は、夫婦となったからには互いにいい関係を作ろうと決意していた。
だが、相手を知り、会話で打ち解け、互いにとって心地いい関係をつくろうにも、相手がいない、あるいはいても顔を合わせないのではどうしようもない。
「それは……すまなかった。だが」
「謝って欲しいわけではありませんのでおかまいなく。旦那様が多忙なのは秘書の方からも聞いておりますし、見ていてもわかります」
理解ある妻の言葉だが、実際は理解しているというより諦めているというのが正しい。
一年、この状態で捨て置かれていたのだ。今更謝罪されても困る。
「いや、だが、しかし……」
常に理路整然かつ業務的であった彼にしては珍しく言葉を濁らせ、それからなぜか言いづらそうに口を開いた。
「夫婦としての時間が必要なら必要だと、どうして言わなかったんだ? それに君は、俺と夫婦であることを恥ているんじゃないのか」
守頭が俺と言ったことはもちろん、予想もしなかった問いに目を瞬かす。
夫婦の時間が必要なのは言わずとしれたこと、常識だと思っていたが違うのだろうか。いや、それより、守頭と夫婦であることを恥じているとはどういうことだ。
「恥じるもなにも、夫婦として旦那様と出かけたことはありませんし。どう思うかは今の段階では判断できかねますが」
どこか会話が食い違っている気がしつつも、できるだけ飾らず、自分の考えを述べながら沙織は里芋の塩煮に箸を伸ばす。
「……出かけたかったのか? いや、そんな風には」
「私は逆に、旦那様こそ、私と出かけたくないのだと思っておりましたが」
なにせパーティーや音楽会の招待状が届いても、「社長はお一人で参加されますので」と秘書から伝えられるばかりだ。
同伴者がいる催しについても、返事は変わりないのだから、適当な女性を誘って参加しているのだろう。
手短にそう伝えると、守頭は見てわかるほどはっきりと眉に皺を寄せ、なにごとか考えていたが、すぐ頭を振って謝罪した。
「申し訳ない。どこかで行き違いが発生していたようだ。が、俺に君を阻害しようという意志はない。望むなら今後は一緒に出かけるということで問題ないか」
また〝俺〟と言った。ひょっとしたら、私といっているときは理性が勝っていて、感情的になると俺となるのかもしれない。
離婚する時になって、夫たる人の素を見せられるとは皮肉なものだな、とぼんやり考えつつ、沙織は頭を振った。
「今後はありません。先ほどもお伝えしたとおり、本日をもって人妻を終了させていただきたく」
守頭の箸に品良くつままれていた里芋がぽとりと落ちる。それから大きく溜息をついて天井を見て、また沙織の方を向く。
「……先ほどから思ったのだが、その〝人妻終了〟という言い方はなにか意味があるのか?」
「離婚と申しますと、少々刺激的かと」
なんとなく外聞も悪いし、人を傷つけるような感じがして言いづらい。なので少しマイルドに〝人妻終了〟と伝えたのだが、どうやら一般的ではないようだ。
守頭はついに箸を置き、人差し指でこめかみを押さえつつ呻く。
「で、どうして離婚したいんだ。好きな男でもできたのか」
「いえ、そういうことは」
そもそもお稽古事と家の往復だけで一日が終わってしまうのだ。異性と出会う機会などまるでないし、恋愛にさして興味もないため自分からどうにかしようとも思わない。
強いて言えば学生時代の同級生などが友人としているが、誰もが恋愛対象外なため考えたこともなかった。
「じゃあどうして」
「……意味がないから、でしょうか?」
守頭の分と、冷蔵庫から出した作り置きの分――自分の分――を盆に載せ、ダイニングテーブルに運ぶと、不可解と困惑をないまぜにした表情で守頭が沙織を見つめてきた。
ああ、この人はこういう表情もできるのだと、今更に新鮮な思いで見詰め返していると、座りなさいと促された。
離婚して出て行くはずだったのに変だな。と思いつついただきますを言い、輪島の塗り箸を取りあげれば、守頭も同じように沙織と対の夫婦箸を取り上げ、その長い指で器用にあやつり夕食を摂りだす。
こうして守頭と食卓を囲むのは何度目だろうか。五度は数えていないはずだ。
味噌汁で喉を潤し、中に入っていた豆腐をつつきつつ沙織は思う。
(やっぱり変ですね。離婚する日になって一緒に夕餉を摂るのは)
これは最後の晩餐というやつだろうか。いや、それは死ぬ前の食事の事だから、離婚前食事が正しいだろうか?
らちもないことを考えつつテーブルを見やる。
豆腐とわかめの味噌汁に、ぶりの煮付け、ほうれん草のおひたしにだし巻き卵、炒り豆腐と里芋の塩煮――少し醤油味が多すぎたかもしれない。
関西の沙織がつくったものが、関東、いや外国暮らしが長かったという守頭の口にどれほど合うかわからないが、黙々と箸を進めている様子から、食べられない訳でもなさそうだ。
とはいえ、味が偏っているのはいただけない。次に作る機会があれば味噌ぬたなどを入れてもいいかもしれない。
もっとも、その相手が守頭だとは限らないが、料理のレパートリーは多くても困らないだろう。
そんなことを考えつつ、黙って箸を進めていると、ふと、といった調子で、料理をつついていた守頭の箸が止まる。
「それで、どうして離婚なんだ」
「どうして離婚しないのか、とお聞きしたいぐらいなのですが」
質問を質問で返す。思えば守頭との会話は、最初の時からこんな風だった。
「離婚する必要がないだろう。君と私が結婚してまだ一年足らずだというのに」
「夫婦らしいことはなにもしていないのに?」
言った途端、思い当たる節があったのか守頭の箸が宙に浮いたまま止まる。
(というか、思い当たる節が一つぐらいあってもらわないと困りますが)
なにせ、一緒に寝ないどころか家で顔を合わせることもめったにない。夫婦として出かけることはもちろん、あってしかるべき夫婦の行為もない。
気配や残り香があるから、家に戻ってきてはいるのだろうなと感じるだけで、これなら幽霊と結婚しているのと変わらない。
経緯はどうあれ結婚したのだ。
変なところで真面目かつ古風な沙織は、夫婦となったからには互いにいい関係を作ろうと決意していた。
だが、相手を知り、会話で打ち解け、互いにとって心地いい関係をつくろうにも、相手がいない、あるいはいても顔を合わせないのではどうしようもない。
「それは……すまなかった。だが」
「謝って欲しいわけではありませんのでおかまいなく。旦那様が多忙なのは秘書の方からも聞いておりますし、見ていてもわかります」
理解ある妻の言葉だが、実際は理解しているというより諦めているというのが正しい。
一年、この状態で捨て置かれていたのだ。今更謝罪されても困る。
「いや、だが、しかし……」
常に理路整然かつ業務的であった彼にしては珍しく言葉を濁らせ、それからなぜか言いづらそうに口を開いた。
「夫婦としての時間が必要なら必要だと、どうして言わなかったんだ? それに君は、俺と夫婦であることを恥ているんじゃないのか」
守頭が俺と言ったことはもちろん、予想もしなかった問いに目を瞬かす。
夫婦の時間が必要なのは言わずとしれたこと、常識だと思っていたが違うのだろうか。いや、それより、守頭と夫婦であることを恥じているとはどういうことだ。
「恥じるもなにも、夫婦として旦那様と出かけたことはありませんし。どう思うかは今の段階では判断できかねますが」
どこか会話が食い違っている気がしつつも、できるだけ飾らず、自分の考えを述べながら沙織は里芋の塩煮に箸を伸ばす。
「……出かけたかったのか? いや、そんな風には」
「私は逆に、旦那様こそ、私と出かけたくないのだと思っておりましたが」
なにせパーティーや音楽会の招待状が届いても、「社長はお一人で参加されますので」と秘書から伝えられるばかりだ。
同伴者がいる催しについても、返事は変わりないのだから、適当な女性を誘って参加しているのだろう。
手短にそう伝えると、守頭は見てわかるほどはっきりと眉に皺を寄せ、なにごとか考えていたが、すぐ頭を振って謝罪した。
「申し訳ない。どこかで行き違いが発生していたようだ。が、俺に君を阻害しようという意志はない。望むなら今後は一緒に出かけるということで問題ないか」
また〝俺〟と言った。ひょっとしたら、私といっているときは理性が勝っていて、感情的になると俺となるのかもしれない。
離婚する時になって、夫たる人の素を見せられるとは皮肉なものだな、とぼんやり考えつつ、沙織は頭を振った。
「今後はありません。先ほどもお伝えしたとおり、本日をもって人妻を終了させていただきたく」
守頭の箸に品良くつままれていた里芋がぽとりと落ちる。それから大きく溜息をついて天井を見て、また沙織の方を向く。
「……先ほどから思ったのだが、その〝人妻終了〟という言い方はなにか意味があるのか?」
「離婚と申しますと、少々刺激的かと」
なんとなく外聞も悪いし、人を傷つけるような感じがして言いづらい。なので少しマイルドに〝人妻終了〟と伝えたのだが、どうやら一般的ではないようだ。
守頭はついに箸を置き、人差し指でこめかみを押さえつつ呻く。
「で、どうして離婚したいんだ。好きな男でもできたのか」
「いえ、そういうことは」
そもそもお稽古事と家の往復だけで一日が終わってしまうのだ。異性と出会う機会などまるでないし、恋愛にさして興味もないため自分からどうにかしようとも思わない。
強いて言えば学生時代の同級生などが友人としているが、誰もが恋愛対象外なため考えたこともなかった。
「じゃあどうして」
「……意味がないから、でしょうか?」