お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
 父の監視下で箱入り娘だった頃とかわらない日々、それも知り合いなどほとんどいない、会いにいくにもどうしたらいいかわからないまま、その上、夫たる守頭とはほとんど顔を合わせず、会話たる会話もない。
 これでは、娘時代と変わらず箱入り、いや、籠の鳥と同じだ。

 自由になりたくて結婚を承諾したのに、外出するにもいちいち秘書を通さなければならない上、運転手という監視付きでは行く気も失せてしまう。

「これなら一人で生きていくほうがましなのではと思い立ちまして」
「一人でと言ったって、仕事や住むところはどうするつもりだ」

 いよいよ頭痛が酷くなってきたのか、心持ち顔色を悪くしながら守頭が問う。

「そうですね、一先ずはマンスリーマンションを借りて、新居と仕事を探そうかと。あ、守頭様からいただいたクレジットカードと部屋の鍵は、離婚届と一緒にそちらの封筒へ入れさせていただいてますのでご安心を」

 いくらなんでも、離婚した夫のカードで家を借りたり家具を買ったりは違うだろう。箱入りの沙織にもその程度の分別も矜持もある。
 が、守頭は、実に嫌そうに食卓の箸においてあった白封筒を指で摘まみ、すぐに元のように置いた上、勝手に動き出すとでもいいたげに手でしっかり押さえてしまう。

「誰か援助する男でもいるのか」
「いえ、先日、知人の用事をこなした御礼とかで、多少の用立てるものをいただきましたので、そちらで」

 学生時代に親しくしていた同級生から、ちょっとした書類作成を頼まれ、その御礼に二百万ほど収入があったので、当座は困らないはずだ。

「用事だって、それは……いや、それより。私には離婚する気はない」

 きっぱりといい、一呼吸置いて守頭は続けた。

「大体、あまりにも急すぎる。事前に相談するとかしてもよかっただろう」
「今度いつ顔を合わせるかわかりませんでしたし、事前に相談したとして、離婚していただけましたか?」

 むっ、と守頭が唸ったのを幸いに、沙織は少しだけ意地悪な気持ちになって、とどめの言葉を放つ。

「急と仰いますが、旦那様との結婚も急でした。なら、私が相談なく急に離婚を申し出るのは、対等といいますか、やむなきことでは?」

 伝えた途端、守頭の顔から表情が消え目が左右に泳ぐ。

 そうだろう。結婚が相談なしの不意打ちなら、離婚だって同じでいいという沙織の主張は間違ってないはずだ。

 二人の間に、なんとも言い難い沈黙が漂う中、沙織は我慢できず、ふわ、と小さくあくびを漏らす。
 離婚を決めてから一週間、当座の家を決めたり、住むところの目当てをきめたりと寝不足な上、今日は『立つ鳥跡を濁さず』の気合いで家中を磨き上げるため、かつ、沙織が不在でも守頭がこまらないよう大量の作り置きをするために、超早起きしていたのだ。
 しかも現在の時間は午後十時と、通常なら沙織はベッドに入って本を読み、うつらうつらとしている時間だ。そのため睡魔が襲ってきていた。

 それでも話合いの最中だしと、がんばって頭を働かす。

「あの、ひょっとして相談していたら、離婚を受け入れてくださいましたか?」
「絶対にない」

 間髪いれず否定され驚く。なにをそんなにこだわるのだろう。いてもいなくても変わらない妻なら、手放したとしても惜しくないだろうに。

 それに、沙織がいなくなれば好きな女性と暮らせるかもしれないではないか。
 次第に回転が鈍くなっていく頭で、ここ最近あったことを思い出す。
 ――社長も、仕方ないこととはいえどうしてこのような結婚をされたのだか。
 そう言われ、なるほど、秘書と守頭はそういう関係なのかと思ったが。

 違ったのだろうか。

 いずれにせよ、離婚する沙織にはもう関係がない。お飾りの妻などで一生を終えるなど沢山だ。

「そもそも、私と君の結婚は普通の結婚ではない。仮に君と離婚するとして、君の実家である御所頭家に融資した一億についてはどうするつもりだ」

 あら、旦那様の一人称が俺から私に戻っている。
 眠気で霞みがちになる頭のなかで一人ごちる。

 沙織と話すうちに冷静さを取り戻したのか、あるいは条件の話になったため守頭がビジネスモードに思考を切り替えたのか。
 どちらにしても、今日中に話に決着がつきそうにない。

(それに、一億の件もありましたね。すっかり忘れていました)

 実家へ融資された一億の件がある以上、沙織と守頭の離婚は紙切れ一枚で終わらせられない。
 慰謝料は発生しないだろうが、貸した一億を返せと言われても今の実家の状況では無理だ。
 では沙織は離婚することができないのだろうか。
 離婚できずこのまま囲われた籠の中で一生変わりない日々を過ごすのも嫌だし、借金を返さず逃げるのも無責任で嫌だ。
 ならどうすれば――。

(一億、いちおく……うーん、一億を返せれば、離婚していただけるということでしょうか)

 普通に考えればどだい返済は無理な金額だ。が、眠気で頭が働かない沙織はどうにかすれば返せるのではと考えを巡らせる。
 いよいよ船を漕ぎ出そうとする頭を、意志の力で支えていたがそれも限界で、目の前がだんだん暗くなる。
 あ、これは駄目かもしれないと、テーブルに肘を突いて頭を抱えた途端、守頭がぎょっとしたような声を上げ、けたたましく椅子を倒しながら立ち上がる気配がした。

 しかしそれすらも限界を超えた沙織の眠気を追い払えず、頭が支えを得たと同時に意識がふつりと遠くなる。

 沙織、沙織、と、血相を変えた守頭が必死に名を呼ぶ声を遠くに聞きながら、沙織は泥のような重い眠りへと落ちていった。

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