お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
 ともかく行くだけ行きたいとの希望を伝え、車に乗り込む。

 不動産会社の社長が用意した車は普通の営業者で、普段は防弾仕様まで完璧な外国車を乗り回している――左ハンドルのほうが慣れている――守頭にとっては狭く、乗り心地も良くない上、さらに山を登った処とのことで道の舗装も大分悪い。

 こんなところに住んでいるのか、いくら先祖伝来の屋敷でも不便だろうにとつい口にすれば、もともとは右京区に別宅もあったが、そちらは娘が赤子の頃に売却してしまって、今は料亭になっているのだとか。

 まるで波が砂山を削るように、少しずつ過去の蓄えを失っていく。なのに役に立たない矜持ばかりは高い、御所頭家の当主とやりあうのは、なかなか骨が折れそうだ。

 そんなことを考えていると、土塀の向こうに、緑豊かな竹林が広がる大きな屋敷が見えてきて、守頭は思わず息を呑む。

 正門は時代劇に出てきそうな木の門で、横の勝手口にあるベルを押せば十分以上経ってから、紺色のお仕着せに白いエプロンをつけた初老の女性が姿を現す。
 ここはどこで何時代だと、呆れつつ目を空に彷徨わせていると、いかにもうさんくさいと言いたげな視線で初老の女性、おそらく御所頭家の使用人から頭の先から爪先まで無感動に眺められ、東野様のお連れならと渋々に告げて大門を開いてくれた。

 中は竹林から杉の木立まで綺麗にととのっていて。所々に見える玉砂利の散歩道にはほとんど落ち葉もない。
 これは庭師も使用人もそこそこに多く雇っているな。なら、給料を捻出するのも一苦労だろう。なのに切れないのは不便だからか、それとも長年を共にした使用人たちに対する義理なのか。

 いずれにしてもビジネス向きの人柄ではないようだ。と当主の人格を判断しつつ車を降りる。

 町中で見た寺によく似た作りの和風建築が横長に広がっており、東の奥だけが洋館となっている。
 北のほうには時代劇に出てきそうな漆喰塗りの土蔵が三つ。他にも使用人宿舎にしている離れもあり、リノベーションしてホテルレストランにすれば、かなりの利益が得られるかもと、ビジネス的なこと思いつつ子細を眺める。

 平安時代を思わせる古典調の一階部分に比べ、比較的新しい(といっても室町時代あたりからだろうか)のしつらえである唐物風の二階は、増築により建て増されたものだろう。

 乗る瓦の落ち着いた色や、広くとられた格子窓、障子と、今の日本には珍しく、寺社か史跡でもなければみられない様式に、まあこれはこれで悪くもないなどと勝手に評価を下していた時だ。
 視界の端に緋色が閃いて、遠くから鳥が啼くような音色が響く。

 冬に似合わぬ鮮やかな彩りに気を惹かれ、視線を投げた守頭はそのまま息を止めてしまう。
 いつからそこにあるのか、日当たりがいいからか、めったとみないほどの巨木に育った乙女椿の薔薇に似た八重咲きの花弁。
 紅に染まり、灰色の冬空に耀と色を灯す枝先に伸びるほっそりとした腕は白。
 動きに沿って冬風のなかたおやかに揺れる袖は淡い橙で、それが着物の袖だと気付くのに一拍を置く。
 唐突に現れた鮮やかな色彩に息を詰めていると、そこに、すべての色を内包してなお艶やかな黒髪がさらりと垂れてきて。

 まるで一枚の水彩画を見ているような、時代を越えて残された絵を目の当たりにしたような感動に声も出せずにいると、広く開いた格子窓から少女の顔がちょこんと覗いて、守頭の存在に気付くやいなや、悪戯が見つかったという風に小さく舌を出して微笑み会釈する。

 久しく色が失われていた守頭の世界に、鮮やかな彩が舞った。

 二階の窓から外に咲く椿を手折るなど、妙齢の乙女にしては行儀が悪いと言ってもいいだろう。
 なのに不思議な優雅さと美しさを備えたしぐさに,守頭は一瞬で惹きつけられる。

 ――あれが、御所頭家の総領娘の沙織か。

 ようやくにして知識が追いついた時には、もう、相手の姿は袖を閃かせ窓から引っ込み、それっきり姿を覗かせない。
 想像していた高慢でわがままな箱入り娘とはまるで異なる意外性に驚かされたのも束の間。
 十分ほど外で待たされたというのに、結局、当主である御所頭吾郎とは会うことができず、追い払われるようにして屋敷を去った。

 だが、その時の光景はあたかも人生を変える名画のように、守頭の脳裏に焼き付いていて、ふとした折に思い出してはなぜ、あんなたわいもない一瞬に、どうしてこれほど記憶と心が揺さぶられるのかと首を傾げた。


 それが愉快で楽しかったのかもしれない――。
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