お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
次に御所頭家と関わるようになったのは、沙織を見てから三年後。
守頭瑛士が三十二歳、沙織が二十二歳となったその年だった。
結局フランスの富豪であるクライアントの要件に合う土地が見つからず、そうこうするうちに、スキーができるならと京都ではなく北海道のニセコに土地を見つけ別荘を着工することで片がつき、御所頭家に関する調査資料や土地の売買に関するデータは、そのまま会社の倉庫や自宅の書斎で眠っていた。
それが日の目を見ることになったのは、思わぬ出来事からだった。
情報が漏れた。
というより社員の一人が勝手に持ち出し、それを使って御所頭家の当主に嘘の投資話を持ちかけたあげく、なにを考えてか守頭の名前をかたってそれを働いた。
当然、犯罪行為だ。
警察から知らされた守頭は、急遽仕事で訪れていたフランスから帰国し、事情を聞いて京都に向かう。
犯罪が行われた時期、ちょうどヨーロッパやアメリカではバカンスの時期が始まる間際で、これを逃したら相手が捕まらないというこおで、ちょっとした繁忙期になっており、守頭はほとんど海外にいた。そのため、すぐ名前を騙られたことが判明したのは幸いだった。
門前払いを喰らうのを承知で、急ぎ東京から京都へ向かう。
というのも、外資系銀行に勤める守頭の大学の同期から、当主が借金の返済に困る余り、娘を身売りしようとしていると聞かされたからだ。
相手は中堅建築ゼネコンの創業一族で、女癖が悪いと噂の馬鹿御曹司。
年の差だって守頭より開いている上、見合い相手をつまみ食いしては縁談を断るという始末の悪いことをした過去もある。
あの、鮮やかな色を纏った娘が、空に向けて手を伸ばし無茶にも外の椿を手折ろうとした無邪気さが踏みにじられるかと思った瞬間、なぜだかいても立っても居られなくなった。
人生で初めて仕事を後回しにし、スケジュールのフォローを秘書室長――つい先日まで守頭の秘書でもあった三見頼子に任せ、休暇をもぎとり飛行機に乗った。
記憶を頼りに御所頭家へ向かえば、以外にも門は開かれて当主の吾郎と幾名かの使用人だけが立ち入りを許されるという書斎まで通された。
当然、罵声がなげかけられてしかるべきと覚悟したが、意外にも吾郎は冷静で、自分の不徳なすところで守頭に迷惑をかけた。とそっけなくではあるが謝ってきた。
つまり、互いに被害者であることは理解して貰えたということだ。
それを幸いに、沙織の見合い相手の悪行を証拠つきで訴えれば、今まさに、〝人柄を知りたいので二人で食事でも〟と呼び出され、京都市内のホテルで――くだんの中堅建築ゼネコンの御曹司がプロジェクトを手がけた場所で、会っているとのこと。
そこからはもう、無我夢中だった。
自分のなにがそうさせるのかまるで分からなかった。だが、灰色の味気ない世界に一瞬とはいえ色をもたらした沙織のことが、ひどく気がかりで、それが失われるのが悔しかった。
――恋というには遠い、だが他人事ではいられない。不可解な感情。
衝動と言ってしまえばそれまでの感情に突き動かされ、ホテルに辿り着けば、ちょうど男が沙織を部屋に連れ込もうとし、エレベーター前でもみ合っている処で。
咄嗟に相手を突き飛ばし、沙織を抱き寄せた。
そのときの驚きは、今もはっきりと覚えている。
細くたおやかな肩。練り絹のように艶めいて真っ直ぐな黒髪が空になびく美しさ。触れてみたくなるほど白く滑らかな肌。
なにより、精巧な日本人形のような外見とは裏腹に、はっきりとした強い意志を湛える瞳に心を射貫かれた。
この女が欲しい、と強く思い、それは台詞となって口から出た。
お前の倍の金額で沙織との縁談を買った。などと嘘を言い放った。もっともそれを嘘にしてしまう気などまるでなく、実現する気もあったのだが。
ともあれ沙織を救出するが、縁談を買ったなどと口走った始末の悪さから、なにをどう話せばいいかわからない。
こういう時に、あれは嘘だった。だが、本気で君と結婚したいと思っている。と素直に求婚できればいいが、そんなことができるほどまっとうな性格でもなければ、若くもない。三十も越えればそれなりにこじらせているのだ。
なにより自分自身でも混乱していた。
ほとんど初対面といっていい相手に、どうしてここまで惹かれているのかと。
結婚どころか女性にも興味がなかったはずなのに、どうしてほしいと思ったのか。
そう。出張したアメリカで沙織の指に似合いそうだという衝動だけで、それが婚約指輪だということも構わずに、百合を模したダイヤモンドの指輪を買って、オフィスにあるオーク材のデスクの引き出しに潜めさせるほど。
恋と片付けるには複雑で、愛と言い切るにはまだ遠い。
だが、時間が経つにつれ、沙織の人柄に興味が湧いたのだということだけは理解できた。
今まで女といえば、守頭の外見か若くして気付き上げた社会的地位あるいは資産にうっとりとし、頼みもしないのに媚びを売り、隙あらばベッドに潜り込もうとする計算高く野心家の女か、父親の言うことにはなんでも従い、よって守頭にはなんら興味もないといった従順といえば聞こえがいい、だが退屈で大した会話も楽しめないお嬢様かのどちらかで、そのどちらにも飽き飽きしていた。
外見など、守頭にとってはさほど価値があるものとは思えない。
美しさや若さはいずれ目減りする〝資産〟だ。老いればどんな人間も大して差異はない。
刻々と価値が失われていくのを知ってか知らずか、外見が優れている女ほど自信過剰な上、守頭を男とみくびって、あの手この手と出してくるのも厄介でうとましい。
故に男女関係には執着も興味もなかったし、結婚については尚更。
会社の後継者をどうするかだけは悩みの種だが、それだって養子を迎えて経営舎として育て上げれば、一応の社会的義務は果たし終えられる。
そんなドライな、もっといえば、無味乾燥な意見しかなかったのに、沙織についてだけは初手から例外で、非常に興味深かった。
しかも話して見れば頭の回転もいい。
自分の置かれている立場を理解しつつ、そこに留まろうとしない。されど、男や親といった他者を頼ろうとしない強さのようなものが、言葉の端々に見え隠れするのも気に入った。
家まで送るとの名目で再び御所頭家に向かい、事後承諾を承知で当主に縁談を申し出た。
一億の融資、月の援助の額。なにより沙織の生活を今の水準から決して落とさないこと。大切にすることを説明し、ようやくうなずいて貰え、晴れて婚約者となった。
その場で婚約指輪を沙織の指に嵌めた時、この女が俺の妻かと――初めて生きている実感のようなものを得た。
守頭瑛士が三十二歳、沙織が二十二歳となったその年だった。
結局フランスの富豪であるクライアントの要件に合う土地が見つからず、そうこうするうちに、スキーができるならと京都ではなく北海道のニセコに土地を見つけ別荘を着工することで片がつき、御所頭家に関する調査資料や土地の売買に関するデータは、そのまま会社の倉庫や自宅の書斎で眠っていた。
それが日の目を見ることになったのは、思わぬ出来事からだった。
情報が漏れた。
というより社員の一人が勝手に持ち出し、それを使って御所頭家の当主に嘘の投資話を持ちかけたあげく、なにを考えてか守頭の名前をかたってそれを働いた。
当然、犯罪行為だ。
警察から知らされた守頭は、急遽仕事で訪れていたフランスから帰国し、事情を聞いて京都に向かう。
犯罪が行われた時期、ちょうどヨーロッパやアメリカではバカンスの時期が始まる間際で、これを逃したら相手が捕まらないというこおで、ちょっとした繁忙期になっており、守頭はほとんど海外にいた。そのため、すぐ名前を騙られたことが判明したのは幸いだった。
門前払いを喰らうのを承知で、急ぎ東京から京都へ向かう。
というのも、外資系銀行に勤める守頭の大学の同期から、当主が借金の返済に困る余り、娘を身売りしようとしていると聞かされたからだ。
相手は中堅建築ゼネコンの創業一族で、女癖が悪いと噂の馬鹿御曹司。
年の差だって守頭より開いている上、見合い相手をつまみ食いしては縁談を断るという始末の悪いことをした過去もある。
あの、鮮やかな色を纏った娘が、空に向けて手を伸ばし無茶にも外の椿を手折ろうとした無邪気さが踏みにじられるかと思った瞬間、なぜだかいても立っても居られなくなった。
人生で初めて仕事を後回しにし、スケジュールのフォローを秘書室長――つい先日まで守頭の秘書でもあった三見頼子に任せ、休暇をもぎとり飛行機に乗った。
記憶を頼りに御所頭家へ向かえば、以外にも門は開かれて当主の吾郎と幾名かの使用人だけが立ち入りを許されるという書斎まで通された。
当然、罵声がなげかけられてしかるべきと覚悟したが、意外にも吾郎は冷静で、自分の不徳なすところで守頭に迷惑をかけた。とそっけなくではあるが謝ってきた。
つまり、互いに被害者であることは理解して貰えたということだ。
それを幸いに、沙織の見合い相手の悪行を証拠つきで訴えれば、今まさに、〝人柄を知りたいので二人で食事でも〟と呼び出され、京都市内のホテルで――くだんの中堅建築ゼネコンの御曹司がプロジェクトを手がけた場所で、会っているとのこと。
そこからはもう、無我夢中だった。
自分のなにがそうさせるのかまるで分からなかった。だが、灰色の味気ない世界に一瞬とはいえ色をもたらした沙織のことが、ひどく気がかりで、それが失われるのが悔しかった。
――恋というには遠い、だが他人事ではいられない。不可解な感情。
衝動と言ってしまえばそれまでの感情に突き動かされ、ホテルに辿り着けば、ちょうど男が沙織を部屋に連れ込もうとし、エレベーター前でもみ合っている処で。
咄嗟に相手を突き飛ばし、沙織を抱き寄せた。
そのときの驚きは、今もはっきりと覚えている。
細くたおやかな肩。練り絹のように艶めいて真っ直ぐな黒髪が空になびく美しさ。触れてみたくなるほど白く滑らかな肌。
なにより、精巧な日本人形のような外見とは裏腹に、はっきりとした強い意志を湛える瞳に心を射貫かれた。
この女が欲しい、と強く思い、それは台詞となって口から出た。
お前の倍の金額で沙織との縁談を買った。などと嘘を言い放った。もっともそれを嘘にしてしまう気などまるでなく、実現する気もあったのだが。
ともあれ沙織を救出するが、縁談を買ったなどと口走った始末の悪さから、なにをどう話せばいいかわからない。
こういう時に、あれは嘘だった。だが、本気で君と結婚したいと思っている。と素直に求婚できればいいが、そんなことができるほどまっとうな性格でもなければ、若くもない。三十も越えればそれなりにこじらせているのだ。
なにより自分自身でも混乱していた。
ほとんど初対面といっていい相手に、どうしてここまで惹かれているのかと。
結婚どころか女性にも興味がなかったはずなのに、どうしてほしいと思ったのか。
そう。出張したアメリカで沙織の指に似合いそうだという衝動だけで、それが婚約指輪だということも構わずに、百合を模したダイヤモンドの指輪を買って、オフィスにあるオーク材のデスクの引き出しに潜めさせるほど。
恋と片付けるには複雑で、愛と言い切るにはまだ遠い。
だが、時間が経つにつれ、沙織の人柄に興味が湧いたのだということだけは理解できた。
今まで女といえば、守頭の外見か若くして気付き上げた社会的地位あるいは資産にうっとりとし、頼みもしないのに媚びを売り、隙あらばベッドに潜り込もうとする計算高く野心家の女か、父親の言うことにはなんでも従い、よって守頭にはなんら興味もないといった従順といえば聞こえがいい、だが退屈で大した会話も楽しめないお嬢様かのどちらかで、そのどちらにも飽き飽きしていた。
外見など、守頭にとってはさほど価値があるものとは思えない。
美しさや若さはいずれ目減りする〝資産〟だ。老いればどんな人間も大して差異はない。
刻々と価値が失われていくのを知ってか知らずか、外見が優れている女ほど自信過剰な上、守頭を男とみくびって、あの手この手と出してくるのも厄介でうとましい。
故に男女関係には執着も興味もなかったし、結婚については尚更。
会社の後継者をどうするかだけは悩みの種だが、それだって養子を迎えて経営舎として育て上げれば、一応の社会的義務は果たし終えられる。
そんなドライな、もっといえば、無味乾燥な意見しかなかったのに、沙織についてだけは初手から例外で、非常に興味深かった。
しかも話して見れば頭の回転もいい。
自分の置かれている立場を理解しつつ、そこに留まろうとしない。されど、男や親といった他者を頼ろうとしない強さのようなものが、言葉の端々に見え隠れするのも気に入った。
家まで送るとの名目で再び御所頭家に向かい、事後承諾を承知で当主に縁談を申し出た。
一億の融資、月の援助の額。なにより沙織の生活を今の水準から決して落とさないこと。大切にすることを説明し、ようやくうなずいて貰え、晴れて婚約者となった。
その場で婚約指輪を沙織の指に嵌めた時、この女が俺の妻かと――初めて生きている実感のようなものを得た。