お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
逸樹があちらで仲良くなったとある企業のCEOが、日本の骨董をコレクションしており、その中に三つ揃いの掛け軸があったのだが、一つだけ欠けていたのを、沙織が知己――習いに行っている茶道の家元の三男がやっている骨董品屋なのだが――を頼って見つけ、鑑定から購入までを手配したのだ。
江戸琳派と呼ばれる筋の絵師が描いた仏画なのだが、西南戦争の折に行方が分からなくなったままだったとか。
他の二枚を手がかりに探すなど、海の中から針を探すようなものと逸樹がぼやいていたのを聞いた沙織が興味を持ち、画を見たところ記憶に似た絵があるとなり、発見の運びとなった。
沙織は日本の芸術品に対して造詣が深い。
もちろん素人の独学の域を出ないが、逸樹に言わせると眼力だけは一流だとか。
(まあ、それもこれも、子どもの頃から父の怒りに触れると土蔵に閉じ込められたおかげですけどね)
御所頭家にある三つの土蔵には一体いつからあるのか知れぬ、家財道具や美術品が収められており、沙織は怒られて閉じ込められるたびに暗闇を怖れて泣くでもなく、あの桐箱、この桐箱と開いて、そこにある四季折々の掛け軸やら、螺鈿細工やらを飽きもせず眺めた。
今では、どこになにがあって、どういうものか父より詳しいぐらいだ。
それが高じて読む本も美術関係が多く、母にせがんで展覧会に脚を運んでと目を磨いて来た。
そこに加えて、天性の運だ。
欲しいとか見たいとか思うものがあれば、まるで磁石で引き寄せられるように沙織の触れられる――あるいは見に行ける範囲に現れるのだから、ある意味、〝持っている〟タイプなのかもしれない。
(美術品を売って整理してしまえば、借金の一億二億など、すぐに返せてしまうでしょうに)
倉の中にあるものは先祖からの預かり物だということで、父は決して手をださず、未だ門外不出のまま暗闇の中で埃をかぶっている。
コレクターが知ったら、よだれをたらしながら、それこそ地球の裏側からでも駆けつけるだろう品がいくらでも揃っているというのに。
それらを売って、商売にして地道に生きていけばと提案したものの、一蹴されたことを思いだしつつ封筒を開ければ、予想していた倍の金額が小切手となって記載されており目を見張る。
「これは、多すぎるのではありませんか」
百万はいかないが、当面の間、沙織が一人暮らしするには充分すぎる。
沙織の計画では、昨日離婚した後、今日は逸樹に会って、美術品売買の手数料をいただき、それでマンスリーマンションの代金と新たな住居の敷金などに使う予定だったのだが。
「むしろ少ないぐらいだよ。売買金額の五パーセントから七パーセントが相場だからね」
「そういうものですか。……でも、これは貯めておくだけになりそうですね」
口調こそ残念がっているが、つい笑みがこぼれるのを止められない。
欲しいものはなんでも買ってやれと母に豪語していた通り、必要と訴えれば、翌日にはなんでも一揃い部屋に置かれているような生活をしてきた沙織だが、二つのものだけは決して与えて貰えなかった。
一つはスマートフォン。もう一つはお金――つまりお小遣いだ。
父曰く、金も連絡手段も女子どもに与えるとろくなことにならない。という訳だ。
買い物にしたって一人で出かけられたのは結婚してから。それまでは常に家政婦か母が同伴で、自ら財布を持ったことはない。当然クレジットカードもだ。
だから自由に使えるお金というのは嬉しかったし、それが自分の働きによるものだということが尚更歓びを増加させる。
人というのは不思議なもので、欲しいと言えば与えられる環境にいれば、逆に簡単に手に入ることがつまらなくなり、物欲が自然に失せていく。
よって沙織は旧家で資産家(今は借金まみれだが)のお嬢様にも拘わらず、物欲も所有欲も薄く、質素倹約を絵に描いたような暮らしぶりだ。
守頭の秘書であった三見より、〝妻となったからには家政をこなしていただきたい〟とのことで、もともと守頭の家に出入りしていたハウスキーパーが解雇された時も、途方に暮れるより、これで掃除や洗濯を自分でできる上、食事の買い物もできるのだと内心ほくそえんだものだ。
なにもしなくていい、ただ恥ずかしくない嫁に、妻になる教養だけを学べと、当たり前の手伝いさえめったとさせてもらえず、夕飯の買い物だって出入りの業者が持ってきたものを使いこなすという生活だった沙織は、自由にあれこれできるのがうれしかったし、今も嬉しくて仕方がない。
一応、好きな物があったら使えと守頭からクレジットの家族カードを渡されていたが、それだとやっぱり味気なく、家を整えるのに必要なもの意外を購入したことがない。
スマートフォンも購入して貰ってはいたが、登録されている番号は守頭と実家のみではほとんどベルがなることはなく、いつしか寝室のサイドボードに置きっぱなしとなってしまっていた。
そうであっても逸樹や学生時代の友人とは、パソコンのメールや筆でしたためた手紙でやりとりしているのでとくに不便はない。
「どうしましょう。私、小切手を換金なんてしたことがありません」
「だったら、一緒に銀行に行って口座をつくるついでに換金しちゃえば」
当たり前のように言われて目を大きくする。
口座、自分の銀行口座が持てるのだと思うとワクワクする。
「それと、離婚条件の一億円についてもなんとかなるかもしれない」
「まあ!」
意外な提案に沙織は目をみはる。が、すぐに気を取り戻して声を潜める。
「逸樹さんから借りるのは嫌ですよ? それだと借金の相手が変わるだけです。離婚できても逸樹さんと結婚しなければならなくなってしまいます」
真顔で訴えると、今度は逸樹が面食らったような顔をして髪を掻き乱す。困った時の癖だ。
「……僕はそれでもかまわないけど。沙織と結婚したら楽しそうだし、これでも縁談は多いほうだけど?」
それはそうだと思う。
御所頭家ほどではないが天童家も大概の名家だ。その上、守頭とはタイプが違うものの、線が柔らかく華やかな顔立ちは学生時代から女性に人気がある。
「逸樹さんとの共同作業は生徒会の時で懲りました。そういう話なら、謹んでお断りさせていただきます」
テーブルの上に三つ指をついて恭しく頭を下げた途端、あわてた逸樹が身を乗り出して口を開く。
「待て! 待てってば、待ってよ。まったく。……そうじゃなくてさ。沙織には美術品を見る目があると思う。だから、僕がやっている美術品投資を手伝う……っていうのはどうだろう」
江戸琳派と呼ばれる筋の絵師が描いた仏画なのだが、西南戦争の折に行方が分からなくなったままだったとか。
他の二枚を手がかりに探すなど、海の中から針を探すようなものと逸樹がぼやいていたのを聞いた沙織が興味を持ち、画を見たところ記憶に似た絵があるとなり、発見の運びとなった。
沙織は日本の芸術品に対して造詣が深い。
もちろん素人の独学の域を出ないが、逸樹に言わせると眼力だけは一流だとか。
(まあ、それもこれも、子どもの頃から父の怒りに触れると土蔵に閉じ込められたおかげですけどね)
御所頭家にある三つの土蔵には一体いつからあるのか知れぬ、家財道具や美術品が収められており、沙織は怒られて閉じ込められるたびに暗闇を怖れて泣くでもなく、あの桐箱、この桐箱と開いて、そこにある四季折々の掛け軸やら、螺鈿細工やらを飽きもせず眺めた。
今では、どこになにがあって、どういうものか父より詳しいぐらいだ。
それが高じて読む本も美術関係が多く、母にせがんで展覧会に脚を運んでと目を磨いて来た。
そこに加えて、天性の運だ。
欲しいとか見たいとか思うものがあれば、まるで磁石で引き寄せられるように沙織の触れられる――あるいは見に行ける範囲に現れるのだから、ある意味、〝持っている〟タイプなのかもしれない。
(美術品を売って整理してしまえば、借金の一億二億など、すぐに返せてしまうでしょうに)
倉の中にあるものは先祖からの預かり物だということで、父は決して手をださず、未だ門外不出のまま暗闇の中で埃をかぶっている。
コレクターが知ったら、よだれをたらしながら、それこそ地球の裏側からでも駆けつけるだろう品がいくらでも揃っているというのに。
それらを売って、商売にして地道に生きていけばと提案したものの、一蹴されたことを思いだしつつ封筒を開ければ、予想していた倍の金額が小切手となって記載されており目を見張る。
「これは、多すぎるのではありませんか」
百万はいかないが、当面の間、沙織が一人暮らしするには充分すぎる。
沙織の計画では、昨日離婚した後、今日は逸樹に会って、美術品売買の手数料をいただき、それでマンスリーマンションの代金と新たな住居の敷金などに使う予定だったのだが。
「むしろ少ないぐらいだよ。売買金額の五パーセントから七パーセントが相場だからね」
「そういうものですか。……でも、これは貯めておくだけになりそうですね」
口調こそ残念がっているが、つい笑みがこぼれるのを止められない。
欲しいものはなんでも買ってやれと母に豪語していた通り、必要と訴えれば、翌日にはなんでも一揃い部屋に置かれているような生活をしてきた沙織だが、二つのものだけは決して与えて貰えなかった。
一つはスマートフォン。もう一つはお金――つまりお小遣いだ。
父曰く、金も連絡手段も女子どもに与えるとろくなことにならない。という訳だ。
買い物にしたって一人で出かけられたのは結婚してから。それまでは常に家政婦か母が同伴で、自ら財布を持ったことはない。当然クレジットカードもだ。
だから自由に使えるお金というのは嬉しかったし、それが自分の働きによるものだということが尚更歓びを増加させる。
人というのは不思議なもので、欲しいと言えば与えられる環境にいれば、逆に簡単に手に入ることがつまらなくなり、物欲が自然に失せていく。
よって沙織は旧家で資産家(今は借金まみれだが)のお嬢様にも拘わらず、物欲も所有欲も薄く、質素倹約を絵に描いたような暮らしぶりだ。
守頭の秘書であった三見より、〝妻となったからには家政をこなしていただきたい〟とのことで、もともと守頭の家に出入りしていたハウスキーパーが解雇された時も、途方に暮れるより、これで掃除や洗濯を自分でできる上、食事の買い物もできるのだと内心ほくそえんだものだ。
なにもしなくていい、ただ恥ずかしくない嫁に、妻になる教養だけを学べと、当たり前の手伝いさえめったとさせてもらえず、夕飯の買い物だって出入りの業者が持ってきたものを使いこなすという生活だった沙織は、自由にあれこれできるのがうれしかったし、今も嬉しくて仕方がない。
一応、好きな物があったら使えと守頭からクレジットの家族カードを渡されていたが、それだとやっぱり味気なく、家を整えるのに必要なもの意外を購入したことがない。
スマートフォンも購入して貰ってはいたが、登録されている番号は守頭と実家のみではほとんどベルがなることはなく、いつしか寝室のサイドボードに置きっぱなしとなってしまっていた。
そうであっても逸樹や学生時代の友人とは、パソコンのメールや筆でしたためた手紙でやりとりしているのでとくに不便はない。
「どうしましょう。私、小切手を換金なんてしたことがありません」
「だったら、一緒に銀行に行って口座をつくるついでに換金しちゃえば」
当たり前のように言われて目を大きくする。
口座、自分の銀行口座が持てるのだと思うとワクワクする。
「それと、離婚条件の一億円についてもなんとかなるかもしれない」
「まあ!」
意外な提案に沙織は目をみはる。が、すぐに気を取り戻して声を潜める。
「逸樹さんから借りるのは嫌ですよ? それだと借金の相手が変わるだけです。離婚できても逸樹さんと結婚しなければならなくなってしまいます」
真顔で訴えると、今度は逸樹が面食らったような顔をして髪を掻き乱す。困った時の癖だ。
「……僕はそれでもかまわないけど。沙織と結婚したら楽しそうだし、これでも縁談は多いほうだけど?」
それはそうだと思う。
御所頭家ほどではないが天童家も大概の名家だ。その上、守頭とはタイプが違うものの、線が柔らかく華やかな顔立ちは学生時代から女性に人気がある。
「逸樹さんとの共同作業は生徒会の時で懲りました。そういう話なら、謹んでお断りさせていただきます」
テーブルの上に三つ指をついて恭しく頭を下げた途端、あわてた逸樹が身を乗り出して口を開く。
「待て! 待てってば、待ってよ。まったく。……そうじゃなくてさ。沙織には美術品を見る目があると思う。だから、僕がやっている美術品投資を手伝う……っていうのはどうだろう」