お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
 沙織をやりこめて上機嫌で化粧しているだろう三見を思うと、眉の間に皺が寄りそうになる。
 それを人差し指で擦り撫でつつ、沙織は目を閉じた。

 三見頼子。
 公には守頭瑛士の元秘書。

 結婚を機に、妻や周囲に誤解させたくないからとの題目で、秘書室長に昇格させ守頭の専任から外れたと聞くが、それが気に食わないのかあれこれと姿を現しては沙織に無遠慮な態度を取る。

 だがまあ、三見からすればそれもそうだろう。
 周囲はもちろん、本人も結婚すると思っていた守頭を、京都の家柄しか取り柄のない小娘に取られた挙げ句、仕事でも関わりが薄くなったのだから。

 現在、守頭の秘書は男性だが、まだ就任して日が浅いため、サポートとの名目で三見が第二秘書との立ち位置で業務を兼任している。それはいい。

(でも、こうして現れて私生活を荒らすのはどうなんでしょうね)

 守頭も黙認しているのか、どうなのか。気になるところではあるが、そもそも二人の間に会話らしい会話がない。
 もともと言葉少ないタイプな上に、結婚してからずっと多忙で二人の時間はないのだから、話しようがないとも言う。

(話す機会があったとして、愛人ですよね? なんてストレートに聞いて、そうだと答える馬鹿はいないでしょうし)

 最初から、沙織に対する三見の態度は酷かった。
 一応、礼を取っているものの、目がまったく笑っていないか、笑っていても明らかに小馬鹿にしている気配がある。
 最初は、小娘だから侮られているのかと、彼女と打ち解けられるよう精進を試みたが、それが意味のないことだとわかったのは結婚してから二ヶ月目のことだった。

 一月も終わりで、朝からちらついていた雪が午後に入っていよいよ厳しくなってきた日だった。
 奥様が家にいるのでしたら、家政婦は必要ありませんね。仕事もされていませんし。社長もそういう意向です。と伝えられて一週間。
 ようやく部屋の掃除や洗濯にも慣れ、料理のレパートリーを増やすのが楽しみになってきた頃で、雪を見ながら鍋なんていいかもしれない。でも、守頭は帰って来るのが遅く、外食で済ますことが多いから一人分だけで上手く作れるものだろうか? などと、リビングでつらつら考えていた時。

 守頭からメールが届いていた。

 秘書が書類を取りに行くから、書斎の机の上にある封筒を渡してほしいと。
 ほどなくして一階に詰めているコンシェルジュから来客の知らせが入り、また三見さんかしらと溜息をつけば、見知らぬ男性が立っていた。
 驚き、警戒していると相手は名刺を出して来て「ご主人から資料を取ってくるよう言いつけられまして」と、人の良さそうな笑顔をする。

 ああ、この人も守頭の秘書か。と思いつつ笑顔を返すが気持ちはほぐれない。
 尋ねて来た男の顔立ち自体は普通だが、どこか顔に険があるように感じられ、書類を渡してもいいのかとためらいが増す。
 スーツの襟についた社章も、出された名刺も確かに守頭の会社のもので疑う余地はないのだが、なんというか、沙織を見る目が上司の妻を見る目ではない。

 なんだか値踏みするような、馬鹿にできるところを探しているような、とても失礼な眼差しだった。
 初対面からこういう目を向けられる意味がわからず、だけど戸惑っては相手に隙を与えるようで、沙織はあえて表情を抑えたまま毅然と対応することに決める。

 書類の場所を教えてもらい、書斎の机の上というのでそこにあった茶封筒を渡すと、男は中身を確認し、また沙織をじっと値踏みする。

「あの? 合っておりますでしょうか。でしたら旦那様もお急ぎでしょうし」

 寒くて雪が降っているのだから、本当であればお茶の一つも出すべきかとも思うが、相手は沙織に友好的とは思えない。
 変に接して揉め事を起こすより、無難な言い訳で帰してしまうのが吉と判断していると、相手はニヤリと口の端を上げて笑う。

「なるほど。確かにお人形さんのように綺麗なお方だ」

 お世辞だろうが、口調がまるで褒めてない。それに沙織は人形と言われるのがあまり好きでないこともあり、つい眉が寄ってしまう。

「恐れ入ります」

 どうとでも取れる返答でやり過ごそうとするが、相手は沙織がすべてを言い切らないうちに言葉を続けた。

「そんなに綺麗な顔をされていて、ずいぶん強欲なんですね」
「は?」

 思わず声が出たが、相手はまるで沙織の意見や感情を無視して続けた。

 曰く、自分は三見と同じく、守頭とは会社を立ち上げた時からの仲であり、二人をずっと見てきた。
 勘が鈍いお嬢様にはわからないだろうが、あの二人は随分前から恋人同士で、社員のほとんどは二人が結婚すると思っていた。
 なのに、沙織がしゃしゃり出て、会社への支援を約束する代わりに一億円の結納金と結婚を迫ったおかげで、別れざるをえなかった。
 愛するもの同士を引き裂いて、なに不自由なく妻の暮らしを満喫することを、図々しいと言わずになんというのか。

 まくし立てるように言われ、目をまばたかす。

 二人が恋人同士だったことはともかく、沙織が結婚を迫ったというのは誤解だ。どちらかというと〝突然現れた守頭が沙織の婚約者の地位を買った〟というのが正しい。会社の支援とはいうが支援するような金が御所頭家にあれば、今ごと沙織はのんびりと京都の実家で餅を焼くかみかんでも向いて食べていただろう。

 社交界への口利きという理由を話された記憶はあるが、実質的にはまだなにもしてない。パーティーがあるとは聞いているが誘われたことはない。

 ただ、なぜかパーティーの話が出ると守頭は苦々しい表情になるのだが、それもビジネスのためにこんな小娘と結婚することになったのを、悔やんでいるのかと思えば納得できたが。

 それにしても、結婚を約束した恋人がいるのに仕事のために花嫁を買うとは、なんとも仕事人間な守頭らしい。そして三見が沙織への当たりが強いのも納得がいく。

 が、沙織だって言いたいことはある。
 恋人がいるなど知らなかったし、そもそも結婚する気もなかったのに。

 守頭に関しても、人柄として誠実なところが好ましく、父のように沙織の意見を無下にせず、きちんと聞いて答えてくれるところは好きだが、異性として恋しているかというとわからない。

 旦那様なのだから大切にしなければ、長く夫婦でいるのだろうから歩み寄らねばと思うものの、一緒に暮らしだして一ヶ月やそこらで判断できることでもない。

 ともあれ、誠実というところに疑問符がついたが、他人より近くて身内より遠い存在であることに変わりはない。
 それに結婚の約束をしようが、恋人がいようが、沙織を妻に選んだのは他ならぬ守頭だ。彼なりの判断によるところが大きい以上、沙織に文句を言うのはお門違いだ。

 どこか行き違いがあるのでは? と尋ねようとしてみるも、男は言うだけ言ってスッキリしたのか、沙織の返答も待たずに出て行った。

 そのことについては、変な人だわとしか思わなかったが、こうちょくちょく、三見に嫌がらせじみたことをされると、嫌でも守頭への評価が下がる。

 自由になりたい、と思う。
 良妻賢母という衣を纏った人形として生きて行くのではなく、自分で考えて、生活を成り立たせ、人生を歩んでみたい。
 そして、この馬鹿げた愛人がらみのやっかみからも、いい加減解放されたい。

「そのためには、是非とも、働いて、一億を返さなければ!」

 拳を握りしめ、沙織は強く心に決めた。

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