お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
 ――そちらにいる間が無理なら、帰ってきてから、私に一日ください。
 ――一緒に京都へいきましょう。現地で落ち合ってもいいです。
 ――男雛も、そちらへ連れていきます。

 
 タップして送信し、だけどやっぱり既読のマークは付かなくて。
 待っている間に眠気が来て、沙織はリビングのラグの上で眠ってしまう。

 翌朝、目を開けて最初にアプリを確認すれば、ごく短いメッセージが守頭から届いていた。
 

 ――了解した。
 ――予定より一日早く戻る。ただし到着は関西国際空港になる。
 ――土曜日と日曜日を明けておく。


 どう思って居るのかまるでわからない、素っ気ないメッセージは、多分、彼もそれだけ悩んで、沙織になにを言えばいいのか考えているのだと、そう受け取ることにした。

※※※

 男雛を元の桐箱へ戻し、風呂敷につつんで、財布とスマートフォンだけハンドバッグに入れて家を出る。
 着替えは実家に置いてあるから、泊まりになってもこの程度の荷物があればいい。

 逆に、なにひとつ余計なものを持っていきたくなかったし、ことさら飾りたくもなかった。
 だから慣れた着物を自分で着付け、髪も普段のまま梳っただけで結わずに流す。

 そしてタクシーを呼び羽田空港から関西国際空港まで飛行機で移動すれば、到着ゲートにはもう、守頭が手配した運転手が待っていて、案内されるまま黒塗りの外国車――ハイヤーに乗ると、すでに守頭が乗っていて、後部座席で窮屈そうに足を組み、パソコンを忙しく操作していた。

 お帰りなさいませ旦那様というべきかどうか迷って、結局無言のまま乗った。

 出先な上、これから実家へ行くというのにお帰りなさいはおかしいし、なにより守頭が真剣な顔でパソコンのキーボードを操作していたから、仕事を邪魔するのも悪いと思った。

「……寝てないのか」

 車が高速に乗ってしばらくしてから、不意に守頭が問いかけてきた。
 沙織がごまかすように首を傾げると、すごく不機嫌そうな声で、目の下に隈がある。と指摘され、誤魔化しに意味がないことを知る。

「仕事があるから、寝ててもいいぞ」
「……旦那様が膝を貸してくださるのでしたら」

 駄目を承知で申し出る。するとやっぱり守頭が表情を渋らせた。

「首を痛めるぞ。第一、男の太股なんて硬くて寝心地が悪いだろう」
「……妻を甘やかしてもくれないんですか?」

 こちらに視線もくれず画面を見ていた守頭が、深く溜息をついて横目で沙織を盗み見る。

「後悔しても知らないぞ」

 どういう意味か問いかけたかったが、指摘の通り睡魔がつよい。
 子どものように身体を丸め沙織が寄りかかっていくと、ごく自然に守頭が受け止め、そのまま自分の脚に沙織の頭を乗せる。

 魔法をかけるように、二度頭を軽く叩いた大きな手は、やっぱり、すぐパソコンのキーボードの上に戻ってしまう。

 それでも、守頭の身体を、温もりを、少しでも感じられるのは嬉しくて、休らいで、沙織は三つ呼吸する間もなく、深い眠りに落ちて行った。

 次に目が覚めた、というより起こされたのはもう嵐山の奥行った処で、沙織の実家まであと五分ほどの処だった。
 見慣れていたはずの漆喰の壁や竹林が、変に懐かしくて心がさみしい。

 来るのは一年ぶりか、一年離れていただけで懐かしいと思うなら、これより心を占めている守頭と別れたら、どれほど寂しいと思い、懐かしむだろう。
 そんなことを考えているうちに門に車が辿り着く。

 スマートフォンを取りだして、門を開けて貰おうと身動きしていると、いつのまにパソコンを片付けてしまったのか、守頭が申し出た。

「玄関まで、散策ついでに歩かないか」
「そう、ですね」

 それなら車より長く守頭と居られるし、運転手もいないなら、気兼ねなく二人の――夫婦の話ができる。
 後で門を開けると約束して車を降りた守頭が、相変わらずのスマートさで沙織の側のドアをあけてエスコートする。

 草履を履いた脚を降ろせば、砂利が擦れる音がわずかに聞こえた。
 ここから、家までゆっくり歩けば二十分ほどだろうか。

 季節が二月頭とあってか、庭木を手入れする職人の姿はもちろん、花もあまりなく、ただただ寂しい枯れ木と竹林だけが視界に広がり、その向こうに母屋の黒い屋根が見える。

 ゆっくりと守頭が歩きだす。その二歩後ろを付いて歩く。
 黙ったまましばらく歩いて、それから不意に立ち止まり、守頭はなにか決意するように空を見上げて、スーツのポケットから封筒を取り出す。

 縦長で白い和紙で作られた封筒は、人妻終了宣言をしたあの日、沙織が離婚届を記入し守頭へ渡したものに間違いなくて――。

 震える指で受取り中を改めれば、止めとはらいがはっきりした、間違いなく守頭の筆跡で記名がされていて、他の必要欄もすべて綺麗に埋まっていた。

 息を呑み、顔を跳ね上げる。

 これが彼の答なのかと悲しくなっていると、守頭が静かに告げた。

「沙織が、出したい時に出せばいい。明日でも、十年後でも、二十年後でも。……俺は、君の選択を受け入れる」

 淡々としているくせに、最後だけ変に熱っぽく力強く語られて、沙織の鼓動が一瞬止まる。

「旦那、さま?」

 意味を図りかねて呼び止めるけれど、彼は沙織から顔を逸らして、もう間近に見える母屋のほうを眺め、それからゆっくりと腕を出して指を差す。

「あの窓だ」

 樹齢百年を超える乙女椿の側にある窓は、沙織が娘自体に使っていた部屋で、今は空のはずだった。
 そんな部屋になんの意味があるのかと思えば、守頭はすごく幸せそうに微笑んで、告げた。

「初めて君を見た日、君はあそこから手を伸ばして、盛りになっている乙女椿の一枝を折ろうと屋根に身を乗り出していた」

 そんなことがあっただろうか。いや、あった。
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