お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
 華道でも、一方向から見て花を生けていてはバランスが取れない。それと同じように、いろんな角度からこの結婚がどんな意味を持って、どうすべきか考える必要があるのではないか。

 ――だとすると、最初に知るべき事は。

「断る権利がないとおっしゃいますが、先ほども申し上げた通り、私は貴方のことをなに一つ知りません。どこの誰でなにをしているか、ぐらいは教えていただかないと」

 伝えた途端、守頭が意外そうに目を大きくして、それからわずかに口角を上げて笑う。

(わ、……いきなりその表情は反則です)

 ほとんど表情筋が動かなかったくせに、こんな風に不意打ちで微笑まれればドキッとしてしまう。
 どこか面白げに目を細め見つめられ、沙織は心臓が逸りだすのを感じつつ息を詰める。

「私がどこの誰で、なにをしているか。か」

 上質の酒を舌で転がすような、どこか低く滑らかな声で言われ変に気持ちが浮つきだすのを、袂に手をやることで押さえていると、守頭はシートの腕掛けを人差し指で軽く二度弾いて続けた。

「第一に、私の名前は守頭瑛士だ」

 真っ直ぐに人差し指を立て告げる。先ほど名前を聞いてはいたが、これで自己紹介が終わったといいたげに、彼は二本目の指を立てる。

「第二、仕事は投資会社を経営している。取り扱っているのは企業買収と個人および企業の投資のコンサルタントだ」
「企業買収……」

 個人や企業の投資をコンサルトする――相談に乗るのはイメージがついたが、企業買収がどう投資に関わるかわからず呟けば、彼は淡々と説明をした。

「企業を買収し、内部を改善あるいは改革し、元の状態より価値を高め利益を出すようにして、別の会社に高く売却する仕事だ。……年収まで言ったほうがいいか?」

 からかうように付け加えられ、沙織は頭を振る。
 顔を見たこともない小娘を花嫁として一億で買ったことや、スーツや靴などの身なり、リムジンおよび、運転手から仕えられることを自然に受け入れ、当然としている様子から、それなり、いや、ひょっとしたらとんでもない金持ちなのだろうことはわかった。

「京都の方ではありませんよね?」

 投資家として成功しているなら経済界やその関連するパーティで名を聞く、あるいは顔を合わせることもあるはずだ。
 とくに守頭ほど見目良い男なら、若い女性は花嫁にと騒ぐだろう。にも拘わらず沙織は噂一つ聞いたことがない。

 足を悪くしている父が出歩きたがらないので、さほど活発に出てはいないものの、招待されれば観劇にコンサート、パーティと呼ばれ、ついでに沙織も連れて行かれることもある。

 が、沙織の実家である御所頭家と交流のある財界や社交界は、関西のものがほとんどだ。
 テレビに顔を出すような企業団体に名を加えているのでなければ、地元の名士や旧家はそのエリアの社交界から外に出たがらない。
 自分の縄張りでしか、自分の名前が通じないことを知っているのと、幅広く顔を売るのは成金がすることと考えている節があるからだ。

 果たして沙織の推理が正しいというように、守頭はうなずいた。

「普段は東京を拠点にしている。もっとも、夏場は仕事でヨーロッパの方に足を運んでいることが多いが。あとはシンガポール。たまにアメリカか」

 金の流れに国境はないからな、と言われ、なるほどと思う。

「では、その守頭様が、旧家とはいえ、一介の小娘を花嫁にすることに、どんなメリットがおありなのですか?」

 本題を大胆に切り出せば、守頭はわずかに眉を寄せ、考えるそぶりを見せた後、やっぱり淡々と感情のありかがわからない調子で答えた。

「……御所頭家の名前が欲しい。といったら?」
「御所頭の名前、ですか」

 質問に質問で返され、沙織は軽くうなりつつ考える。

 確かに沙織は御所頭家の一人娘で、その婿は御所頭家の財産も継ぐことにはなるが、ぶっちゃけ、今の状況では入ってくる土地や建物の金額より、支払う相続税や売却の手間などデメリットしかない。

「つまり、御所頭家の持つ人脈を頼りになられたいと?」
「話しが早いな。そういうのは嫌いじゃない」

 ふ、と笑いをこぼし守頭がうなずく。

「君のお父上は関西の社交界にしか顔を出していないようだが、京都の御所頭家と言えば平安だかそのあたりまで遡る家柄だろう。ぽっと出の若造など会いたくないという老人でも、帝から官位を授かり、明治には爵位を持っていた家の婿なら話を聞くという手合いは、関西だけでなく東京にも多い。当然、招待されることも増えるだろう。それは、私のビジネスにとって金より重要なことだ」

 個人の投資コンサルタントもしていると聞いた。なら、多少のお金持ちを相手にして小銭を稼ぐより、古くから続く家につなぎをつけて、大きく賭けたほうが儲けが大きく、顧客管理や事務の手間も省けるだろう。

「なるほど」

 納得した沙織が何度もうなずくのを見て、守頭はもう説明は終わったと言わんばかりに窓の外へと視線を移す。

(一億円を出す価値が、あるのでしょうか。私の、いえ御所頭家の名前に)

 わからない。

 だが、古くから続く家で、繋がりが細くなったといえどあちこちに伝手があるのも事実だ。
 そして、海外に主脚を置く守頭にとって、日本の保守的な財界や社交界が手強いだろうことも理解できる。

 本当に、自分の結婚にそれだけの価値があるのか、守頭と結婚していいのか、沙織にはまるでわからない。
 わからないまま、彼の横顔に視線を留めていると、車窓に流れる景色に竹林がまじりだし、そのまま白壁に瓦を刷いた高い壁が現れだす。

 そのうち黒い木の門扉が見え、執事の松尾が白い手袋を嵌めた手で恭しく木戸を開け車を迎え入れ、沙織は自宅へと帰り着いた。
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