お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
 そこから結婚まで、夢のような日々だった。

 もちろん、幸せでキラキラしていたという意味ではなく、あまりにも手際よく勧められる物事に、呆然としていたら白無垢を着ていた。という意味で。

 執事の松尾自ら車を迎え入れたことから、父が守頭を客として重要だと考えているとわかった。
 通常であれば、一見の客は誰かの紹介でもなければ玄関どころか木戸もくぐれず、二度、三度と訪問を繰り返し、門扉を管理する家政婦の尾崎が認めなければ家の敷居をくぐれないし、くぐれたとしても玄関対応になることが多い。

 そんな家であるに拘わらず、守頭は初対面(少なくとも沙織は、だ)なのに執事に出迎えられ、さらに応接室にまで案内された。

 父の書斎と応接室がある西の奥は、女子どもの出入り厳禁となっているので、沙織が中の様子をうかがうことはできなかったが、夕方になって初めて、二十二歳にしてようやく、家で一番格式が高い応接室へと招かれた。

 沙織が幼い頃に改築したという応接室は、この家には珍しく洋間だった。
 海の底のような濃藍の壁紙に重厚な暖炉、下に敷かれている絨毯も灰色と圧迫感がすごい。
 中心部は折り上げ天井で、他の場所より一段高く空間が取られているが、そこに時代めいた古く大きなシャンデリアがあるので、せっかくの開放感も台無し。

 このまま誇りを被って色褪せれば、明治だとか大正だとかをテーマにした喫茶室にできるかもしれない。という、時代遅れの応接室には守頭と、着物に袴といった純和装スタイルの服装で腕を組む、黒熊のようにいかつい初老の男――沙織の父が、向かい合って座っていた。

 沙織がソファに近づくと、それまで物音にさえ気付かないといったそぶりで守頭と顔を付き合わせていた父が、こちらを向いて唐突に命じた。

「話が纏まった。沙織、この方と結婚しなさい」

 言い方は穏やかだし口調も普段と変わりないが、眉間に寄った皺が不本意だと伝えている。
 が、その不本意を招いたのが自分がした投資の失敗が原因なのだから、そんな顔をされても困る。むしろ沙織だって不本意だ。

「いきなり結婚と言われましても」
「式まで、守頭君は可能な限りこちらへ通ってくださるそうだ」

 沙織の戸惑いを含む反論を見事に無視して、父は勝手に話を進める。

「式は十一月の第三日曜日あたりか。……入籍後は東京に住むことになるからその心づもりで身辺を整理しなさい」

 まるでこちらの意見を聞く気がない。どころか目も合わせようとしない。まるっきりいつも通りだ。

 沙織と父の関わりといえば、いつもこんな風だ。小さい頃から頭を撫でられたことはおろか、抱き上げられたことすらない。
 近年に至っては視線を合わせようとはしない。
 御所頭家の娘として、どこに嫁いでも可笑しくない教養と知識を備えられるよう、ああしろこうしろの口出しは多かったが、手を上げられたことはない。そのかわり褒められたこともない。
 どうかしたら他人のほうが身近に感じるかもしれないほど、父娘の間柄は希薄だ。

(どうせ余所に嫁ぐか、家のためになる婿を招く駒としか考えてないのでしょうし)

 沙織が高校卒業する時、大学進学までと教師に乞われていたのを一笑に付し、〝あれは嫁にやるのだから〟の一言でおしまいにしてしまったことから明らかだ。

 そして、こうやって、沙織の知らない間に結婚相手が決められるだろうことも理解していた。

(せめて、お見合いならお見合いで、幾ばくかの候補の中から合う方を選んで、それなりの準備期間を経て、人柄を知ってから……が望ましかったのですが)

 冷淡とも言える親子のやりとりを、それ以上に冷淡な目で見つめている男――守頭をちらりと見て、沙織はこっそり息を吐く。
 嫌味なほど整った顔にはなんの感情も見えない。なのに、その金茶まじりの瞳で見つめられると心の奥底まで見抜かれているようで、なんだか居心地が悪い。

 この男と結婚するのか。と自分に問う。

 顔は問題ない。そもそも沙織は外見の美醜にさほど頓着しないたちだ。清潔感があり場に合わせた装いができる程度の常識があれば、あとは望むことはない。

 父に取っては第一に重要だろう財力だって、沙織はあればいいがなくても困らないと考えている。普通の暮らしができればそれでいいと。

 浮気については、別に好き合って結婚する訳でもないのだから、目をつぶるべきだろう。もちろん、沙織はこれっぽっちも不義を働く気はないが、守頭の外見からすれば、女性から言い寄られないことはまずないだろうし、その気になればいくらでも選べるだろう。
 彼がそれをやるかどうかは置いておいて、そこは問題ではない。

 ただ、人として誠実ではあってほしいとは思う。

 今日、沙織を部屋に連れ込もうとした元見合い相手のように、騙したり、物のように扱われるのは嫌だ。

 それに対して、守頭は答える義理もない上、貴女は黙って従えばいいと言って黙らせることもできたのに、律儀に沙織の問いに答えてくれた。

 だとすれば、夫婦として仲睦まじくは無理だとしても、人として共にあることはできるのではないか。
 歩み寄り、より、心地いい関係を作ることは可能ではないだろうか。

(ここで強情を張って断って、彼よりいい人が来るかといえば、多分ない)

 落ちぶれかけている旧家の娘を嫁がせるには、勿体ないほどの相手だ。
 しかも年齢も政略結婚というわりには離れすぎてない。恐らく、八つか、多くても十離れているぐらいだろう。

 ――人生、時には賭けも必要だ。

(虎穴に入らずんば虎児を得ず、ともいいますし)

 結婚という虎穴に入ることで、今より自由になれる可能性があるのなら、代わり映えのない、父の決めた通りの毎日が終わるのなら。

「この結婚、謹んでお受けさせていただきます」
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