お飾り妻は本日限りでお暇いたします~離婚するつもりが、気づけば愛されてました~
 覚悟を決め、沙織が言った途端。ふと、守頭が目を和ませたような気がした。

 きっと契約書にサインでもするように、そつなく、淡々とうなずくだけだと思っていた沙織は、不意打ちの表情に目をまばたかす。

 その間に守頭がソファから立ち上がり、流れるような仕草でポケットに手をいれると、濃紺に金の箔押しでアルファベット二文字が刻まれたリングケースは、ダイヤモンドの売買で有名なアメリカの五番街に本店を置くハイブランドのものだ。

 それを菓子箱でも扱うみたいに気負いなく手の平に載せ守頭が蓋を開けば、無限を表すねじりが二つあるフレームの中央に一カラット以上はあろうかというダイヤモンドがはまった指輪が姿を現す。

 フレームにもメレダイヤがびっしりと埋め込まれたそれは、百合の房花をイメージしたシリーズのもので、三百万はくだらない。

 周囲の光を受け、まぶしいほど輝く白銀の宝飾品に沙織が目を細めていると、いつまでも手を伸ばさないことに焦れたのだろう。
 守頭が沙織の左手を取って、実にうやうやしく薬指に婚約の指輪を嵌めてしまう。

 なんて準備がいい男だろう。

 不埒なお見合い相手から沙織を救い出しただけでなく、父と話を付けるだけの取引材料を用意したあげく、指輪まで揃えているとは。

 どれほど自信家なのか、それとも断られないだけの周到さを持つ策謀家か。

 おそらく両方だろうと、自分の指にぴったりと収まった指輪を見つつ考えていると、不意に手首を惹かれ、沙織はよろめき一歩前にでる。

「あっ」

 声を上げたと同時に守頭の手が沙織の肩を支え、大丈夫ですかと声をかける。
 自分からひっぱっておいて、なにをと戸惑うその耳に、不意に男の顔が近づく。

 どきりとして身を竦ませたと同時に、深い森に迷い混んだような緑と冷たい霧をイメージさせる香りを感じ、それらは鼻孔に入った途端、乾いたレザーと百合に似た匂いに変化する。
 とてもミステリアスかつドラマティックなコロンの香りに、まるで酩酊したように頭がくらりとした瞬間だった。

 どこか笑いを含んだ低い声が、沙織にしか聞こえない囁きでこう告げた。


 ――「これで、貴女は私の妻だ」と。
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