〜Midnight Eden〜 episode3.【夏霞】
「玉置理世の取り調べは私が担当しました」
『神田さんが? 理世……俺について何か言っていました?』

 藍川の薄ら笑いの口元が初めて緊張で引き締まった。恋は盲目と言うけれど、恋は自分の心も見えなくさせる。理世も藍川も不器用な人間だ。

「あなたとの関係は聞いています。偉そうに言えるほど私には恋愛経験がありませんが、あなたと理世がきちんと気持ちを伝えて向き合っていれば、少なくとも理世は元恋人の妻を殺さなかった」
『……元カレにしても俺にしても、理世は男を見る目がなかったんだ。俺なんかに本気になって馬鹿な女だ』

 “馬鹿な女”の一言に込められた藍川の真の想いは理世には届かない。

 不器用な男と女が愛の言葉を囁いていれば、鍛練を積んだ美容師の手を犯罪の鎖で繋ぐことも、儚く散る命も存在しなかった。

 わいせつ事件で少女を傷付け、身勝手な欲望のアート目的で三人の女性を殺害し、友人が好いている女を平気で欲しがる。
藍川が手を下さなくとも、深井貴明はいつかまた犯罪を犯していたに違いない。

深井だけが悪者の世界にしてしまえば藍川は欲しいものを手に入れられた。そうできなかった藍川は、やはり不器用な人間だった。

 藍川の取り調べを伊東班の刑事と交代した美夜は警視庁内の医務室に向かった。人気《ひとけ》のない廊下を歩く彼女の視界に、医務室の扉を開けてこちらに出てきた鳴沢実里が映り込む。

「お身体はもう……?」
「はい。こちらで休ませていただいて少し楽になりました。ご迷惑おかけしました」

 変わり果てた妹の姿にショックを受けた実里は錯乱状態となり、そのまま意識を失っていた。
真夏でも長袖のブラウスとロングスカートを纏う実里は線の細い女性だった。

 まだ足元がふらつく実里を廊下に設置されたソファーに誘導する。
車で送ろうかと提案する美夜に、実里はかぶりを振った。警視庁まで伯母が迎えに来てくれるそうだ。

「栞里から、深井と言う名前のカメラマンの話を聞いた時に嫌な予感はしていたんです。でも深井なんて苗字は珍しくもないからと、私は栞里に何も言わなかった」
「栞里さんはあなたが被害に遭ったことは……」
「ちゃんと話したことはありませんが知っています。あの時の栞里はまだ子どもでしたけど、中学生くらいになれば私と接する両親の態度で、私に何があったかはわかるんでしょうね」

 性被害に遭った子どもを持つ親は、子どもに対して生活や交遊関係を管理したがる過干渉傾向になるか、あるいは子どもへの接し方に悩んで会話すらできなくなり、放任するか。

いずれも事件前の平穏な生活には戻れない。
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