〜Midnight Eden〜 episode3.【夏霞】
 迎えに来た伯母に実里を引き渡した美夜は、街路樹のブロックに腰掛けて夏の夜風に吹かれていた。目の前の桜田通りを行き交う車のヘッドライトをぼうっと眺める彼女の頬にひやりとした固い物が触れる。

『早いとこ残りの報告書作らねぇと徹夜になるぞ』

 九条が美夜の頬にアイスコーヒーの缶を押し当てていた。
受け取ったアイスコーヒーには無糖の文字。相棒は美夜の好みをよくわかっていた。

『優等生もサボりたくなる時があるんだな』
「勘違いしてるようだけど、私は別に優等生でもないよ」

二人は同時にプルタブを開け、何の祝杯かわからない乾杯を缶コーヒーで交わす。

『藍川に感謝してるって言う栞里の姉ちゃんの気持ちが私にはわかるとか、言うんじゃないよな?』
「話、聞いてたんだ」
『盗み聞きじゃない。たまたま廊下歩いてたら聞こえてきただけ』
「あそこの並びには医務室と事務室しかない。九条くんはどっちにも用がなさそうだけど?」

 見え透いた嘘を、九条はコーヒーを喉を鳴らして飲むことで誤魔化した。心配して様子を見に行ったと言えばいいのに九条も素直じゃない。

「PTSDの件がなくても、あの場では誰も実里の殺意を否定できないよ。九条くんだって、実里にかける言葉が思い浮かばないでしょ?」
『そうだな。それは言ってはいけません、なんて俺にも言えないかも』
「でも刑事は殺意を肯定してはいけない。……どんな理由があってもね」

 法の下で動く警察官は常に冷静で公平な判断を求められる。被害者への同情も加害者への怒りも、公平な判断を鈍らせる邪魔者だ。

なのに今回は心がざわざわ騒がしい。

この感情は実里への同調、藍川への同調、理世への同調? 誰に向けての共鳴の感情?

『刑事じゃない神田美夜としては、どうなんだ?』

 九条の投げかけと時を同じくして、ポケットに入れた美夜のスマートフォンが振動した。左ポケットで鳴り響くスマホと右隣でこちらを見据える九条に挟まれた美夜は、どちらにも意識を向けずに通り過ぎる車を傍観する。

「……肯定できる殺意は存在する。私が警察官じゃなければそう言うかもね。コーヒーご馳走さま」

 先に本庁舎に戻る美夜の背中を九条の視線が後追いする。一度も振り返らず警視庁のロビーに入った美夜は、先ほど震えていたプライベート用のスマホを取り出した。

明日は木崎愁との約束の日。スマホに届いた用件を閲覧した美夜の口から漏れたのは、重たい溜息。

明日も疲れる日になりそうだ。
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