〜Midnight Eden〜 episode3.【夏霞】
最初の挨拶は互いにぎこちなく、軽い会釈のみ。どう見ても初めてのデートの待ち合わせをする恋人達だ。
『何?』
「木崎さんのスーツじゃない服は初めて見たなと思って。普通の男の人の服装ですね」
彼の服装はサマーセーターにワイドパンツ、足元はサンダルを合わせたラフなスタイルだ。
愁は小さく息を漏らして笑っていた。彼の柔らかな笑顔も初めて目にする表情だ。
『あんた、俺のこと普通の男だと思ってないよな?』
「普通の男は数回しか会っていない女に恋人役を頼まないかと」
『意外とそんな男だらけかもよ? ……行くか』
自然と片手を差し出してきた愁に、美夜は怪訝に小首を傾げて対応した。まったく噛み合わない彼女の反応に拍子抜けした愁がまた笑っている。
今日の彼はよく笑う。木崎愁という人間の本質がますます不可解になった。
『いきなり恋人らしく振る舞うのも無理あるだろ。手でも繋ぎながら歩けば、少しはそれらしく見えてくる』
「……じゃあ……」
差し出された愁の右手に美夜は左手を絡ませた。以前と違う愁との距離感に心臓を鳴らさないようにしても、色恋に不慣れな彼女の心は高鳴ってしまう。
『舞の前では名前は呼び捨てで構わない。敬語もやめてくれよ。彼女に見えるように努力して』
「見えるようにと言われても……」
『美夜』
以前も電話越しに囁かれた、たった二文字の固有名詞を愁の声で呼ばれただけで、心臓が破裂しそうに痛い。
夕焼け色の赤みが刺す頬をうつむかせて美夜は足元に視線を落とした。
左側に影が伸びている。美夜の影と愁の影が重なり合って、焼け付くアスファルトを覆っていた。
赤坂氷川公園から南方向に向けて美夜と愁は足を進める。愁は長い脚をもて余しながら歩幅を美夜に合わせて歩いていた。
「言われた通り、銀座のパティスリーKIKUCHIでケーキ買って来ましたよ。レモンタルトとザッハトルテと苺のミルクレープで良かったんですよね」
『わざわざ銀座まで行かせて悪かったな。うちのワガママ娘は、決まった洋菓子屋のケーキしか食べないんだ』
愁と繋いでいない右手にはパティスリーKIKUCHIの袋を提げている。最初は手土産は必要ないと断られたが、自宅を訪問するなら高校生相手であっても礼儀はきちんとしたい。
それに今回は愁の恋人としての訪問になる。愁に好意を寄せる少女は、美夜の言動をひとつひとつ細かく審査するだろう。
今後必要となるかもしれない潜入捜査の練習だと思えば、この嘘も少しは気が楽になる。
「木崎さんが大学生と高校生と同居しているのは何か事情が?」
『夏木コーポレーション知ってるか?』
「ホテル業で有名な企業ですよね」
平坦な道から転《ころび》坂に入った。ヒールの高いサンダルを履く美夜が足をとられて転ばないように、愁がしっかり手を繋いで誘導してくれている。
『伶と舞は夏木会長の養子だ。10年前に親が死んで、伶達を会長が引き取った』
「10年前……」
『まだ言ってなかったが、俺は夏木会長の秘書をしている』
ただのサラリーマンにしてはずいぶん上等なスーツを着用しているとは思っていた。園美の見立てではオーダーメイドらしいスーツの理由も、秘書の立場を考えれば合点がいく。
『何?』
「木崎さんのスーツじゃない服は初めて見たなと思って。普通の男の人の服装ですね」
彼の服装はサマーセーターにワイドパンツ、足元はサンダルを合わせたラフなスタイルだ。
愁は小さく息を漏らして笑っていた。彼の柔らかな笑顔も初めて目にする表情だ。
『あんた、俺のこと普通の男だと思ってないよな?』
「普通の男は数回しか会っていない女に恋人役を頼まないかと」
『意外とそんな男だらけかもよ? ……行くか』
自然と片手を差し出してきた愁に、美夜は怪訝に小首を傾げて対応した。まったく噛み合わない彼女の反応に拍子抜けした愁がまた笑っている。
今日の彼はよく笑う。木崎愁という人間の本質がますます不可解になった。
『いきなり恋人らしく振る舞うのも無理あるだろ。手でも繋ぎながら歩けば、少しはそれらしく見えてくる』
「……じゃあ……」
差し出された愁の右手に美夜は左手を絡ませた。以前と違う愁との距離感に心臓を鳴らさないようにしても、色恋に不慣れな彼女の心は高鳴ってしまう。
『舞の前では名前は呼び捨てで構わない。敬語もやめてくれよ。彼女に見えるように努力して』
「見えるようにと言われても……」
『美夜』
以前も電話越しに囁かれた、たった二文字の固有名詞を愁の声で呼ばれただけで、心臓が破裂しそうに痛い。
夕焼け色の赤みが刺す頬をうつむかせて美夜は足元に視線を落とした。
左側に影が伸びている。美夜の影と愁の影が重なり合って、焼け付くアスファルトを覆っていた。
赤坂氷川公園から南方向に向けて美夜と愁は足を進める。愁は長い脚をもて余しながら歩幅を美夜に合わせて歩いていた。
「言われた通り、銀座のパティスリーKIKUCHIでケーキ買って来ましたよ。レモンタルトとザッハトルテと苺のミルクレープで良かったんですよね」
『わざわざ銀座まで行かせて悪かったな。うちのワガママ娘は、決まった洋菓子屋のケーキしか食べないんだ』
愁と繋いでいない右手にはパティスリーKIKUCHIの袋を提げている。最初は手土産は必要ないと断られたが、自宅を訪問するなら高校生相手であっても礼儀はきちんとしたい。
それに今回は愁の恋人としての訪問になる。愁に好意を寄せる少女は、美夜の言動をひとつひとつ細かく審査するだろう。
今後必要となるかもしれない潜入捜査の練習だと思えば、この嘘も少しは気が楽になる。
「木崎さんが大学生と高校生と同居しているのは何か事情が?」
『夏木コーポレーション知ってるか?』
「ホテル業で有名な企業ですよね」
平坦な道から転《ころび》坂に入った。ヒールの高いサンダルを履く美夜が足をとられて転ばないように、愁がしっかり手を繋いで誘導してくれている。
『伶と舞は夏木会長の養子だ。10年前に親が死んで、伶達を会長が引き取った』
「10年前……」
『まだ言ってなかったが、俺は夏木会長の秘書をしている』
ただのサラリーマンにしてはずいぶん上等なスーツを着用しているとは思っていた。園美の見立てではオーダーメイドらしいスーツの理由も、秘書の立場を考えれば合点がいく。