〜Midnight Eden〜 episode3.【夏霞】
 愁の部屋はモノトーンで統一された、良く言えばシンプル、悪く言えば殺風景な部屋だった。家具はダブルベッドとデスクと本棚のみ。

ソファーや座布団もない室内のどこに腰を落ち着かせればいいかわからず、美夜は手持ち無沙汰に書棚に詰まった本の背表紙をひとつひとつ眺めた。

 本の趣向は持ち主の内面を反映する。
愁の書棚にはエンターテイメント性を重視した作品は少なく、文芸作品は初めて会ったあの日に彼が読んでいた梶井基次郎《かじい もとじろう》、海外作品ではシェイクスピア、ドストエフスキー。

他は旅行記や天文学、歴史や数学関係の読み物が半数を占めていた。

 アイスコーヒーのグラスを二つトレーに載せて愁が戻ってきた。

「本好きなんですね。ムゲットで初めて会った日も本を読んでいましたよね」
『唯一の趣味。本読むか勉強するか、そうしてる時だけは誰にも話しかけられねぇし、人と無理して会話しなくてもいいだろ』
「私も図書館で勉強している時によくそう思っていました」

 ベッドに腰かけた愁が、ここに座れとジェスチャーを送る。少しの迷いの末に彼女は愁の隣に座り、サイドテーブルに置かれたグラスに手を伸ばした。

時と場合では砂糖とミルクの入った甘いカフェオレも好むが、普段の美夜はコーヒーは無糖派だ。

今日は緊張のためか、体が糖分を欲している。適度に入れたガムシロップとミルクをストローでかき混ぜると、甲高い音を鳴らしてコーヒーの海を氷が泳いだ。

「だけど木崎さんの本棚にロミオとジュリエットがあるのは意外でした」
『あれは俺の趣味じゃない。高校の先輩に借りて、そのまま返しそびれた本』
「どうしてロミジュリを?」
『一年の時に文化祭のクラスの出し物がロミジュリの劇だったんだ。十六歳にもなってラブストーリーの劇だぞ。アホらしい』

 愁はストローを使わずにグラスに口をつけている。アイスコーヒーを飲み込む喉仏が動く様子が扇情的に映り、彼女は目をそらした。

「木崎さんがロミオをやったんですか?」
『やるわけないだろ。俺は当日暇になる脚本係。たまに会って話をする仲の先輩がロミジュリの本持ってるって言うから、台本書くために小説借りたんだ。タイミングが合わなくて返しそびれて、先輩は卒業した』

今の愁からは高校生の姿は想像もできない。けれど表の舞台には上がらず、当日の仕事がないに等しい脚本係は愁に似合っていた。

「先輩からの借り物を手放さずに持ち続けているなんて律儀ですね」
『いつかどこかで会えたら返そうと思っても、卒業したら学生時代の奴らには滅多に会わないものだよな』
「そうですね。私も学生時代の友達と会うのは誰かの結婚式くらいですよ」

 そのまま会話が途切れて二人は沈黙した。たった二回、顔を会わせただけの男と女が話せる話題は多くない。

 ムゲットで相席になった時もバーで飲んだ時も、たびたび無言の時間は訪れた。二人の間に流れる静の空気は穏やかで心地いい。

そうしてどちらともなく会話が始まる。
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