〜Midnight Eden〜 episode3.【夏霞】
 今日もまた、どちらかの口が開きかけるまで美夜も愁も沈黙の心地よさに身を任せていた。愁のグラスは空になり、美夜のグラスに入るコーヒーも半分以下になった頃合いに、控えめなノックと愁を呼ぶ声が響いた。

 細く開いた扉から顔を覗かせたのは舞だ。

「ご飯できたから愁さん達呼んで来てってお兄ちゃんが……」
『ああ、ありがと』
「私何もお手伝いしてなくて……」
『いいんだよ。伶は台所に他人が入るのを嫌うんだ。美夜は何もしなくていい』

 舞の前での愁の切り替えの早さには目を見張る。
態度も言葉遣いも、舞の前では知り合いの木崎愁から恋人の木崎愁に切り替わっている。それも不自然ではなく自然に、彼が向ける眼差しには美夜への慈しみが込められていた。

(恋人ってこんなに甘ったるいものだったかな……)

 恋人はもう何年もいない。大学時代にアプローチをされて一時期交際していた相手がいたが、結局は容姿の良い美夜を連れ歩いて周りに見せびらかすことで承認欲求と優越感を満たしたいだけの、つまらない男だった。

 自分から誰かを好きになったのは学生時代の初恋くらい。その昔話も思い出したい過去ではない。
恋の仕方なんて忘れてしまった。そんなもの必要ないと思っていた。

 けれど愁の言葉も瞳もぬくもりも、すべて偽物。
二人は偽物の恋人達。ここにあるのはイミテーションの愛。
心に生まれた小さな熱情もきっとイミテーション。

そう思い込まないと勘違いしてしまうから。そんなに優しく見つめないで……。

 木の素材にガラスの天板が張られたダイニングテーブルには四人分のランチョンマットが敷かれ、来客の美夜は上座の位置に席が用意されていた。
愁は美夜の隣に、美夜の前には伶、愁の前には舞の席があり、四人でテーブルを囲む。

『愁さんから神田さんの好き嫌いはないと聞きましたが、白身魚は平気ですか?』
「大丈夫です。美味しそうね。これを全部伶くんが?」

 食卓には白身魚のホイル焼きにビシソワーズ、ほうれん草入りのオムレツとマカロニサラダが並んでいる。
< 76 / 92 >

この作品をシェア

pagetop