〜Midnight Eden〜 episode4.【月影】
 静かな部屋で時計の針が泣いている。
間もなく22時。美夜の誕生日の終了まであと2時間だ。

 今年も祖母からは宅配でプレゼントが届けられた。宅配便の中身は、祖母が趣味で通っている陶芸教室で作ったご飯茶碗と湯呑み。
同封された達筆な文字のカードには、ちゃんと米を食べろとのメッセージ付きだった。

 母からは何の音沙汰もない。父は言わずもがな、二人とも今日が娘の誕生日であることも忘れているだろう。

今さら寂しくはなかった。今日《こんにち》まで28年、両親に誕生日を祝われた経験はない。
祝ってくれるのは、いつも神田家と松本家の大好きな祖父母達だった。

 そろそろシャワーを浴びて寝てしまおうか。そう思いつつソファーに寝転んで彼女は、スマートフォンのトークアプリを開いた。

木崎愁とのトーク画面には昨晩と今朝に美夜が送ったメッセージの下についた既読の文字と、出てくれなかった電話の履歴が虚しく並んでいる。

 漏れる溜息は落胆と安堵のどちら?
来ないで欲しい、来て欲しい。

会いたくない、会いたい。忘れたい、忘れたくない。拮抗する想いが美夜の心を掻き乱して壊していく。

 春雷の相席も梅雨の夜に酌み交わした酒の味も、花火の音を聴きながら交わしたキスも、首都高から見た東京の夜景も、期待できない誕生日の約束も、月夜の晩に明かされた真実も……。

春と夏と秋、愁と過ごした季節の記憶すべて、このまま静かに明日を迎えて明後日になって、そうして静かに消えて欲しかった。

 何もなかったことにして忘れて消えたら、この心の痛みも消えてくれるの?
彼が自分とは絶対に相入れない存在だと知っても、まだ彼を待ち続けている自分に呆れ果てた。

 手元のスマホが軽やかなメロディを鳴らして着信を告げる。期待に一瞬疼いた心をどうにか鎮め、怖々と目にした画面の名前に涙が滲んだ。

どうして忘れさせてくれない?
どうして消えてくれない?

「……もしもし」
{……今、家の前にいるんだけど}

 鼓膜に届いた待ち続けた彼の声。止められない衝動が彼女を窓辺に誘った。

開いた窓から顔を出すと、暗がりにのっぽの人影が見えた。あの立ち姿は紛れもなく木崎愁だ。

「……おかげさまで5日間の謹慎処分になりました」
{暇なら二人で旅行でも行くか?}
「謹慎の意味わかってる? 家から出るなってことなの」
{クソ真面目な女だな。……部屋、入れてくれない?}

 電話越しの愁の息遣いすら美夜の心臓を騒がせる。部屋に入れたら最後、引き返すなら今だ。そんなことわかっている。

「今オートロック開ける。部屋は三○三号室」
{ん。じゃ、後で}

ぷつりと通話の途切れたスマホが、何か言いたげに主を見上げる。暗くなった液晶画面には、引き返せない地獄への覚悟を決めた神田美夜が映り込んでいた。
< 88 / 96 >

この作品をシェア

pagetop