〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
「じゃあ今日はなんでここに来たの?」
『最後の晩餐は白石シェフのパスタと園美さんのコーヒーって決めていた。いつ桜田門の権力が取っ捕まえに来るかわからないからなぁ。檻の中じゃ、こんな上手い飯食えねぇだろ?』
カプレーゼのトマトとモッツァレラチーズを咀嚼しつつ彼は不敵に微笑した。捕まる気もないくせに、最後の晩餐とほざいて美夜を試す愁が憎らしくて愛しくて、苦しかった。
美夜がオーダーしたトマトのクリームパスタと、愁がオーダーしたペンネアラビアータがカウンターに仲良く並ぶ。雪斗が作るパスタは確かに最後の晩餐に選びたくもなる絶品の味だ。
厨房で仲睦まじく料理の仕込みを行う園美と雪斗の姿が微笑ましい。
結婚だけが幸せの形とは思わない。結婚しても笑顔ではない人もいる。
子どもを産んでも捨ててしまう母親もいる。子どもを授かれない苦しみを経験する女もいる。
日本とイタリアの遠距離恋愛を経て結婚した園美達にも、不妊の悩みや葛藤の過去があった。きっと今も、夫妻は人には見えない悩みや葛藤を抱えている。
だけどここで出迎えてくれる園美と雪斗は、いつだって笑顔だ。
夫の隣で微笑む園美をほんの少し羨ましいと思うのも、それもこれも全部、何食わぬ顔で美夜の隣に居続ける男のせいだった。
帰りがけに園美が愁に、片手に収まるほどの小さな紙袋を渡していた。彼はそれを無造作にコートのポケットに押し込んだが、ムゲットで愁が購入する品物は思い当たらない。
食後のコーヒーと共に出されたクッキーの余りを、舞への土産にでもしたのだろう。
見送る園美に会釈して、二人一緒に暖かな地下の楽園に別れを告げた。一歩ずつ踏みしめる地上への階段は、地獄まで続く茨《いばら》の道。
自然と繋がれた手と手はどちらからもほどけない。絡み合う男と女の指先が静寂《しじま》の空気に揺れた。
送ってくれと頼んでもいないのに愁の足は美夜の家の方向に向いていた。坂道を登って角を曲がれば、美夜の自宅はすぐそこ。
短い散歩道の終着は、赤レンガのマンションの手前。
「帰りに赤坂の街を見て考えてた。こんなに沢山の人がいるのに、どうして私はあなたなんだろうって」
闇と同化する愁の黒いコートが視界いっぱいに広がった。抱き寄せられた胸元に染み付く煙草と冬の匂いが、心の奥を甘噛みする。
後悔しても昨日はどこにも落ちてない、急かしても明日は降ってこない。あるのは刹那の今。
『……美夜』
「何?」
『……いや、いい』
珍しく口ごもった愁は言いかけた何かを誤魔化すように薄く笑って、冷たい唇を美夜に寄せた。拒めなかった今宵のキスは、極上に甘ったるくて気が狂う。
街の暗がりに隠れた秘密の恋人達は唇の上で別れを惜しんだ。
会うたびに思い知らされる。骨の髄《ずい》まで彼を愛してしまったことを。
会うたびに刻み込まれる。骨の髄まで、彼に愛されていることを。
『最後の晩餐は白石シェフのパスタと園美さんのコーヒーって決めていた。いつ桜田門の権力が取っ捕まえに来るかわからないからなぁ。檻の中じゃ、こんな上手い飯食えねぇだろ?』
カプレーゼのトマトとモッツァレラチーズを咀嚼しつつ彼は不敵に微笑した。捕まる気もないくせに、最後の晩餐とほざいて美夜を試す愁が憎らしくて愛しくて、苦しかった。
美夜がオーダーしたトマトのクリームパスタと、愁がオーダーしたペンネアラビアータがカウンターに仲良く並ぶ。雪斗が作るパスタは確かに最後の晩餐に選びたくもなる絶品の味だ。
厨房で仲睦まじく料理の仕込みを行う園美と雪斗の姿が微笑ましい。
結婚だけが幸せの形とは思わない。結婚しても笑顔ではない人もいる。
子どもを産んでも捨ててしまう母親もいる。子どもを授かれない苦しみを経験する女もいる。
日本とイタリアの遠距離恋愛を経て結婚した園美達にも、不妊の悩みや葛藤の過去があった。きっと今も、夫妻は人には見えない悩みや葛藤を抱えている。
だけどここで出迎えてくれる園美と雪斗は、いつだって笑顔だ。
夫の隣で微笑む園美をほんの少し羨ましいと思うのも、それもこれも全部、何食わぬ顔で美夜の隣に居続ける男のせいだった。
帰りがけに園美が愁に、片手に収まるほどの小さな紙袋を渡していた。彼はそれを無造作にコートのポケットに押し込んだが、ムゲットで愁が購入する品物は思い当たらない。
食後のコーヒーと共に出されたクッキーの余りを、舞への土産にでもしたのだろう。
見送る園美に会釈して、二人一緒に暖かな地下の楽園に別れを告げた。一歩ずつ踏みしめる地上への階段は、地獄まで続く茨《いばら》の道。
自然と繋がれた手と手はどちらからもほどけない。絡み合う男と女の指先が静寂《しじま》の空気に揺れた。
送ってくれと頼んでもいないのに愁の足は美夜の家の方向に向いていた。坂道を登って角を曲がれば、美夜の自宅はすぐそこ。
短い散歩道の終着は、赤レンガのマンションの手前。
「帰りに赤坂の街を見て考えてた。こんなに沢山の人がいるのに、どうして私はあなたなんだろうって」
闇と同化する愁の黒いコートが視界いっぱいに広がった。抱き寄せられた胸元に染み付く煙草と冬の匂いが、心の奥を甘噛みする。
後悔しても昨日はどこにも落ちてない、急かしても明日は降ってこない。あるのは刹那の今。
『……美夜』
「何?」
『……いや、いい』
珍しく口ごもった愁は言いかけた何かを誤魔化すように薄く笑って、冷たい唇を美夜に寄せた。拒めなかった今宵のキスは、極上に甘ったるくて気が狂う。
街の暗がりに隠れた秘密の恋人達は唇の上で別れを惜しんだ。
会うたびに思い知らされる。骨の髄《ずい》まで彼を愛してしまったことを。
会うたびに刻み込まれる。骨の髄まで、彼に愛されていることを。