〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
 徒歩で辿り着いた場所は虎ノ門四丁目。夏木コーポレーション本社ビルの隣には夏木十蔵が住居を構える高層マンション、グロリアスタワー虎ノ門が仁王立ちしている。

 夏木邸の合鍵として渡されているカードキーで、伶はまずオートロックを解除する。マンションのコンシェルジュは交代制の24時間勤務。夜勤担当のコンシェルジュが伶に深々と頭を下げた。

コンシェルジュに笑顔で挨拶を返してフロントの前を通り過ぎ、彼はエレベーターホールに繋がる二つ目のセキュリティもカードキーで解除した。

 スカイロビーで乗り換えた二つ目のエレベーターは、最上階の四十一階まで一気に上昇する。地上から天へ、その距離を高速で埋める密室の箱の中で伶は黒の革手袋を装着した。

コンシェルジュにもマンションの防犯カメラにも伶の姿は捕捉された。もう後戻りはできない。

 エレベーターホールと住居空間を隔てる三つ目の扉のセキュリティも難なく突破して、伶は夏木邸に侵入した。コートのポケットに両手を忍ばせ、彼は玄関から伸びる長い廊下の突き当たりで立ち止まる。

夜景が一望できる大きな窓のついたリビングでは、着流し姿の夏木十蔵が晩酌を愉《たの》しんでいた。

今夜の相棒は珍しくワインだ。大理石のテーブルにはワインボトルとグラス、カッティングボードの上にはスライスされたチーズと、その横に小型のチーズナイフが添えてある。

 予告なく現れた伶に夏木は怪訝に眉を潜めた。

『なんだ、伶。今夜は呼んでないぞ』
『俺が会長に用があるんですよ』

 室内は大音量のオーケストラが流れていた。聴き覚えのある旋律と合唱はモーツァルトのレクイエム、怒りの日。こんな夜には、おあつらえ向きの選曲だ。

『会長が一度も見舞いにも来てくれないと舞が気にしていました。父親なら娘を気遣うべきではないでしょうか?』
『お前もわかるだろう。今はそれどころじゃない』
『それどころじゃないなら何故、悠長に酒なんか飲んでいるんです? 舞の見舞いにも来ない、厄介な後始末は愁さんに丸投げ。それでよく偉そうに玉座に座っていられますよね。恥ずかしい大人だ』

ソファーでふんぞり返る夏木に背を向けて、伶は東京の夜景を映す暗い窓辺に佇んだ。流れ続けるレクイエムの旋律に夏木十蔵の怒りが上乗せされる。

『伶。今夜は少し言葉が過ぎるな』
『申し訳ありません。話は変わりますが、会長は舞を可愛いと思っていますか? 愛しいと感じていますか?』
『舞の容姿は紫音に生き写しだ。可愛がらないわけがないだろう』
『……今の答えで確信しました。会長にとって舞は、母さんの身代わりの人形でしかないのですね』

 レクイエムは〈怒りの日〉から〈奇しきラッパの響き〉に切り替わる。
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