〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
 夜景の窓辺を離れた伶は、ショルダーバッグから取り出した麻なわのロープの両端をそれぞれ両手に巻き付けた。伶の行動から彼の真意を察した夏木は、薄ら笑いの口元にまた酒を流す。

『私を見くびるな。お前なんぞに簡単に殺されるほど老《お》いぼれてはいない』
『こっちは本気です』
『お前を明智の家から解放してやった恩を忘れたか?』
『恩? ふざけないでください。あなたが俺と舞を引き取ったのは、ただの自己満足だ。俺の父親が邪魔になって愁さんに殺させ、母に生き写しの舞を都合のいい人形にしたかっただけでしょう。俺のことも跡取りにちょうどいい人形としか思っていない』

 テーブルのチーズナイフを夏木が取るより早く、伶は酔いつぶれた老体を蹴り飛ばした。大言壮語を口にしても、還暦を過ぎた身体とアルコールの酔いが相まって夏木の身体は無抵抗にソファーの下に転がり落ちる。

『俺がどうして、エイジェントの殺害方法に絞殺を選んだかわかりますか?』

 うつ伏せの姿勢で床に這いつくばった哀れな養父へ、伶は容赦なく制裁の蛇を差し向けた。シワが刻まれた太い首もとに牙を剥いた白蛇がしゅるりと絡み付き、もがき苦しむ夏木十蔵の命を弄ぶ。

『ロープに吊られて母さんが揺れていたんだ。今でもはっきり思い出せるほど、首を吊った母さんの姿は俺には衝撃的な光景だった。母さんは会長を愛したかもしれない。でも会長の存在が母さんを苦しめた。あんたさえ母さんと関わらなければ、俺には妹がいなかっただろう。こんな最低な父親の下に生まれるしかなかった舞と愁さんが、あまりにも不憫《ふびん》だ』

夏木十蔵と夏木伶に捧げるレクイエム。玉座から引きずり下ろされた裸の王様を見下ろす彼の瞳は、怒りの炎で燃えていた。

『あんたに舞と愁さんへの愛情がひと欠片でもあれば、俺もあんたへの殺意は生まれなかった。俺は別にいいよ、あんたの息子じゃないからな。だけどあんたと血が繋がってる舞と愁さんの気持ちを一度でも考えたことがあるのか?』

 静謐《せいひつ》の旋律を滑るソプラノが王様の代わりに悲鳴を上げる。首に巻き付く白蛇が命の期限のカウントダウンを刻み始めた。

『あんたは自分しか愛せない人間だ。母さんを愛する資格も母さんに愛される資格も、舞と愁さんの父親を名乗る資格もない』

 そうして審判者の手で裁かれた裸の王は、床に伏したまま動かなくなった。王の首から離れた白蛇が審判者の手元で震えている。
震える白蛇を握りしめる彼の黒色の手も震えていた。

 白蛇に巻き付かれて揺れる母の残像のフラッシュバック。宙にゆらゆらゆれる母が纏う白いワンピースは、彼女のお気に入りの洋服だった。

頬を流れた雫は15年前の記憶の涙?
それとも現在の夏木伶が溢した涙?

ゆらゆらゆれる白い蛇。
ゆらゆらゆれる白いワンピース。
ぽろぽろこぼれた過去と現在《いま》。

戻れない真っ黒な深淵へ。
こちら側は愉《たの》しいよ。
こちら側は正しいよ。

深淵で待つ真っ白な大蛇がこっちへおいでと手招きをして、微笑んでいた。
< 132 / 185 >

この作品をシェア

pagetop