〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
「お正月そっち帰れないかも。仕事忙しくて。ごめんね」
{そっかぁ。警察さんは年の暮れもお正月も関係ないもんねぇ}
「年の暮れもお正月も悪さする人達がいるからね。……お母さんにも連絡しようと思ったけど、止めちゃった。冷たくされたらどうしようって怖いみたい。二十八なのに小学生の子どもみたいだよね」

 祖母への電話の前、アドレス帳から選んだ番号は母の携帯番号だった。躊躇の末に押せなかった通話発信のボタン。

{美夜ちゃん、ごめんなぁ。ばぁちゃんが栄子《えいこ》に厳しくしてきたせいで、美夜ちゃんも辛い思いしたなぁ}
「お祖母ちゃんは悪くないよ。お母さんと私の相性の問題。親子でも違う人間だから相性はあるよね。それにお母さんは警察に入った私をまだ許してないのよ」

 警察官の職業は初めて自分で選んだ道だった。
子どもの頃は母の言うとおりに勉強して、母が選んだ進学塾に行き、母が選んだ高校に通った。美夜の進路はいつも母親が選んできた。
そうすれば間違いがない、立派な大人になれると教育されてきた。

 立派な大人とは何? 間違いがない?
勉強は確かに裏切らない。学べば学ぶほど身になり、勉学が苦痛だとは思わなかった。

でも母が口癖のように語る立派な大人の人物像が、美夜にはいまいち理解できなかった。
母も父も、美夜にしてみれば決して立派な大人ではなかったから。

 栄子は美夜を東京大学に進学させるつもりだった。美夜も幼い頃より母に言われるがまま東大を目指してきた。

初めて母に反抗した大学受験。美夜が選んだ進学先は東大ではなく、東大と同ランクの一橋大学の法学部。
美夜が一橋大を選んだと知った時の顔面蒼白の母の顔は今も忘れない。

{ばぁちゃんも美夜ちゃんが警察官になると聞いた時はびっくりはしたなぁ}
「私が選んだ道を応援してくれたのはお祖母ちゃんと伯父さんだけだよ。あと、ちゃちゃ丸もか。ちゃちゃ丸ー? 起きてるー? ちゃちゃ丸ー?」

スマホのあちらとこちらで美夜の呼び声と猫のちゃちゃ丸の鳴き声が交差した。

{さっきご飯を食べてごろごろしてるところだよ。ちゃちゃ丸も早起きさんでねぇ、ばぁちゃんが寝てる枕元で飯くれぇって鳴いて催促してくるんだよ}
「ふふっ。じゃあ今はちゃちゃ丸のお腹はまんまるだね」

 ふわふわの優しさの塊が幸せな顔で寝転がる姿が目に浮かぶ。あの毛むくじゃらの塊の側にいるだけで、穏やかな気持ちになれた。
友達の結婚式を名目にした夏の帰省以来、祖母にもちゃちゃ丸にも会えていない。

「……私はお祖母ちゃんと、ちゃちゃ丸がいてくれたから大丈夫だったんだと思った。……だから踏みとどまれた」
{ん? 何て?}
「……ううん。そろそろ切るね。私も仕事行く準備するよ」
{朝ご飯はちゃぁんと食べるんだよ}
「わかってるって。お祖母ちゃんが陶芸教室で作ってくれたお茶碗、大事に使ってるよ。……じゃあまたね」

 涙の気配を圧し殺して美夜は通話を終わらせた。
彼女のスマホのロック画面は、いつかに撮影したちゃちゃ丸の写真だ。くりっとしたビー玉の瞳が美夜を見据えている。

「ちゃちゃ丸……。お祖母ちゃんを頼んだよ……」

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