〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
『今年の初めだったか……夏木の付き添いで大学の講演会に出た時に大学関係者に渡辺先輩がいたんだ。情報源はそこかもな』
「一課長に連絡してきたのは、その渡辺さん?」

 美夜の問いに愁はすぐには返事をしなかった。
水溜まりをタイヤで弾きながら片側一車線の国道を走る車が、鬼怒川温泉地域を通り過ぎた。

『今の捜査一課長って上野恭一郎だったよな』
「そうだけど……」
『じゃあ、連絡してきたのはさしずめ、渡辺亮か木村隼人のどっちかだな』

 また知らない名前が登場する。ひとりで納得する愁の隣で美夜は少し頬を膨らませ、説明を求める睨みの眼差しを送った。
膨れっ面の美夜の頭を、苦笑いの愁は空いた片手で軽く撫でた。

『拗ねるなよ。お前のとこの一課長の交遊関係は大方調べてある。上野恭一郎の親しい人間の中に、当時の生徒会メンバーだった俺の先輩がいたんだよ。それが木村隼人』
「木村さんが文化祭の脚本のためにロミジュリの本を貸してくれた先輩?」
『ロミジュリの本を貸してくれた先輩は、人気バンドのギタリスト』
「はぁ? ちょっと意味がわからない……」

どうしていきなり第三の登場人物に人気バンドのギタリストが出てくるのか、愁の交遊関係は不可解だ。

 上野一課長は、彼がまだ警部の時代に遭遇した殺人事件の事件関係者と今でもプライベートで交流を持っている。その事件関係者が愁の高校時代の先輩である木村隼人と渡辺亮だった。愁はそれだけを話してくれた。

 九条大河、杉浦誠、小山真紀、上野恭一郎、ムゲットの白石夫妻……東京に置いてきた大事な居場所。東京に置いてきた大事な人達。
愁との逃避行の道を選んだ美夜が負った代償は大きい。

『九条のこと考えてるだろ。顔に書いてある』
「相棒の名前はどうしても消せないよ。九条くんにも上司や同僚達にも申し訳ないって思ってる」

 東京に置き去りにしたバレッタの下には不甲斐ない相棒としてのせめてもの懺悔《ざんげ》。あの謝罪のメッセージは、九条の遠回しな告白に対する美夜の遠回しの答えだ。

それ以降は愁も九条の名前を一言も出さなかった。
九条の隣か、愁の隣か。刑事の使命か、女の愛欲か。相反する感情が渦巻く美夜の心情を愁も汲んでいる。
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