〜Midnight Eden〜 episode5.【雪華】
恋の甘い余韻が微《かす》かに残る頃、九条が図工室に姿を見せた。雪枝の両親との面会を終えた彼は、美夜とも愁とも目を合わせずに四角い木の椅子に窮屈そうに腰を降ろす。
「九条くん出動まで時間ないよ。支度して」
『……ああ』
テーブルに両肘をつき、伏せた顔を上げずに九条は答える。美夜が用意を急かしても、彼は椅子に座ったまま動かない。
『一番顔を見たくない奴がここにいるんだけど。なんで民間人も一緒なんだ? どう考えてもあんたは足手まといだろ』
猫背に丸めた背中が揺れて、顔を上げた九条が愁を睨みながら吐き捨てた言葉は彼らしくない毒だった。凍えた空気に渦巻く敵意が、九条と愁の間を流れている。
珍しく甘えん坊な愁が元に戻った途端に、珍しく尖った九条が現れた。どいつもこいつも困った男達だ。
九条の暴言を愁は気にもしていない様子だが、それが余計に九条の怒りを煽ってしまった。
『おい、黙ってねぇで何か言え』
「九条くん。こんな時に突っかからないで。何を苛立ってるの? 一課長に潜入を志願したさっきまでの覇気がなくなってるよ」
険悪な眼差しで愁を睨みつける九条と、八つ当たりをされても涼しげな横顔で九条の睨みを受け止める愁の間に美夜は割って入る。
所轄時代の合同捜査本部で九条と初めて会った時から幾度も、美夜は九条と軽口を叩き合ってきた。
今はそれほどではなくとも、バディ結成時は何かにつけて美夜の学歴を持ち出してエリートだと悪態をついたり、顔と頭は良い女だとか、失礼にも程がある物言いをする九条の相手を面倒に感じもした。
だが、九条の本質は善意と優しさで出来ている。彼は単に困ってる人をほうっておけない、お人好しのお節介な人間だ。
そんな善意の塊のような男が愁に向けた一方的な敵意は、あまりにも九条らしくない。
ジョーカーの疑惑を背負う愁の背景を考慮しても、ここで愁に当たり散らすのは間違っている。
『雪枝ちゃんの親の話はたまに聞いてたんだ。母親は勉強も習い事も、生活態度も理想の娘像を押し付ける人らしくて、それがキツイって。今日、その意味がやっとわかったよ。あの子の親は、雪枝ちゃんの悩みを何ひとつ理解してなかった。今も、娘がそんなことするはずないって母親はヒステリックになってさ、親が子どもの本当の姿を知らないって笑えるよな』
どうやら雪枝の両親との面会が九条の心を荒《すさ》ませてしまったようだ。彼は美夜の叱責によって、再び頭《こうべ》を垂らした。
『だけど、あの子の親と話してみて俺が雪枝ちゃんに言ってきたことも全部、綺麗事だったと思い知ったんだ。何でも愚痴を言っていいよってこちらが手を差し伸べても、雪枝ちゃんは俺には本当の気持ちを言わなかった。それは俺が雪枝ちゃんの苦しみを理解できていなかったからだ』
「相変わらず考えが生ぬるいね。他人の苦しみを理解しようだなんて思い上がりもいいところ」
弱音を吐露する九条に背を向けた美夜は、アタッシュケースの鍵を解錠した。中に入る二丁の拳銃は10月に伊吹大和を警護した時と同じく、SIG SAUER《シグ・ザウエル》 P230だ。
「九条くん出動まで時間ないよ。支度して」
『……ああ』
テーブルに両肘をつき、伏せた顔を上げずに九条は答える。美夜が用意を急かしても、彼は椅子に座ったまま動かない。
『一番顔を見たくない奴がここにいるんだけど。なんで民間人も一緒なんだ? どう考えてもあんたは足手まといだろ』
猫背に丸めた背中が揺れて、顔を上げた九条が愁を睨みながら吐き捨てた言葉は彼らしくない毒だった。凍えた空気に渦巻く敵意が、九条と愁の間を流れている。
珍しく甘えん坊な愁が元に戻った途端に、珍しく尖った九条が現れた。どいつもこいつも困った男達だ。
九条の暴言を愁は気にもしていない様子だが、それが余計に九条の怒りを煽ってしまった。
『おい、黙ってねぇで何か言え』
「九条くん。こんな時に突っかからないで。何を苛立ってるの? 一課長に潜入を志願したさっきまでの覇気がなくなってるよ」
険悪な眼差しで愁を睨みつける九条と、八つ当たりをされても涼しげな横顔で九条の睨みを受け止める愁の間に美夜は割って入る。
所轄時代の合同捜査本部で九条と初めて会った時から幾度も、美夜は九条と軽口を叩き合ってきた。
今はそれほどではなくとも、バディ結成時は何かにつけて美夜の学歴を持ち出してエリートだと悪態をついたり、顔と頭は良い女だとか、失礼にも程がある物言いをする九条の相手を面倒に感じもした。
だが、九条の本質は善意と優しさで出来ている。彼は単に困ってる人をほうっておけない、お人好しのお節介な人間だ。
そんな善意の塊のような男が愁に向けた一方的な敵意は、あまりにも九条らしくない。
ジョーカーの疑惑を背負う愁の背景を考慮しても、ここで愁に当たり散らすのは間違っている。
『雪枝ちゃんの親の話はたまに聞いてたんだ。母親は勉強も習い事も、生活態度も理想の娘像を押し付ける人らしくて、それがキツイって。今日、その意味がやっとわかったよ。あの子の親は、雪枝ちゃんの悩みを何ひとつ理解してなかった。今も、娘がそんなことするはずないって母親はヒステリックになってさ、親が子どもの本当の姿を知らないって笑えるよな』
どうやら雪枝の両親との面会が九条の心を荒《すさ》ませてしまったようだ。彼は美夜の叱責によって、再び頭《こうべ》を垂らした。
『だけど、あの子の親と話してみて俺が雪枝ちゃんに言ってきたことも全部、綺麗事だったと思い知ったんだ。何でも愚痴を言っていいよってこちらが手を差し伸べても、雪枝ちゃんは俺には本当の気持ちを言わなかった。それは俺が雪枝ちゃんの苦しみを理解できていなかったからだ』
「相変わらず考えが生ぬるいね。他人の苦しみを理解しようだなんて思い上がりもいいところ」
弱音を吐露する九条に背を向けた美夜は、アタッシュケースの鍵を解錠した。中に入る二丁の拳銃は10月に伊吹大和を警護した時と同じく、SIG SAUER《シグ・ザウエル》 P230だ。