七槻くんの懐き度
「……ちかれた」

 そんな七槻くんは、家では威厳も貫禄もへったくれもない。

 ごく自然に私の家に帰宅した七槻くんは、ソファに座ってコテンと私の肩に頭を預ける。そのままぐりぐりぐりと頭を動かせるのは、ワックスも何もつけてないさらさらの髪のお陰だ。

「おつかれ」

「……今日、部長に、部下は黙って言うこと聞いてりゃいいんだよみたいなこと言われて」

「珍しいね。部長、あんまり上下関係気にしない人なのに」

「そうなんだよねー。だからちょっとショックだったってのもあって」

 そのまましがみつかれると、まるで大型犬に圧し掛かられているかのような体勢になってしまった。お陰で気分も大型犬を愛でているようで、よしよしと頭を撫でる。でかい態度と声の裏でも色々と思うところがあるらしい、というのは付き合って初めて知った。

 そして結構、甘えん坊だ。顔を上げたかと思うと、下から覗き込むようにして唇に唇を寄せる。ちゅ、と軽くキスをした後は、再び私の胸に埋《うず》もれた。

「そういえば今日、維織《いおり》がモテてたよ」

「俺がモテてたって、何その情報」

「ランチのとき、例によって維織の話になって。八代さんがその気になれば盗れるから彼女いても関係ないって話を」

「あの人、彼氏いなかったっけ?」

 渋い顔を見ていると、七槻くんが八代さんのことを「あの人、化粧厚塗りしないほうがきれいなのにね」と微妙にディスったことを思い出す。仕事の鬼の七槻くんは同僚に対して容赦がない。

「別れたらしいよ、最近」

「あー、そうなんだ。てか彼氏がモテてるのになんでそんな余裕なの」

「余裕でしょう、そりゃ」

 企画部エースの七槻くんの多忙さはよくよく知っている(というか見ている)。そのくせ、七槻くんはよっぽどのことがなければ私の家に帰ってくるし、土日だって「友達いないの?」と訊きたくなるくらい私と一緒にいる。それでもって、私が「友達とご飯食べてくる」なんて言った日にはまるで子犬みたいな目をする。

 そんな七槻くんが他の女になびくところを想像できるだろうか、いやできない。

「……まあ、告ったの俺だもんなあ」

「付き合ってしまえばどっちが告ったもなにもないでしょ」

 それなのに、七槻くんはそんな昔話を持ち出す。仕事の自信がステータスに裏打ちされているのと同様、私との関係に対する自信はその過去に揺らがされているらしい。
< 3 / 5 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop