そのモラハラ彼氏、いらないでしょ? ~エリート御曹司の略奪愛
「陣さん、お疲れ様です!」
「センセーもお疲れさまでした! チェアヨガは初めてでしたが、座ったままでも意外と汗ばむくらい動けるんですね」
「もう、びっくりしましたよ。昨日お会いした時は何もおっしゃってなかったし、頭の中が真っ白になっちゃいました。帝鳳にお勤めだったんですね」

 並んで駅方面に歩きながら、自然に談笑が始まる。

「はは、すみません。驚かせようと思って。前に『Vintage Voltage』で飲んだ時、水曜日も仕事を入れたいというようなことをおっしゃってたでしょう? 水曜ならノー残デーだからちょうどいいだろうと、裏から手を回して依頼させていただきました」
「……陣さんが呼んでくださったんですか!?」
「ええ、まあ。あ、ご挨拶が遅れました。帝鳳ホールディングスの三門陣と申します」

 懐から名刺入れを取り出した陣が、七瀬に名刺をくれた。

「ご丁寧に。では私も」

 七瀬の名刺は個人携帯の番号が載っているので、仕事関係の人にしか渡していない。でも、陣になら知られてもいいと、心のどこかで思っていたのかもしれない。

 路上で名刺交換をしていることがおかしくて、思わず吹き出しかけたのだが、陣の名刺を見て足を止め、固まった。

「……あの、陣さん。お名前の上に『取締役』と書いてありますが……社長さんなんですか!?」
「いえいえ七瀬センセー、あわてすぎ。よく見て」

 くすっと笑われ、もう一度名刺に視線を移す。
 燦然と輝く『取締役』の肩書に目が釘付けになってしまったが、よく見れば『グループ専務取締役』と書いてあった。
 一般企業に勤めた経験がないので詳しくないが、社長でなくとも専務が役員クラスであることぐらいは知っている。

「え、あの、帝鳳グループの専務って……すごい方!?」
「親の七光りみたいなものですけどね」

 そういえば、初めてカフェバーで飲んだ時に、そんな話をしていたのを思い出した。

「じゃあ、親御さんが……」
「父が帝鳳の会長です」

 これまではお話の中でしか知らなかった存在だが、まさに生きた御曹司だ。

「……私、御曹司さんに初めて出会いました! なるほど、あの常軌を逸した、ホテルみたいなお家も……そういうことなんですね、納得しました」
「常軌を逸したって。センセー、言葉のチョイスが変ですよ」

 同時に笑い出し、自然に駅へと並んで向かった。

「専務さんは、黒塗りの送迎車で通勤してると思ってました」
「会社が自宅から徒歩圏内にあるのに、わざわざ排気ガスを撒き散らして通勤する必要はないですからね。弊社ではサステナビリティへの取り組みも重視しているんですよ」
「最近よく聞きますよね、サステナブルとか。持続可能な社会、みたいな意味でしたっけ。知らないうちに知らない横文字が当たり前に使われていて、世の中に全然ついていけてません」
「いや、ヨガなんて究極にサステナブルなアクティビティじゃないですか。ヨガマット一枚あればどこでもできるし、なんなら屋外でもできるから、無駄な電力もエネルギーも消費しない。めちゃくちゃ環境とお財布にやさしいですよ。どれだけ言葉を知っていても、知ってるだけじゃしょうがないんです。実践して初めて意味が出てくる」

 陣は笑い話として言ってくれたのだと思うが、妙に今の話が腑に落ちてきて、なぜかうるっと涙ぐんでしまった。
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