そのモラハラ彼氏、いらないでしょ? ~エリート御曹司の略奪愛
 陣にも勧められて広い後部座席に乗り込むと、木崎が運転席に、陣は七瀬の隣に座った。

「恵比寿の家の場所、教えて」

 家に荷物を取りに行くという話をしている最中だったことを思い出し、七瀬は我に返って住所を告げた。

「所要時間はおよそ十五分です。シートベルトをご確認ください」

 木崎の乗務員のような物言いに圧倒され、七瀬はあわててシートベルトを締めた。
 車が動き出すが、実に滑らかな走り出しだった。足元のスペースも広く、革張りのシートはやわらかくて体が沈む。
 あきらかに輸入車だ。七瀬は車には詳しくないが、スポーツカーというものに見える。外観もそうだし、内装もそこはかとなく高級感を醸していた。
 とんでもなく場違いな所に来てしまったような不安がぬぐえない。

「陣さん、この車って、社有車ではないですよね……?」
「俺のだよ。飲酒しちゃったからね、木崎がまだ会社に残ってたから運転代行頼んだんだ」

 少なくとも七瀬の荷物を取りにいくのに、秘書を使う場面ではない。

「木崎さん、ごめんなさい。私事にお時間をいただいてしまって……」

 運転席に声をかけると、彼はまっすぐ前を見たまま首を横に振った。

「いえ、お気になさらないでください。自分が好きでしたことですから」

 何が好きで上司の私用に付き合っているのだろう。ちょっとよくわからなかったが、「ありがとうございます」と当たり障りなく答えた。
 高級マンション住まい、大企業の役員、高級スポーツカーに、電話ひとつで私有車の運転代行をしてくれる秘書を呼び出せる御曹司。
 やっぱり、住む世界が違うのかもしれない。この人と付き合っても本当に大丈夫だろうかと、再び不安になってきた。

 しばらく沈黙が続いていたのだが、恵比寿駅が見えるあたりにさしかかり、信号待ちで停まったとき、拓馬が突然、うつむいて肩を震わせはじめる。
 七瀬はきょとんとしてその様子を見ていたが、やがて彼がこらえきれずといった様子で笑い出した。

「クク……ッ、陣専務、なに気取ってんの笑わさないで!」
「うるさいなあ。おまえこそ猫被ってるくせに。ほら、信号変わったぞ」

「だって『カノジョできた!』って、さっき電話口ではしゃいでたの誰! いやーそのすまし顔、草生えるわ。あ、ごめんなさいね、鈴村さん。俺たち学生時代からの友人なんです。秘書と言う名の許、便利に使われてます」

 車をスタートさせながらミラー越しに笑う拓馬には、世界の違いを感じさせない気安さがある。

「あ、お、お友達……」
「陣に彼女ができたと聞いて、これはぜひご尊顔を拝さなくてはと、とりもなおさず飛んできました」

 さっきまでの生真面目な顔はどこへやら、すっかり豹変してニヤニヤしている。

「拓馬ー。七瀬さんを珍獣扱いするのやめろ」
「はいはい。でも、思ったより癒し系!」

 初対面とのギャップで言葉を失ってしまったが、気安い二人のやり取りを見ていたら、自然と七瀬も笑ってしまった。
 これから向かうのは自分の自宅でもあるはずなのに、もはや踏み込むにも恐怖心を伴う。
 でも、彼らのおかげで気が楽になって、心の底から安堵のため息をついていた。
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