〜Midnight Eden Sequel〜【Blue Hour】
 思わず漏らした本音を苦笑で隠した綾菜は気持ちを切り替えるように、改めて二人の刑事に向き直った。

「山野さんは私と二階堂さんのことをどのように話されました?」
『二階堂さんは堀川さんの作品をいつも購入してくれるお得意様だと。ただ、しつこく食事に誘われたり、つきまとわれていて大変そうだったと、山野さんから伺っております』
「その通りです。二階堂さんは私の絵を気に入ってくださる貴重なお客様でしたが、それ以上に見返りを求める方でしたね。でもお誘いを受けたことは一度もありません」

 山野の話には、高圧的なギャラリーストーカーの説教で女性画家が個展の最中に泣き出したり、食事をするだけだと信じて二人で会った後に、無理やりホテルや男の自宅に連れ込まれて襲われる事例もあった。

だが、この女性画家は個展の最中に泣き出すことも作品購入の見返りに男に屈することもないだろう。見るからに気の強さが全面に出ている女性だった。

「二階堂さんは9年前にもストーカー行為で警察の聴取を受けていたんですよね。その時の指紋と杉並の遺体の指紋が一致したと、ニュースで見ました」
『そうです。ギャラリーストーカーと呼ばれているそうですね。二階堂さんの振る舞いには、山野さんもかなり参っているご様子でした』
「へぇ。山野さんも二階堂さんのことを偉そうには言えないのに」
『……と、言いますと?』

 画家は意味深に微笑する。堀川綾菜は九条の心に巣食う“彼女”と容姿は酷似しているが、“彼女”との決定的な違いは、男を惑わす魔性の色香を綾菜は放っていた。

「山野さんからも何度かプライベートなお誘いを受けていました。二階堂さんほど露骨ではありませんし、仕事の話もあったので山野さんとはプライベートで数回お会いしました。けれどお食事をご馳走になっただけです。山野さんとも二階堂さんとも男女の関係はありません」

 九条の記憶では山野の左手薬指には結婚指輪が嵌っていた。アリバイの話になった時も彼は家族で出掛けていたと答えている。

既婚者の身でありながら山野は綾菜にアプローチしていたということか。
二階堂は確かに悪質なギャラリーストーカーだったが、山野も人のことは言えない。

 九条と共に南田も呆れの表情を見せていた。二階堂の殺害は、堀川綾菜を巡る痴情のもつれの線も視野に入れて捜査を進めた方が良さそうだ。

 階段を降りる足音の後、店の奥から男が現れた。見た目の年齢は還暦前後の口髭を品よく蓄えた紳士は、左足を引きずって歩いている。

『綾菜のお客様か?』
「警察の方です。二階堂さんの件で話を聞きたいと……。こちらが私の恩師で、この店のマスターの宮越晃成先生です」

この男が山野が芸術界の一般教養と称した巨匠、宮越晃成だ。九条と南田は名を名乗り、警察手帳を呈示した。

『宮越です。マスターと言っても経営者ではなく雇われの身ですがね。経営は長年のパトロンがしてくれています。私は金勘定にとんと疎いので』

 すかさず綾菜が立ち上がり、彼女が右手で引いた椅子に宮越が腰掛ける。二人の刑事と対面した宮越は何もないテーブルに視線を向けた。

『お二人にお茶もお出ししていないのか?』
『我々は仕事中ですし、どうかお構いなく』

 九条達は遠慮したが、宮越は開店準備に追われる日森にコーヒーの準備を命じた。この場の絶対的権威である宮越には九条と南田とて逆らえない。

宮越は一瞬にして場の主導権を掌握してしまった。綾菜も日森も宮越の顔色を窺っている。
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