〜Midnight Eden Sequel〜【Blue Hour】
待宵《まつよい》には満月の前日、翌日の満月を楽しみに待つという意味がある。どうして店名を待宵と名付けたか、堀川綾菜は由来を知らない。
そもそもこのギャラリーバーは、宮越の長年のパトロンである村居《むらい》という資産家が経営とマスターを兼任していた。宮越は長らくバーの上階にアトリエを構えていたが、決して店に顔を出すことをしなかったらしい。
3年前に宮越が美大の講師を離職した後に村居からマスターの職を引き継いだ。それ以降、ここはただのギャラリーバーではなく、“宮越晃成と話ができるギャラリーバー”となった。
限られた時間にのみ開かれる画家と愛好家の歓談の酒場は、今夜もその役目を終える。
洗浄したグラスを棚に仕舞う綾菜の背後に忍び寄る影がひとつ、揺らめいた。振り向いた綾菜が驚きで肩を震わせても、影の主、日森丈流はその場を動かない。
「びっくりした。気配を消して真後ろに来ないでよ。何?」
『ストーカージジイがいなくなってホッとしただろ?』
「そんなこと言っちゃダメよ。日の目を見ない私の絵を評価してくれた、数少ない人なんだから」
二階堂の目当てが何であれ、彼は綾菜の作品に金を出してくれた。画家も所詮は商売、収入がなければ画材道具も買えない。
『まさかとは思うけど、あのおっさんストーカーと寝てないよな?』
「私にも画家のプライドがある。絵を買ってくれることは有り難いけれど、どんなに大金積まれても身体は売らない」
どれだけ有り難い存在であろうとも、金と引き換えに肉体関係に応じる気はない。古くから芸術家とパトロンには異性同士も同性同士も、恋愛関係やビジネスを含んだ肉体関係は発生していた。
画家も音楽家も舞踏家も、夢の実現のために父親よりも年上の男に身体を捧げる女性芸術家は多かっただろう。けれど綾菜はそんな生き方はまっぴらごめんだった。
作品は売れて欲しい。でも売春をして売った作品に何の価値がある?
売れない、売れたい、評価されたい、評価されない。
もがいて苦しんで、だけど彼女はまだ描き続けていられる。彼女の信じる絶対的で崇高な“神”がいる限り……。
そもそもこのギャラリーバーは、宮越の長年のパトロンである村居《むらい》という資産家が経営とマスターを兼任していた。宮越は長らくバーの上階にアトリエを構えていたが、決して店に顔を出すことをしなかったらしい。
3年前に宮越が美大の講師を離職した後に村居からマスターの職を引き継いだ。それ以降、ここはただのギャラリーバーではなく、“宮越晃成と話ができるギャラリーバー”となった。
限られた時間にのみ開かれる画家と愛好家の歓談の酒場は、今夜もその役目を終える。
洗浄したグラスを棚に仕舞う綾菜の背後に忍び寄る影がひとつ、揺らめいた。振り向いた綾菜が驚きで肩を震わせても、影の主、日森丈流はその場を動かない。
「びっくりした。気配を消して真後ろに来ないでよ。何?」
『ストーカージジイがいなくなってホッとしただろ?』
「そんなこと言っちゃダメよ。日の目を見ない私の絵を評価してくれた、数少ない人なんだから」
二階堂の目当てが何であれ、彼は綾菜の作品に金を出してくれた。画家も所詮は商売、収入がなければ画材道具も買えない。
『まさかとは思うけど、あのおっさんストーカーと寝てないよな?』
「私にも画家のプライドがある。絵を買ってくれることは有り難いけれど、どんなに大金積まれても身体は売らない」
どれだけ有り難い存在であろうとも、金と引き換えに肉体関係に応じる気はない。古くから芸術家とパトロンには異性同士も同性同士も、恋愛関係やビジネスを含んだ肉体関係は発生していた。
画家も音楽家も舞踏家も、夢の実現のために父親よりも年上の男に身体を捧げる女性芸術家は多かっただろう。けれど綾菜はそんな生き方はまっぴらごめんだった。
作品は売れて欲しい。でも売春をして売った作品に何の価値がある?
売れない、売れたい、評価されたい、評価されない。
もがいて苦しんで、だけど彼女はまだ描き続けていられる。彼女の信じる絶対的で崇高な“神”がいる限り……。