彩度beige
パン屋の「スピカ」は、私にとって、やはり息抜きのような場所である。

仕事をしに来ているのに息抜きなんて、言い方は適切じゃないかもしれないけれど、それほど楽しく、居心地がいいということだった。

優しいオーナー夫妻に常連さん、いい匂いに溢れた店内、おいしいパンと、時々コーヒー。

どれもこれも、私にとっては居心地のいいものだった。


(でも、『Vulpecula』は・・・)


今、毎日のように通わせてもらっているけれど、何度訪れてもやっぱり緊張してしまう。

むしろ、その緊張感は高まっているような感じもあって・・・、これからも、私にとっては背伸びするような緊張感がある場所で、映画の世界にいるような・・・、憧れの場所であり続けるんじゃないかと思う。


(・・・もちろん、大好きな場所ではあるけれど・・・・・・)


「衣緒ちゃーん、メロンパン出来たから並べてくれる?」

「あっ・・・、は、はいっ!」

尚道さんに声をかけられて、私はすぐに意識を切り替え、厨房に入って出来立てのメロンパンがのったトレーを受け取る。

銀色のトングを手に持つと、早速売り場に出て商品棚へと並べていった。


(・・・うん、いい匂い)


今日も下の部分の焼き色がとてもよく、クッキー生地のサクサク感がとてもおいしそう。

後で買って帰ろうかな・・・と思っていると、「すみません」と後ろから声をかけられて、私は「はい!」と元気に振り返る。

「!」


(え・・・!)


後ろにいた・・・声の主は緋山くんだった。

驚く私に、緋山くんは苦笑する。

「そんなに驚くか」

「だ、だって・・!」

パン屋でパートをしていることは話したけれど、「スピカ」というお店の名前は言ってない。

だから、まさか緋山くんがここに来るなんて全く思っていなかったのだ。

「荒木に聞いた。あいつ、水谷と地元が同じだろ?この前一緒に飲んだ時、高校時代の話になって。『久しぶりに近くのパン屋に行ったら、水谷がいて驚いた』って話してて」

「荒木くん・・・」

そういえば、いつだったか荒木くんがパンを買いに来たことがあったっけ。

小学校から高校まで、ずっと同じだという幼なじみではあったけど、特別仲が良かったわけでもないので、「久しぶり」「ここで働いてるんだ」なんて、簡単な会話をしたくらいなのだけど。

「・・・そっか。びっくりした・・・」

「まあ、びっくりさせようと思った。事前に『行く』って伝えたら、水谷は、絶対に身構えるだろーとも思ったし」

「・・・」
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