彩度beige
それから。

エレベーターを何度か乗り降りし、レストランやカフェや併設の施設をいくつか案内してもらい、その後、エントランスまで送ってもらった。

時間がなくて行けなかった場所もあるけれど、そこはまたの機会に案内してもらうことにした。

「・・・じゃあ、一緒に行けそうなイベントについてはまた後で連絡するから」

「うん。よろしくお願いします」

「それでは・・・」と、帰ろうとした私を引き止めて、一葉くんは、ラウンジで少し待つように言ってその場を離れた。

他に何かあるのかな・・・?と思いつつ、とりあえず、言われた通りにラウンジの椅子に座って彼を待つ。

と、数分経ったところで戻ってきた一葉くんに、「車を呼んだ」と言われて驚いた。

「えっ、大丈夫だよ。駅まで近いし・・・、歩いて帰るから」

「・・・いや。今日は疲れただろうし・・・、よかったら、家まで送ってもらって」

「で、でも・・・」


(一葉くん、普段は忘れちゃうけれど・・・、ところどころで御曹司感が出るのよね・・・)


まだ出会って間もない頃に、取材報酬をいただいた時は、一葉くんが何者なのか全くわかっていなかったから、あまりに高い報酬額に、ただただ驚いてしまったけれど。

「Vulpecula」の創業者一族で、御曹司ということがわかった今は、あれは、彼なりの「普通」だったのかもって考える。


(と、とはいえ・・・)


ここは、都会の一等地にあるホテル。

最寄り駅までは本当に近くて便利だし、ここから私の家まで・・・は、逆に結構距離があり、車で送ってもらうのは、さすがに申し訳なく感じてしまう。

「あの、ほんとに今日は・・・」と、断ろうとしていると、「水谷様」と後ろから声をかけられた。

振り返ると、それこそまさに執事のような初老の男性が、私に向かってにこりと笑って頭を下げた。

「お待たせしました。こちらにどうぞ」

「え!?」

戸惑いながら、一葉くんに視線を向けると、彼はコクリと頷いた。

「運転手の谷山さん。呼んじゃったし、とりあえず今日は送ってもらって」

谷山さんは、「おまかせください!」といった表情で、にこにこ笑顔で私を待ってくれている。

ど、どうしよう・・・。

この雰囲気で断ることは、今度は逆に気が引ける。

私は少し悩んだ末に、お言葉に甘えることにした。

「で、では・・・、よろしくお願いします」

「はい。おまかせください」

谷山さんはそう言って、胸に手を当て頷くと、一葉くんに向かって会釈する。

一葉くんは私と目が合うと、右手を上げて微笑んだ。

「じゃあ・・・、また。今日はどうもありがとう」

そう言った彼の表情が、やけに、甘く優しく見えたから。

私はドキリと胸を鳴らして、落ち着かなくて、軽く「うん」と頷いて、そのままその場を去ってしまった。

今のは・・・、私に向けたものだったかな。

それとも。

私を通して重ね合わせた、物語上の「水谷衣緒」に対してだったのだろうか。










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