7日間の光
光と影
【プロローグ】
心臓が苦しくてどうしようもなく息ができない時、私は何を考えるのだろうか。
空に一つも光がない夜。
ようやく見つけた光が飛行機だと気付いた時私は死にたくなるのだろうか。
気が付けば辛いはずの感情も何も感じなくなり、昨日までのあの気持ちを思い出せない。
そんな自分が怖いことにさえ分からなくなっていた。
どんなにまぶしい朝が来ても、何も変わらない日常。
本当は気づいていた。
私には誰もいないことを。
そして、見て見ぬふりをした。
心から笑えなくなっていたことも。
重い鉛のような体を背負い、今日も私は自分の感情に嘘をつく。
【卒業まで残り7日】
いつの間にか、まだ誰もいない教室に今日も一番に鍵を開け、席に座る。
学校にいる間は不思議と、家で感じるようなあの息苦しさを今は感じない。
そのおかげで毎日登校することができているのだと思う。
寝不足で働かない頭を横にして机の上に沈ませる。
どれだけ寝ていても変わらない、日々の眠気。
窓からの差し込むほどの光は、この時間にはない。
私たちを卒業へと、この寒さが連れていこうとしていた。
まぶしいから窓側の席は苦手。
日中はカーテンをしていても暑さが体に伝わる。
暖房に加えての熱ほど鬱陶しいものはない。
そんなことを廊下側の壁に座りながら思う。
早朝の誰もいない静かな教室。
自分の物音だけが響く。 それが心地よかった。
でも今日はいつもとは少し違った。
この時間に誰かが廊下を歩く音がやけに大きく聞こえる。
普段気にしないはずの人の足音が今日は何故か気になった。
大きな音を立てて歩く人。
隣のクラスの人だろうか。
そんなことを考えていた私の変わらない日常に変化が訪れる。
豪快に扉を開けてずかずかと入ってきたクラスメイト。
この時間に彼が来ていたのは初めて見た。
話したこともないため挨拶も交わさない。
ただ、お互い視線がぶつかるだけだった。
少し物珍しく私は感じていたが、すぐに何とも思わなくなった。
今までも同じように来てそこに座っていたかのようにいる姿がなんだか安心感を覚える。
私は机で突っ伏し、目を閉じる。
左から聞こえる物音。
鞄を開け、教科書を出す音。
大雑把だと感じさせる気配がそこにはあった。
少し時間が経って辺りが騒がしくなっていると、自分が今まで寝ていたことに気が付く。
それと同時に先生が教室に入り、HRが始まった。
そして今日も1限から6限まで眠気に耐え、何とか乗り切る。
卒業までの残りの授業もあと何回あるのだろうか。
帰りのHRを終えクラスの中では卒業までのカウントダウンが始まり、そんなことをふと考える。
残り7日。
そんな声が教室から聞こえた。
一週間を切っていると聞いてもまだ卒業の実感がわかない。
きっと卒業した後も実感はないのだろう。
ただ、何かやり残したことはないのかと自分の高校生活を振り返ってみると 青春らしいことは何もしていないと思ってしまった。
学生の間には青春という言葉が少なからず日常についてまわる。
今まで意識していなかったとしても卒業間近にでもなれば嫌でも意識してしまう。
それがとても私の心を孤独にさせた。
今後の将来の不安よりも果たして今、未来の私が後悔しないような青春ができている自信がなくて怖かった。
顔を下に向けたとき自分の机の上にある日誌を見て思い出す。
「今日、日直だった…」 あわてて今日のページに書き込む。
その後、案外 早く終わるだろうと高をくくっていたがその予想は外れ見事に私一人が教室に居残っている状態だった。
朝も放課後も教室に一人でいることは初めてかもしれない。
朝に見る窓からの景色とは少し違った。
オレンジ色に光るまぶしい空に目を細める。
「早く帰ろう。」
自分の机に向き直り鞄を肩に掛け教室から出る 鍵を閉め終えたとき、
後ろから走って向かってくる大きな足音が聞こえた。
思わず振り向くとそこには焦った表情でこちらに向かってくる今朝の彼。
あまりの迫力に思わず一歩下がってしまう。 彼は上がった息を必死に整え口を開いた。
「忘れ物しちゃって…」
あまりにも急いでいるかのようなその言い方と様子に思わず反射的に扉に鍵を差し込む。
そして思いのほか大きな音を立てて開けてしまった。
私が視線を上げた時に目が合うと急いで教室へと入り机に向かった。
しばらくその様子を見ていたが探しているものが見当たらないようだった。
私も教室に入り、近くまで歩く。
「あった…?」
机の中を覗き込む彼に、屈みながら声を掛けた。
「ないかも」
そう残念そうに話して立ち上がりあきらめた様子で私に向き直った。
何か言いたげな表情をしていたが、なにも言わずにただこちらを見ている。
数秒の沈黙の後やっと口を開いた彼は私の名前を口にした。
「夜神さん」
名前を呼ばれたことに少し驚いたが何とか私も返事をする。
「…はい」
「……俺の彼女になって」
・・・――――――
お れ の か の じょ に な っ て…。
まっすぐに私の瞳を捉えるその表情が目の前にある。
何を言っているのだろうかと思わず首をかしげてしまった。
さっきまで忘れ物を探していたと思ったら急に突拍子もないことを言い出す。
思わず首を横に振ってもなお、私を見続けてくる。
また数秒、間が空いたかと思えば、急にふっと笑いごめんごめんと笑顔を見せた。
「ちょっとからかいたくなっちゃた」
そう言葉にし、また笑うその目を見た時、なんだかその表情から目が離せなかった。
夕焼けの光に照らされる彼はとても眩しくて、笑っているだけでなんだか絵になるような不思議な人だった。
結局なにを探しに来たのかはわからなかったが、その後もあわててお礼を言い、教室を去って行った。
今まで関わることが全くなくて思い出せないでいたが、大川という名前の人だった。
行動が全く予測できない彼らしい名前だと、今更ながらに覚える。
名前を思い出してもきっと今後、関わることはないだろうと思っていた。
【残り6day】
今日も一番に教室に着く…はずだった。
しかし、教室の扉の鍵が空いている。
誰かがもう来ているらしい。
珍しいな。
そう思いながら中に入ると、そこには大川がいた。
私に気づくと昨日のような笑顔を見せ、おはよう。と言ってくる。
「おはよう」
少し驚いたが挨拶を返して自分の席まで歩く。
私とは真反対の窓側に座っている大川。
心なしかさっきから視線を感じる。
私が左を向くと頬杖を突きながらこちらを見ている大川と目が合った。
目をそらそうと思ったとき、また突拍子もなく私の名前を呼んだ。
「夜神さんって、
いつもこの時間に来てるんだ」
なんだか有益な情報でも知ったかのような口ぶりである。
「うん」
そう答えると、ふーん。と言い、私の席へと近づいて来る。
大川の足音に慣れてきたのだろうか、それよりも一歩の歩幅が大きいことに目が行った。
そして私の前の席にこちらを向いてなぜか座る。
私から何か言いたげな様子が伝わったからだろうか。
また不思議と笑顔を浮かべて私に話しかける。
「もう卒業だね」
「うん」
私は軽く頷き、返事をする。
「いいこと思いついたんだけど」
「……」
「俺と卒業までの残り、
カウントダウンカレンダー作らない?」
絵描くの好きなんだ。
と話す大川は目を輝かせて話している。
「カウントダウンカレンダー?」
初めて聞いた言葉だ。
「そう!卒業までのカウントダウン!」
「たとえば今日だったら残り6日って書く感じ」
あまりよく分からないが、そんなに大変そうではない。
目の前でこれでもかというほど期待の視線を向けられている。
きっと楽しいから!と子供のようにはしゃぐ大川。
なんだか少しやってみようかなと思い始めた。
すごく突拍子もないなと感じながらも
「いいよ」
そう承諾した時にはすでに白紙の紙が用意されていた。
私が答えるまでもなく、やる気満々じゃん。
と思い、少し笑ってしまったがこれもこれで良いかと思えた。
私も誰かと今更ながらに思い出を作りたくなったのかもしれない。
残り6日という言葉を描きその周りにお互い好きなように絵を描く。
私は中学生の時美術部だったが、今ではもうまったく絵は描いていない。
でも久しぶりに描くと案外楽しかった。
大川は普段の豪快さとは相反して、とても繊細な絵を描く人だった。
「すごく綺麗」
そう口にしたときには、
すでに朝の光が差し込み私たちの足元を照らしていた。
【残り5day】
今日は私が一番に来ていた。
昨日、大川は絶対に今日も一番に来る!
と意気込んでいたが私が早く来てしまった。
なんだか申し訳ない。
そう思いながらも睡魔には勝てず、机に突っ伏して寝た。
そして起きた時には、目の前に眠そうな顔をしている大川がすわっていた。
「おはよう」
そう声をかけると、気の抜けた声で私に返事をする。
珍しい姿のその横顔を見つめる。
今日はお互い寝そうになりながら、カレンダーの絵を描いた。
なんだか前よりも大川と自然に話せるようになり、 あらためてこの時間は不思議だなと静かな教室での私たちの話し声が響く度に感じる。
作業が一段落着いたとき、私は大川に気になっていたことを聞いた。
「大川さ、
あの時、教室で探してた忘れ物見つかった?」
あれから忘れていたが、あの時には結局見つからなかったことを思い出す。
「あったよ」
「そっか、ならよかった」
すごく焦っていた姿を思い出すと、きっとあれは大事なものだったのかなと思う。
「結局、家にあったんだ」
そう笑う大川は見たことのない優しい顔をする。
くしゃっと崩れるその笑い方に私もつられてしまった。
【残り4day】
今日はいつもより学校に着くのが遅くなってしまった。
きっと大川は先に来てるだろう。
教室に入ると案の定大川はもう来ていた。
待たせちゃったかなと思い、退屈そうにいる彼のもとへ近づく。
顔を覗き込むようにしゃがむとすやすやと寝ている顔がそこにはあった。
あまりに気持ちよさそうに眠っているものだから起こすのが可哀想になってくる。
そう思いながらも大川を観察しているとさらさらの髪の毛に思わず手を伸ばしそうになってしまう。
今までしっかりと顔をよく見たことがなかったが、普段の行動からは想像つかない儚い顔つきをしているのだなと思った。
たしかに、
よく考えてみたら動きと物音だけが大きいが、
あとはなんだかんだこの顔でスマートにこなしているように見えていたような気がする。
―――時計の秒針の音が教室に響く。
なんだか私の鼓動も早い気がした。
大川の顔に手を伸ばそうとしたその時、 大川の顔を見ると目が合った。
「っ!」
思わず驚いて固まってしまう。
「そんなに見られると恥ずかしいんだけど」
最初から起きていましたと言わんばかりの目の開き具合だ。
まさか起きているとは思わなかった。
そして目じりを下げて笑う大川。
今日は何故だか真っ直ぐに目を見ることができない。
きっとこれは、恥ずかしかったから顔を見れなかっただけ。
うん。きっとそう。
そう、思いたい。
一人で先にカレンダーを描きながら自分に言い聞かせていた。
【残り3day】
卒業まで残り2日になり少しずつ実感が湧いてきた。
もう学校に来るのもあと少しか…
寂しいような、寂しくないような。
でも今、大川とこうして話しているが卒業したら会えなくなってしまうことの方がなんだか寂しかった。
カレンダーを書くときに視界の端に見える綺麗な絵が目の前には広がっていた。
その描いている手元を見て話しかける。
「私ね、高2まで不登校だったから、
ちゃんと皆みたいに青春できた自信ないんだ。」
今まで話していなかった自分のことをできるだけ自然に話した。
高校三年生でクラス替えがあったから、
今のクラスの人は私が不登校だったことを知らない。
大川もその一人だと思う。
だから誰かにこうして話すことは少し怖かった。
気づいたら自分から話題に出していたことに気づく。
この人になら言えるし、知ってもいたいと思った。
静かにお互いの視線が合う。
私はこの大川の真っ直ぐな瞳に弱い。
すごく純粋で眩しいからだ。
絶対にクラスで関わるはずのなかった人が今、私の目の前にいる。
こうして、青春がなかったと思っている今が『青春』というものなのだろうか。
私には分からない。
それでも、信じたいのかもしれない。
「そうなんだ」
「大丈夫、ちゃんとできてるよ。
さなは。」
そう、微笑み私の名前を自然と呼ぶ彼の表情はいつにもなく優しかった。
【残り2day】
残り二日は一人で一日ずつ書こうという話になり、私が今日を担当することになった。
このカレンダーを書くのも最後かと思うと卒業という言葉が嫌でも頭に浮かぶ。
明日卒業してしまったら、もう大川とこうして話すことはできない。
この感情に名前を付ければ、これからもこうして一緒にいることができるのだろうか。
今の私たちのこの関係に名前をつけようとしても当てはまる言葉が思い浮かばない。
友達と呼んで良いのだろうか。
きっと大川は私の事はなにも思っていないだろう。
それが苦しかった。
この関係が壊れたら、友達ですらいられなくなってしまう。
「大川」
私が名前を呼ぶと、なに?と私が描いていた手元から顔を上げてこちらを見る。
「あのね私、…」
大川のことが好きかもしれない。
そう、言葉にしようとしても声に出せない。
今までこんな感情になったことはなくて、 どうすればいいのかわからなかった。
時計の秒針だけが進んでいく。
そして、私が言葉に詰まっているとき、廊下から誰かの呼ぶ声がした。
「光~!!」
その声を聞くと、焦った表情をして私の手を引いた。
「ちょっと!」
急に引っ張ったかと思えば、上着がかかっている椅子の後ろにかがんで座り、しーっと人差し指を私の顔の前にあてる。
誰だろう。
下の名前で呼ぶということはきっと親しい仲なのだろうか。
大川の様子からすると知り合いなのは確かだ。
だんだんと名前を呼ぶ声が近づいて来る。
教室に入ってきたであろう足音。
こんなに大川と近づいたのは初めてで、心臓の鼓動が聞こえてしまいそうだ。
ばれないかという緊張が相まってさらに鼓動が早くなる。
「あれ~いないな、光」
そう言った後にその人は教室から出ていき、その声は遠のいた。
「はあ…」
「びっくりした」
声に出した時に
今お互いが抱き合っている体勢であることに気付いた。
驚いて思いっきり離れる。
そこで嫌でも分かってしまった。
この気持ちはもうなくすことはできないと。
大川も無意識だったようで、恥ずかしそうに顔を腕で隠している。
その表情は私からは見えなかった。
【last day 卒業 】
ついに卒業式当日。
「制服で登校するのもこれで最後か」
言葉に出したら余計に悲しくなる。
高校生活、あっという間だったな。
特にこの一週間大川がいてくれたから全く寂しくなかった。
むしろ話せば話すほど心が温かくなっていった。
卒業証書を手にし、そして誰もいなくなった教室に今私はいる。
大川は人気者だ。
写真撮影や第二ボタンのお誘いが男女関係なく来ている事だろう。
そう考えるとこの7日間は本当なら一生経験することのないものだったのだろう。
きっと今、何人もの女の子から告白もされていると思う。
この短い期間でしか関わったことのない私は勝てっこない。
…分かっていた。
分かっていたはずだけれど。
「もうここに大川は戻ってこないんだな。」
天井にぽつりと独り言を呟く。
気を抜いたら溢れてしまいそうな涙を、かわいげもなくグイっと手で拭った。
この教室を出たらこの気持ちも思い出にして心に閉まっておこう。
覚悟を決めて椅子から立ち上がったその時、 後ろから走ってくる大きな足音が聞こえた。
思わず振り向くと
そこには焦った表情でこちらに向かってくる
大川がいた。
あまりの迫力に思わず一歩下がってしまう。
上がった息を必死に整え彼は口を開く。
―――「俺の彼女になって」
「…………、
――――――...え、?」
あの時、冗談だと思い何も感じなかった言葉が、 今は胸の奥を激しくかき乱す。
私が顔を上げて緊張な面持ちのその視線と目が合うと急いで机に向かい、中から何かを取り出した。
手元には半分に折られている白い紙。
教室に前、探しに来たものこれなんだ。
と言い私にそれを差し出す。
「う、うん」
その紙には 『卒業』という文字と共に、私の似顔絵が書かれていた。
教室で、友達と笑っている自分。
着ているその制服は夏服だった。
前から私のことが気になっていたんだと、恥ずかしがりながら気持ちを伝えてくれる大川。
そんな彼がたまらなく愛おしかった。
これは絶対に言わないけれど。
自然と口角が上がってしまう。
「……大川には
私がこんな風に見えていたんだね」
さっきまで必死に抑えていた涙が止まらない。
もう、この人にならどんな顔でも見られても良いとさえ思える。
「私、ちゃんと笑ってた」
今なら真っ直ぐとこの人の瞳を見れる。
―――「こんな私なんかで良ければ、
よろしくお願いします」
突拍子もなく行動して思いもよらない言葉を口にする大川。
君は私にあたたかい気持ちを教えてくれたね。
私をこの青春の孤独から救ってくれたんだよ。
「ひかる」
なぜか、君の名前を口にしたら頬を伝う冷たさがいつにもなく温かかった。
―――君は、
私の一番の『光』だよ。
私の頬に手を当てる大川の大きな手のひら。
包み込んでくれる温かさ。
「―――大好き」
その言葉が口から溢れた時、心から笑えた気がしたんだ。
【エピローグ】
心臓が苦しい時、
どうしようもなく息ができない時、
そんな時は無理に笑う必要はないのかもしれない。
空に一つも光がない夜。
ようやく見つけた光が飛行機だと気付いた時私は きっとそれでも探し続けるだろう。
辛い感情も、嬉しい感情も、すべて受け入れられた。
昨日までのあの気持ちを思い出せなくてもそれでも良い。
そんな自分が少し愛おしいとさえ思う。
どんなに眩しい朝が来ても、何も変わらない日常。
それでいい。
きっと、それがいい。
本当は周りには自分を見てくれている人がいたということ。
そして、見て見ぬふりをし続けて自分にたくさん嘘をついたこと。
もう私は自分の感情に嘘をつかない。
思わず目を細めてしまうような朝の『光』に背中を押され、立ち上がった。
