嘘つきと疫病神

「なんで俺まで……」

 数歩先を進む仁武の耳に洸希の吐息混じりの文句が届く。足を止めて振り返れば、蕗を挟んだ向こう側に重い足取りで丘を登る洸希が目に入った。

「無理、しないでね」
「いや、行ける。気にすんな」

 その言葉の通り、仁武は止めていた足を再び動かす。三人が向かっているのは町外れにある丘の頂上である。
 数日前、連日続いていた雨がピタリと止み久々に外に出ると、二人で歩いている仁武と洸希を見かけたのだ。
 三人で柳凪で話しているうちに仁武が丘の頂上から夕焼けを見ようと言い出し、今に至る。

「もうすぐで頂上だよ」

 仁武が蕗の手を引き、その後洸希の手首を掴んでその身体を持ち上げる。手を引いただけだというのに、想像以上にその身体は軽い。彼の病気の話が頭を過ぎり、何とも言えない不安が胸の奥で渦巻いた。
 頂上に辿り着き、倒れている木の幹に蕗と洸希が座る。その傍で仁武は立ったまま鮮やかな橙色に染まる空を見上げた。

「綺麗だね」
「だな。この時間に来て正解だった」

 各々に話したいことがあったから、文句を言えど付いて来たりここへ来るよう促したのだろう。
 しかし蕗と仁武の短い遣り取りを最後に、彼らの間には長い沈黙が流れる。
 今も終わることなく続く戦争。政府はまるで日本が優位に立っていると報道するが、仁武の町を見る不安げな眼差しからそれが嘘であることくらい容易に想像がつく。
 日本は不利な立場に置かれている。このままでは日本は負けてしまう。
 ラジオや新聞からでしか日本の戦況を知ることができない蕗のような国民よりも、仁武のような軍人の方が日本の戦況をよく理解していることだろう。
 いつ訪れるか分からない終焉。
 いつ訪れるか分からない空襲。
 いつ死ぬか分からない国民達。
 皆、死という恐怖と隣合わせで生きている。生きなくてはならないのだ。
 何故、戦争をするのだろう。
 何故、命を奪い合うのだろう。
 何故、誰も止めないのだろう。やめようと声を上げないのだろう。
 いや、止められないのだ。
 町民はラジオや新聞で日本が有利であると知れば大喜び。中には「やっちゃえやっちゃえ」と子供のように喜ぶ大人までいる。
 戦争の何処に、今の日本の状態の何処に喜ぶ要素があるのか理解できない。
 けれどそれらを理解できない蕗の方が、町民からしてみれば理解し難い存在に当たるらしい。
 もう、日本はおかしくなってしまったのだ。もう、この世界は終わってしまったのだ。
 元には戻らない。幸せだと感じていた平和なあの頃にはもう戻れない。

「嫌だよ……」

 そんなことを知ってしまった事実が、現実が、嫌いで嫌いで仕方がない。
 仁武と出会ったことで色付いたと思っていた世界は、初めから色付いてなどいなかったらしい。
 小さな小さな蕗の声は、仁武にも洸希にも届くことはなかった。
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