嘘つきと疫病神
 橙色に染まった空を一羽の烏が横切った。一日も終わりが近づき、町からも活気が消えていく。

「俺さ」

 長らく続いていた沈黙を打ち破ったのは、仁武の小さな声だった。
 丘の頂上から見える静かで小さな町を見つめながら、仁武は一つ一つの言葉を噛み締めて紡いでいく。

「近いうちに呼び出されるよ」

 身体中が嫌な予感で埋め尽くされていく。腕や足がゾワゾワと粟立ち、強い不快感に視界が揺らぐ。
 待って、何も言わないで。その続きを聞かせないで。もう、何も聞きたくない。
 その言葉を貴方の口から聞きたくない。

「戦場に行かないと」

 鈍器で殴られたような強い衝撃が頭を襲う。
 視界が歪んで、頭が痛くて、上手く息を吸えない。玩具のようにぎこちなく首を動かし、仁武の顔を見た時に身体中から力が抜けた。
 彼は、笑っていた。申し訳無さそうに、優しく嗜めるように彼は笑っていた。
 仁武が向ける眼差しは今までに何度も見てきた眼差しと同じ、優しくて温かい愛しいと思う眼差し。
 それなのに今は微塵も愛おしいと思えない。寧ろその眼差しが皮肉のように感じて、目を合わせることすら苦しい。

「でも、大丈夫。俺達が絶対にこの戦争を終わらせる。あと少しの辛抱で、また昔みたいに笑って暮らせるようになるよ」

 少しでも安心させようとしての発言なのだろう。仁武らしい、不器用だけれど純粋な優しさが言葉の端々から感じられる。
 けれど、今はその優しさが返って蕗の胸の奥をぐちゃぐちゃに掻き乱した。
 どれだけ仁武が敵軍に突っ込もうと、どれだけ戦っても、戦況がひっくり返ることはないと分かっているのだ。
 戦場に行った仁武が帰ってくる保証など何処にもない。何故なら、仁武は一度も、「生きて帰ってくる」とは言っていないから。

「嘘つき」

 意図的に小さく呟いてみるが、その呟きが天を仰ぐ仁武の耳に届くことはない。
 何故この世界は、仁武にこんな残酷なことを言わせるのだろう。何故この世界は、仁武に戦場に行くことが当たり前だと思わせるのだろう。
 ただ、生きていただけじゃあないか。ただ、写真家になりたいという夢を幼い頃から抱いていて、未来を思い描いていただけじゃないか。
 どうしてこの世界は、そんな仁武の夢を未来を踏み躙るのだろう。

「嘘つきが」

 突然立ち上がった洸希が仁武を睨みつけて声を荒げる。彼の長い前髪が風に靡き、その鋭い視線が真っ直ぐと仁武の瞳を射抜いていた。

「は? いきなり何なんだよ」

 彼らの間に得も言われぬ張り詰めた空気が流れる。二人の荒んだ声に、挟まれるようにして座っている蕗はびくりと身体を震わせた。
 初めは驚いた様子だった仁武も今では洸希を睨み返している。

「お前一人の力で何ができる。こんなにも弱くなって、ボロボロになった日本をお前一人が頑張ったところで変わるか? 何も変わらねえ、初めから死ぬために戦場に行くようなものじゃねえか」
「……何を………なんでお前にそんなことを言われないといけない。お前にそんなことを言われる筋合いなんて」
「半端な優しさはな、返って人を傷つけるんだよ。今お前が言ったことは、相手を淡い幻想の中に陥れて、叶いもしない夢を見させるんだ。言葉なんてものは簡単に生み出せて簡単に口にできる。だからこそ、言葉は人を殺すんだ」

 洸希の言葉を聞けば聞くほど、仁武の中で組み立てられていた何かが崩れていく。崩れてはいけないものが次々と破壊されて、最後には立っていられなくなっていた。
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