嘘つきと疫病神
 首筋に氷を当てられたような冷たい感触が通り過ぎる。掌から金属のひんやりとした感触が伝わり、握っているだけで凍りそうである。

 今、何が聞こえた? とっこうたい、特攻隊って言った?

 聞こえたのは確かに芝の声である。しかしいつものような明るいおちゃらけた声ではなく、重々しい何処か悲しげな声。
 特攻隊。何度もその言葉を心の中で繰り返す。繰り返せば繰り返すほど脳が理解を拒み、足元が竦む。
 片道分の燃料と爆弾を積んで敵に体当たりをする作戦、特別攻撃隊。町の人が名誉あることだと話しているのを耳にしたことがある。
 同じ日本で行われているとは言え、何処か他人事のように考えていた。

 それなのに、芝が特攻隊に志願した?

「本当なの、芝さん……」

 今にも泣き出しそうになるのを必死に堪え、震える声を絞り出して問う。
 扉を開けた先には、芝の他に仁武達がいた。いつもの顔ぶれが揃っているというのに雰囲気は暗い。蕗の問い掛ける声もまた、震えていて到底聞いていられるものではない。

「もう決まったことだよ」

 仁武の優しい声音で現実を知らしめられる。芝がこんな見え透いた嘘を吐くとは思えない。それでも嘘であって欲しい。彼が選んだことなのに、嘘であって欲しいと思ってしまう。

「ほ、他の皆は志願したの?」
「いや、俺達はしていない。芝さんは、指名されたんだ」
「し、めい…………?」

 特攻隊は自身で志願することが一般的だが、中には指名される者もいる。指名、つまり拒否することができないのだ。

「報告するのが遅くなってしまってすまない。本当はずっと前から決まっていたんだ。それが今になったのは」

 その時、何故か芝はちらりと仁武に視線を送った。彼らの間で何かが伝わり、仁武は店の奥にある引き出しから何かを取り出す。
 彼が手にしているものは、古びた写真機であった。

「蕗ちゃん、今週末誕生日だろう」

 物心ついたときから父親と呼べる存在が傍にいなかった。町で見かける子供は、いつも父親と母親の二人が傍にいる。
 蕗にとってそれは絵本の中の話でしかなかった。夢にまで見るくらい、父親という存在に執着するほどに。
 だから思ってしまう、父親とは芝のような人を指すのかもしれないと。年齢が大きく離れている芝のことを何処かで父親のように見ていたのかもしれない。
 大きな背中は町で見る他人の父親の背中と同じ、頼りがいがあって力強い。
 きっと芝も軍人などにならず、誰かと至って普通のありふれた家庭を築きたかったことだろう。

「蕗、写真を撮ろう。この時間を形にして残すんだ」

 鏡子と紬が椅子を並べ、小瀧に促されて椅子に座る。蕗の隣に芝が座り、友里恵がその隣に立った。
 全員が位置につき、仁武が写真機を掲げてシャッターを切る。
 眩い光と共にカシャリと子気味の良い音が鳴って、店内に皆の活気溢れる声が満ちた。
 まだ生きている。自分達は今も生きている。
< 98 / 153 >

この作品をシェア

pagetop