野いちご源氏物語 〇五 若紫(わかむらさき)
(みやこ)からお迎えの方たちと、(みかど)のお使者(ししゃ)がいらっしゃった。
口々にご回復のお祝いを申し上げる。
僧都(そうづ)は、都ではめずらしい果物などを谷の底まで採りにいって、おもてなしをなさったわ。
「今年は山を下りないという誓いを(ほとけ)様に立てておりますので、都までお見送りできず残念でございます」
と申し上げて、源氏(げんじ)(きみ)にお酒をおすすめする。
源氏の君は、
「ここの美しい自然をもっと楽しみたいとも思うのですが、恐れ多くも帝がご心配くださっておりますので、一度都に戻ります。この桜が散る前にまた参りましょう」
とおっしゃる。

僧都と山伏(やまぶし)は、仏教に関係するおみやげを源氏の君に差し上げた。
源氏の君もお寺の人たちにたくさんのお礼をお贈りになったわ。
僧都はご自分のお屋敷に戻って、妹の尼君(あまぎみ)に昨夜の源氏の君からのご伝言をお伝えになった。
尼君は、ご自分も源氏の君と直接お話をなさったことはおっしゃらない。
ただ、
「今すぐ姫をお任せするというのは無理でございます。あと四、五年して、それでも源氏の君のお気持ちが変わらなければ」
とだけおっしゃる。
僧都がそれを源氏の君にお伝えにあがると、源氏の君は残念にお思いになった。

源氏の君は尼君にお手紙をお書きになる。
「実は、夕暮れ時に姫君(ひめぎみ)のお姿をちらりと拝見してしまったのです。ここを離れて都に戻るのがつらく思われます」
尼君は、
「姫の姿をご覧になったというのは本当なのだろうか。たしかに昨日の夕暮れ時、姫も私も屋敷の端の方にいたけれど。まさか源氏の君ほどご身分の高い方が(のぞ)()なんてなさるとは思えない」
と、あれこれ思い出して不安なお気持ちになってしまわれた。

でも問いただすわけにもいかなくて、
「そのようにおっしゃるお気持ちが本当かどうか、あと四、五年したら拝見いたしましょう」
とだけお返事を書かれた。
上品なご筆跡(ひっせき)で、走り書いたようなお手紙だった。

いよいよ乗り物に乗ろうとなさったとき、左大臣(さだいじん)()からお迎えの人たちがたくさんご到着されたの。
頭中将(とうのちゅうじょう)様が源氏の君をお見つけになって、
「こんなよいところへのお(とも)はぜひさせていただきたいと思っておりますのに、ないしょで出かけてしまわれるとは。もうご出発なのですね。せっかく桜の美しいところへやってまいりましたのに、とんぼ返りするだけとはつまらない」
とお(うら)みになる。
それで、滝つぼの近くの岩陰(いわかげ)で、ささやかな宴会(えんかい)をなさることになったわ。

頭中将様がお着物から笛を取りだして上手にお吹きになると、頭中将様の弟君(おとうとぎみ)がお歌いになる。
源氏の君は姫君のことで頭がいっぱいだった。
岩に寄りかかって物思いにふけるご様子は、とてもお美しいの。
頭中将様や頭中将様の弟君もお美しいけれど、やはり源氏の君は別格ね。

他にも楽器を弾く人たちがいて、宴会はにぎやか。
僧都が源氏の君の前にお琴を置いて、
「ひとつお弾きいただけませんか。山の鳥たちもよろこびましょう」
とお願いなさる。
源氏の君は、
「まだ元のような体ではございませんので」
とおっしゃいながらも、上手にお弾きになった。
そうこうして、皆様お帰りになったわ。

「もっと長くご滞在いただきたかった」
と、お寺の人々は悲しんでいた。
まして尼君や女房(にょうぼう)たちは、ついたて越しとはいえ、源氏の君とすぐ近くでお話しなさったのだもの。
「この世の人とは思われないお美しさでいらっしゃいましたね」
と言いあっていたわ。
僧都は、
「どうしてあんなにもご立派な方が、何かと()(すえ)な時代にお生まれになったのか、悲しいことだ」
とお(ぼう)様らしいお(なげ)きをなさっていた。

姫君は幼心(おさなごころ)にも、お美しいお客様だったと思っておられた。
「お父宮(ちちみや)よりもご立派な方だったわ」
なんておっしゃる。
女房がふざけて、
「それならばあのお方のお子になられては」
と申し上げると、「それもいいわね」とでも言うようにうなずいていらっしゃるの。
本当に源氏の君を気に入ってしまわれたとみえて、それからはお人形遊びやお絵描きをなさるときでも、
「これは源氏の君よ」
とおっしゃっていたわ。
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