野いちご源氏物語 〇五 若紫(わかむらさき)
 (みやこ)からお迎えの人たちがやって来た。源氏(げんじ)(きみ)のご回復をお祝いする。(みかど)からも使者(ししゃ)があった。
 僧都は都にはないめずらしい食材を谷の底まで()りにいき、張りきっておもてなしをする。
「今年は山を下りないという(ちか)いを仏様に立てておりますので、都までお見送りすることができません」
 残念そうに申し上げて、源氏の君にお酒をお(すす)めした。
「ここの美しい自然をもっと楽しみたいと思うのですが、恐れ多くも帝がご心配くださっていますから、一度都に戻らなければなりません。桜が散る前にまた参ります。内裏(だいり)の人たちにも、ここの山桜(やまざくら)必見(ひっけん)だと伝えておきましょう」
 ご態度もお声もすばらしくて、桜どころではない。三千年に一度咲くという伝説の花を僧都は思い出した。
「目の前に優曇華(うどんげ)の花が咲いているように思われまして、山桜など目に入りません」
 源氏の君は大げさな(たと)えに苦笑なさる。
「私は奇跡(きせき)の花ではありませんよ」
 それから山伏にご褒美(ほうび)のお酒をお与えになった。
「もうずっと岩穴(いわあな)(いおり)に閉じこもっておりましたのに、戸を開けたら優曇華(うどんげ)が咲いておりました」
 (さかずき)を受け取ると、山伏は泣きながら源氏の君のお顔を見つめた。

 僧都は屋敷に入って、妹の尼君(あまぎみ)のところへ行った。姫君を引き取って育てたいと源氏の君が(おお)せだったことを伝える。
兄君(あにぎみ)にもそんなお話をなさったのですね。今すぐ姫をお(まか)せするというのは無理でございます。あと四、五年して、それでも源氏の君のお気持ちが変わらなければ」
 そのまま僧都は源氏の君に申し上げる。
<やはりあいかわらずか>
 残念に思って、尼君にお手紙をお書きになる。
「実は、夕暮れ時に姫君(ひめぎみ)のお姿をちらりと拝見してしまったのです。ここを離れて都に戻るのがつらく思われます」
 尼君はどきりとなさったけれど、
「そのようにおっしゃるお気持ちが本当かどうか、数年後に拝見いたしましょう」
 と、上品なご筆跡(ひっせき)で、あえてさりげなくお書きになった。

 僧都と山伏(やまぶし)は、貴重な仏教の道具をお土産(みやげ)に差し上げた。源氏の君もお寺の人たちにたくさんのお礼をお贈りになる。そうしていよいよ乗り物に乗ろうとなさったとき、左大臣(さだいじん)()からお迎えの人たちがたくさんやって来た。
「こんなよいところへのお(とも)はぜひさせていただきたいと思っておりますのに、内緒(ないしょ)で出かけてしまわれましたね。もうご出発ですか。せっかく桜の美しいところへやって来て、とんぼ返りとはつまらない」
 左大臣のご子息たちがお(うら)みになったので、滝つぼの近くの岩陰(いわかげ)宴会(えんかい)が始まった。
 頭中将が(ふところ)から笛を取り出してお吹きになると、弟君(おとうとぎみ)(おうぎ)を打ち鳴らしてお歌いになる。すばらしい貴公子(きこうし)たちだけれど、やはり源氏の君には(かな)わない。源氏の君は姫君のことでひどく悩みながら、岩に寄りかかって座っていらっしゃる。別格のお美しさだった。
 他にも楽器を弾く人たちがいて、宴会はにぎやか。僧都は源氏の君の前にお琴を置いた。
「ひとつお弾きいただけませんか。山の鳥たちもよろこびましょう」
 源氏の君は、
「まだ元の体ではありませんから」
 と謙遜(けんそん)しながらも上手にお弾きになる。
 そうこうして一行はお帰りになった。

「もっと長くご滞在いただきたかった」
 と、お寺の人々は悲しんでいた。まして尼君に仕える(ろう)女房(にょうぼう)たちは、物陰(ものかげ)から見た源氏の君のお姿が忘れられない。
「この世の人とは思われない美しさでいらっしゃいましたね」
 僧都も涙をぬぐって、
「どうしてあんなに立派な方が、()(すえ)な時代にお生まれになったのか。悲しいことだ」
 と僧侶らしい(なげ)き方をしていた。
 姫君は幼心(おさなごころ)にも美しいお客様だったと思っていらっしゃる。
父宮(ちちみや)より素敵(すてき)だったわ」
「それならあの方のお子になられては」
 女房が冗談(じょうだん)を言うと、それはよい考えだとでも言うようにうなずかれる。本当に源氏の君を気に入ってしまわれたらしく、それからはお人形遊びやお絵描きをするときでも、
「これは源氏の君よ」
 とうれしそうにおっしゃる。
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