あやめお嬢様はガンコ者
ちょうど20分後に久瀬くんは私のマンションにやって来た。

「本当に来るなんて」

玄関を開けて思わずそう呟いた私の顔を、久瀬くんはじっと覗き込む。

「やっぱり泣いたでしょ?目が赤い」
「泣いてません。これは、その、玉ねぎを切ったから」

私の方が2歳年上なのに、こんなささいなことで泣いたなんて恥ずかしくてたまらない。
これだからお嬢様育ちは、と思われるのが私は何よりも嫌だった。
ふいっと顔をそらすと、久瀬くんはクスッと笑みをもらす。

「そんなにたくさん玉ねぎ切って、何を作ってたんですか?」
「えっと、煮物と焼き魚とお味噌汁を。本当よ?玉ねぎも入ってるんだから。今、久瀬くんの分も用意するわね。食べて確かめて」
「え、いいんですか?」
「だってその為に来たんでしょう?どうぞ上がって」
「はい、お邪魔します」

久瀬くんの分もよそってダイニングテーブルにお皿を並べ、向かい合って座る。

「いただきます」

丁寧に手を合わせた久瀬くんは、箸を手に取り煮物を口に運んだ。

「美味しいです。あやめさん、お料理上手ですね」
「あの、誰かに作って差し上げるような、ちゃんとした献立ではなくてごめんなさい」
「とんでもない、すごく美味しいです。こちらこそ、急に押しかけてご馳走になってしまって、すみません」
「いえ、お気になさらず。あ、ほら!ここに玉ねぎ入ってるでしょう?」
「ふふっ、そうですね。ちょこっといますね、玉ねぎ」
「煮込んだからちょこっとになっちゃったけど、本当はもっとたくさんいたのよ?」
「そうですか」

久瀬くんは何やら楽しそうに、にこにこしながら食べている。
私もムキになるのはやめて、黙って食べることにした。

「ご馳走様でした。美味しかったです」

綺麗に食べ終えた久瀬くんは、また丁寧に手を合わせてくれる。

「お粗末様でした。あの、今度はもっとちゃんとした料理を作りますね」
「え?また作ってくれるんですか?」
「はい。玉ねぎをたくさん使った料理を」
「ははは!なるほど。では楽しみにしています」

食後のお茶を淹れると、久瀬くんは改めて口を開いた。

「あやめさん。さっき電話したのは、カフェテリアでのことを話そうと思っていたからでした。お見合いの断り方を相談したいのかなと思って。でも原口さんや東のいる前で、あんなに露骨に俺の顔を見ながら考え込んでいたら怪しまれてしまいます。これからは、電話やメッセージにしてくださいとお伝えするつもりでした。だけど、それよりもまずはこっちをなんとかしなくては」

そう言って久瀬くんは、真剣な表情で私を見つめる。

「あやめさん。いくらセキュリティーが整っていても、ひとり暮らしは危険です。あなたが会社を出て帰宅するまでの間、誘拐されてもおかしくない瞬間はいくらでもあります。今すぐご実家に戻って、通勤時はお父上と行動を共にしてください」
「それは出来ません」
「なぜですか?」
「私はいち社会人です。自分の身は自分で守り、自分の足で生活していかなければいけないと思っているからです」
「それは一般人の場合です。あなたは社会的にも地位のある大企業の社長のご令嬢ですよ?普通の概念は捨ててください」
「いいえ。普通の感覚を身に着けることが、私にとって何より大切なのです。育ってきた環境や学校で教えられたことが周りの人達と違っているからこそ、私は今後普通の生活を送らなければいけないと思っています」

この考えは譲れないし、両親も根負けして私のひとり暮らしを認めてくれたのだ。
いくら心配してくれているからといって、そう簡単に久瀬くんの言葉を受け入れる訳にはいかない。

じっと久瀬くんと視線を合わせていると、やがて久瀬くんは小さく息を吐いてうつむいた。

「どうすればいいんだろう、このガンコ者のお嬢様」
「はい!?今、何とおっしゃいました?」
「だってそうでしょう?あやめさん、ちっとも素直に話を聞いてくれないじゃないですか。泣いてるのに泣いてないって言い張るし、どんなに心配しても聞き入れてくれない」
「ご心配はありがたく存じます。ですが、久瀬くんにご迷惑をおかけする訳にはまいりません」
「まったくもう、ガンコ者の石頭」
「何ですって!?久瀬くんこそ、分からず屋ではありませんか。どうして引き下がっていただけないのです?」

勢いに任せてまくし立て、互いに視線をぶつけ合う。
しばしの沈黙のあと、久瀬くんが静かに言った。

「分かりました。ではこれから毎日、俺があやめさんを送り迎えします」
「……は?」

私はポカンとしながら目をしばたたかせる。

「え、ど、どういうことでしょうか?」
「そのままの意味です。毎朝ここにお迎えに来て、あやめさんと一緒に出社します。帰りもこちらまで送り届けますから」
「まさか、そんな!久瀬くんに多大なるご迷惑をおかけしてしまいます」
「それならご実家に戻ってください」
「それは出来ません」
「分かりました。では明日の朝8時にお迎えに上がります。今日のところはこれで。ご馳走様でした。おやすみなさい」

え、あの、はい!?と戸惑っている間に、久瀬くんはカバンを手にスタスタと玄関に向かい、そのまま出て行った。
< 9 / 84 >

この作品をシェア

pagetop