冷徹ドクターは初恋相手を離さない
「あ、吉村さん来ましたね。じゃあ始めますか。先生~」
 藤野さんが先に部屋に入ったので、吉村さんの後に続いて私も入室する。
「失礼します」
「失礼します。学生の葉山です。同席させていただきます。よろしくお願いします」
「はい。じゃあお座りください」

 荒木先生……。私を見ても何ひとつ表情を変えない。
 さっきのことはからかっただけなのかな? いや、仕事中に私情を持ち込む方がおかしい。これが正しい反応だ。
 荒木先生と吉村さんが斜めに向かい合うように座り、藤野さんは先生の隣に座る。私は吉村さんから少し離れて隣に座っていた。

「今日は手術前の最後の確認となります。術式は以前からお話ししている通り、乳房全切除術です。その術中にセンチネルリンパ節っていう、がんが転移するとしたら最初に到達するリンパ節を採って転移がないか検査します。ここまでよろしいですか?」
「はい」

 荒木先生は淡々と説明して、吉村さんも淡々とそれに頷いていく。
 ついさっきまで病室で話していた雰囲気とはまったく違う。真剣な眼差しと硬い表情にピリッとした空気。これから手術に挑む吉村さんの気持ちが言葉には現れずとも伺えた。
 次々に話題は流れていくが、先生は書類を見ながら順番に確認を取っていき、吉村さんはそれをひとつひとつ丁寧に頷いて聞いて同意をしていく。
 藤野さんは二人の様子を見ながら、理解度や精神状態などの観察をしているのだろうか。時々、パソコンに記録をしながら聞いている様子だ。

「それでは最後に。手術は明日の十時半からを予定しています。時間は二時間程度です。私からは以上となります。何か不明な点はありますか?」
「いえ。特にないです」
「わかりました。これで術前ICは終わります。それでは明日ですね。よろしくお願いします」
「はい。よろしくお願いします」

 荒木先生は説明を終えると、座ったまま軽くお辞儀をした。笑顔ひとつ見せないその姿に、昼休憩に見た彼は本当に荒木先生なのかと疑いたくなる。

「それではお部屋に戻ってもらって大丈夫ですよ」
 荒木先生は忙しいのか、すぐに部屋から出て行ってしまった。その場に取り残された私たちに、柔らかくあたたかな声で藤野さんが退室を促してくれた。
 所要時間は二十分程度。張りつめた空気から解き放たれた私はやっとの思いで酸素を得た気分となる。
 部屋に戻ると、吉村さんはまた笑いながら私に話しかけてくれる。

「ねっ、言った通りでしょ? あのぶっきらぼう。それでも手術の腕がいいって評判だから憎めないよね」
「ははは、そうなのですね」
 ぶっきらぼう……。たしかにその言葉がぴったりだと私も思う。

「手術、葉山さんも見学するの?」
「はい。見学させていただくことになっています」
「そっか。じゃあぜひ荒木先生の手術がどんなだったか教えてね? 私は見れないからさ~」
「ふふ、そうですね。吉村さんにしっかり伝えられるように見学しますね」

 吉村さんは冗談っぽく私にそう言うと、しばらく笑っている。
 吉村さんは今はこうして接していると笑顔が絶えない明るい人だと思うけれど、いくら医療が発達してがんは治せるのが当たり前になったからといっても、眠れないほど不安になったことや、笑えない時もあっただろう。

 そんな絶望感から己の技術で救いだす医師の存在は、患者さんたちの希望なのかもしれない。
 荒木先生……。
 数々の患者さんを救ってきた立派な人が、どうして平凡な私に偽装彼女にならないかと提案してきたの?
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