冷徹ドクターは初恋相手を離さない
「詩織は母親想いだったんだな」
「そうでしょうか……私、実はこうして母のお墓の前で自分の思いを打ち明けたの、初めてなんです」
「そうか。じゃあ、俺は詩織にとって大事な瞬間に立ち会っているってわけか」
「そうかもしれませんね。この際正直に言っちゃうと、私ひとりじゃこんな風に言えなかったです。直哉さんがいたから、母にカミングアウトできたんだと思います」
「俺が?」
「はい。私、こうして直哉さんとふたりでここに来てなんとなくわかったんです。私が自分の思っていることをなかなか主張できない理由。きっと、生前母に謝れなかったからなんです。心のどこかで『お母さんに迷惑をかけてしまうから』って理由を付けて、自分で変わろうともしなかった。勇気を出せなかったんです。私が上手く伝えられないせいで、変な空気になったり嫌われたりするのが嫌で、怖くて。だから、否定も肯定もせず、ただ笑っていたらそれでいいのかなって。そうしているうちに、どんどん自己主張が苦手になっていって、いつしか友達にも当たり障りのないことしか言えなくなりました」
 こうして人と話していると、私の心の中にあったモヤモヤとしてまとまらなかった考えていたことが整理されていって、少しずつ綺麗な形に整えられていくのがわかる。
「自分が探していたものが見つかって良かったな」
「そうですね」
 風が止んで、雲に隠れていた太陽が再び顔を出すと、陽は西に傾き始めていた。なかなか暮れきらない夏の夕方に向かうあの独特な湿っぽい暑さがじわじわと襲ってくる。
「お母さん、ごめんね」
 もっと言うべき言葉はあったかもしれない。だが、今の私が天に眠る母に伝えたかったのは、どんな言葉よりもまずは謝罪だった。
 いろいろ言ったところで母は『そうだったのね』と言って笑って聞いてくれたと思う。そんな母の姿を思い浮かべると、私があれこれ理由を並べても言い訳にしかならない気がして、私が許せなかったのだ。
 冷たい墓石は何も反応しない。
 ただこの手が触れる先にいる母の存在を感じながら、ヒグラシが鳴くにはまだ早い時間だと言うのにすでに遠くではカナカナカナと鳴きだして、しんみりとしてしまう。
「すみません、こんなしんみりしちゃって」
 私はしばらく黙り込んでいたように見えていただろう。ふと気づいて時計をちらりと見ると、お寺に来てから二十分が経過していた。
「いや、気にするな。たくさん話せたか?」
 直哉さんの方に振り向くと、なぜだか急に安心してしまう。
「はい。大丈夫です、たくさん話せましたから」
「もういいのか?」
「はい。今話したいことは全部話せましたから」
 私は心配そうにしている直哉さんにそう言った。そして、くるりと振り返って母に手を振る。
「じゃあまたね、お母さん」
 今そこに、お母さんがいて、にっこりと笑っている気がした。
(私、これからはちゃんと言葉にしていくよ。自分の想い。隠さないで伝えていきたい。怖がらずに相手を信じて少しずつ。今の私なら、できると思うから)
 そうして私たちは、誰もいない静かなお寺を後にした。
 そこまで長居したつもりはなかったが、時刻は十五時に近づいていた。
 直哉さんは階段を降りる前に手を繋いでくれて、ゆっくりと降りてくれた。その石段を降りた先にある駐車場に辿り着き、車に乗る。車内は蒸し暑く、直哉さんは車のエンジンをかけるとエアコンを少し強めにかけながら窓を開けた。
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