冷徹ドクターは初恋相手を離さない
「さて。では旅館に向かおうか」
「はい!」
 車内が涼しくなるまでは風を浴びようということで車の窓を半分ほどまで開けて走り出した。
 毎年来ているはずの地元が、なぜか懐かしい風景に思えて愛おしさを感じた。
「あ、ここらへん、よく友達と自転車で走っていました。ちょうど帰り道だったんです。だから、部活帰りとかここの食堂でよくごはん食べたりして」
 信号で停止したところからちょうど見える小さな食堂。古めかしい看板は当時のまま、リフォームされたその外観は慣れ親しんだものとは違って見慣れない。たしかここの娘さんが食堂を引き継いで今年の春からリニューアルオープンしたと聞いている。
 車の中から周囲を見ると、道路沿いにある住宅の雰囲気は当時のままだった。いつか、食堂のほかにもここにある家屋やお店が変わっていき、やがて知らない街になってしまうのだろうか。そう思うと少し寂しい。
「そういうの、ちょっと羨ましいよ」
 直哉さんが小さく呟く。その表情は、もうどうやっても手に入れることのできない思い出への憧れに対する諦めのような、そんな哀しみに似た表情であった。
「直哉さんのこともっと知りたいです。良ければ聞かせてもらえませんか」
 そういえば幼い頃から中学生の間は何度も入院していたということは聞いていたけれど、病院外での話は聞いたことがなかった。
 それはきっと、直哉さんの話すタイミングが訪れなかったからだろうけれど。
「そうだな。今まで話せていなかったしな。話したくないわけではないから大丈夫だ。ただ今まで詳しく話す機会もなかっただけなんだ」
 横断歩道を渡った小学生くらいの二人の子どもたちが、こちらを向いてお辞儀をした後、おいかけっこをするように走っていく姿を目で追う。
 しばらくすると信号が青になり車が発進する。そろそろクーラーも効いてきて、直哉さんはすべての窓を閉めた。
「俺は二歳くらいの時に初めて喘息を起こしてから、よく発作をおこしていたんだ。風邪もひきやすくて、悪化すると肺炎にまでなってしまって入院していたりもした。小学生の間もあまり良くはならなくて、なんで俺ばかりって思ったこともあったよ。そんなこともあって、仲のいい友達ってのがいなかった。この頃の年代は遊べないヤツに友達なんてできないからな」
 直哉さんが語り始めてしばらくすると、山中にある旅館へ向かうとだんだん信号の間隔が長くなって、民家も少なくなっていく。緑が多い風景に変わっていった。
 遠くを見つめる直哉さんの横顔が綺麗で、でもわずかに憂いも帯びていて、どこか目が惹かれる。私は無意識に助手席からたまに相槌を打ちながら彼の表情を見てしまう。
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