冷徹ドクターは初恋相手を離さない
「松坂先生ってのは、俺が入った道場に通っていた医者なんだ。そして、俺の目標となった人」
「もしかして、松坂先生の影響で医師になろうと思った、みたいな?」
「そう。俺にとって本当に大切な人だよ」
 直哉さんにそこまで言わせる松坂先生とは一体どんな人なのか。とても気になる。
 車はどんどん山の中に向かっていって、スマホでマップを見ていると、あと十五分ほどで到着することがわかった。
「入門前の体験期間で稽古後に松坂先生と話すことが多くて、俺の境遇を話したんだ。そしたら、よく今までがんばってきたな、強くなったな、って言ってくれて。それで初めて泣いたんだ。小さい頃からの体質だったし、がんばってきたつもりはなかった。けど、俺の生き様を認めてもらえた気がして気が楽になったんだ」
「そうだったんですね」
「だから俺も先生みたいに人に勇気や元気を与えられる人になりたいと思った。勉強も嫌いではなかったし、そもそも医師家系だったし、入院していて医療従事者ってものが身近だったから、自分がそうなる未来も想像しやすかった。そして先生と同じ医者になっていろんな人を助けたいと思って今に至るわけだ」
 直哉さんが医師を目指したきっかけは、松坂先生という恩師との出会いだったのか。
 この人は、医師になる運命にあったのかもしれない。松坂先生との出会いは病気がちだった直哉さんにとっての救いであり、導きだったように思う。
「柔道は今でも続けている。月に三、四回は行っているな。ちなみに松坂先生はクリニックの院長をしている。たまに小学生に柔道を教えているようだ」
「なんだか素敵ですね。松坂先生と直哉さんの関係性。自ら動かなかったら交わることのなかった二人なわけですから。直哉さんは『柔道がしたい』とお母さんにちゃんと伝えて、その場に行って出会ったわけですし」
「たしかにそうだな。母には感謝しているよ、本当に」
「いつかその道場を見に行きたいなと思いました。聖地巡礼的な」
「うん。近いうちに行こう。先生に詩織のことを紹介したいし。もちろん家族にも」
「えっ、そ、それって」
 唐突に直哉さんから出てきた言葉に私は一瞬ドキっとしてしまう。私は何も答えられずにいた。結婚前提にお付き合いしているという認識でいいのだろうか。
「俺たち、結婚するつもりじゃない……のか?」
 直哉さんは戸惑うような声色で私に問いかける。
 そういった話題が相手の方から出てきてくれたのは嬉しいが、今は私から確認しなかったことを後悔している。私は結婚に関する価値観の違いで裕太と別れた。それを直哉さんも知っているからだ。気を遣わせてしまったかもしれない。
 それでも、なんとなく訊くことができなかった。また同じような理由で別れることになってしまうのが怖かったのだ。
 それに私は、直哉さんと一緒にいられればそれでよかった。結婚できれば嬉しいけれど、できなくても一緒にいたい。そんな覚悟も芽生えていた頃だった。
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