冷徹ドクターは初恋相手を離さない
「今日のお墓参り、直哉さんと一緒に行けて本当に良かった。階段を降りている時、どんどん身体が軽くなっていく気がしたんです。がんばったね、もういいんだよ、私の心で感じたことを大切にしてあげてって、過去の自分を慰めてあげて、自分で縛りつけていた呪縛みたいなものを解いてあげることができた気がします。お母さんもきっと、私にもっと自由に思いを表現してほしかったのかもしれないと思えるようになったんです」
「それは良かった。俺が一緒に行ったことで詩織が変われたなら嬉しいよ」
「はい。でも私、あのサービスエリアでのこと……。まだまだ自分を自分の言葉で守りきれないんだなって思ったんです。だから私、もっと強くなりたいって思います。そして、いざという時、直哉さんに頼ってもらえるようになりたいです」
 これは私の決意表明だ。
 今回の小旅行は私が生まれ変わるきっかけとなるものになった。
 すると直哉さんは私の肩を抱いて、頭を撫でてくれた。
 大きな手が私の頭のほとんどを埋め、逞しい上腕と厚い胸板に触れている。その手の大きさや体格の違いに胸の鼓動がバクバクと速まってしまう。
 直哉さんの濡れた黒髪から滴る雫が、なんだか艶めかしく見えた。
「詩織は詩織のペースで変わっていけばいい。俺はどんな時でも傍にいるから心配するな」
「心強いです」
 そう言うと、直哉さんは私の頬に軽くキスを落とした。
「わ、うっ、な、ん、直哉さん!?」
 ゆでだこのような真っ赤な顔になっているに違いない。頬が熱くなって耐えられない。
 じんわりと温泉によってゆっくり芯から温まっていたはずの身体から、奥底から火がぶわっと噴き出しそうなくらい急激に体温が上昇していく。
「可愛い」
 私を見つめるその瞳は、完全に私をターゲットとして捕らえていて、逃げることはできそうになかった。
「はひ……」
「そろそろ上がろうか」
 湯あたりなんかではない。
 これは確実に、直哉さんの雄々しい魔性に当てられたせいだ。
 頭がボーっとしてしまって、このまま直哉さんに触れられてしまったらどうにかなってしまいそうだ。
「大丈夫か?」
「だいじょうぶ、です」 
 大丈夫か、と声をかけられると、大丈夫であることを証明しようとして勢いよく浴槽から立ち上がって、傍に置いていたバスタオルで身体を拭いて足早に部屋に戻ろうとする。
(とにかく逃げたい、このままだと私……)
 抱かれたいだなんて、思っていることがバレたら恥ずかしすぎるから。
 この気持ちだけはまだ隠していたい。そう思った私は、女としての欲望を悟られまいと逃げようとした。
「わっ!?」
 すると、後ろから急に直哉さんの温かい身体が密着して抱きしめられ、がっちりとホールドされてしまう。
「逃がさないよ」
「あっ、わたし……」
 直哉さんの低く甘美な声が耳の奥から脳内まで響いてきて、じんっ、と下腹部が熱くなる。
 その声を聞いた瞬間、頭が回らなくなってしまう。どうしようもないくらい、この人からの愛がほしいと思ってしまう。
「乱暴にはしないから。ね?」
 私は直哉さんに抱きしめられ、彼の太く重たい腕をきゅっと両手で添えるように掴んで、こくん、と小さく頷いた。
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