Simple-Lover




ヒロと初めて話しをしたのは、大学1年生の春だった。

小教室で行われた語学の授業の終業時

『…ねえ、大丈夫?』

真面目な顔で、でもどこか柔らかな表情で、私の隣に腰を下ろして小首を傾げる。

いきなり話しかけられて、驚いて少し目を見開いてしまったあの時。

「えっと…」
「ああ、ごめん。俺、同じクラスの相沢裕紀です。や、なんか、困ってそうだなーって思ってさ。授業の内容、わかりづらいとか?」


語学の授業のレベルが思っていたよりもだいぶ高くて、四苦八苦していて、毎回当てられてもいいように頑張って予習して答えられるようにってしていたけれど、それでも皆みたいにサラサラとはできない。困り果てていたのは間違いなくて、疲弊していたって言うのもあったけれど。
とにかく、そんな言葉をかけてくれたヒロは、私の目から見ると、柔らかくて優しくて…好意を寄せるには十分だった。

それから、授業の度に、ヒロは私の席の隣に座るようになって、何かと気にかけてくれて。
私が理解するまで教えてくれる。

「ほら、羽純、ここは、こうだって。この単語、どう?覚えた?」
「えっと…。あ、こう?」
「おっ!すげーじゃん。覚えてる。羽純がレベルアップした。」


それが恩着せがましい感じでもなく、冗談や憎まれ口も叩きながら、私が居心地良く、「申し訳ない」と思う気持ちを消してくれる。
そんな気遣いもあって、話てても楽しくて、ヒロも私と話す時は楽しそうにしていて。
いつの間にか、大学ではほとんど一緒に居るようになった。



「ヒロと羽純って、ずっと一緒にいるよね、付き合ってるのかな」
「仲良しでさ。なんていうか、見てていいよね!ニコイチって感じ!」


学食とか、教室とかで、偶然そんな会話を耳にしたこともある。


…はたから見ていて、そう感じるんだ。嬉しいな。


思わず、頬が緩んだ…けれど。


彼女が居ると知ったのは、大学1年生の冬休み直前だった。

いつも通り、食堂でクラスの仲の良いメンバーでお昼ご飯を食べていて、クリスマスの話になった。
もちろん、私はヒロと一緒に過ごせたらいいなっていう願望もあってのことだった。


「ねえ、ヒロはクリスマスどうしてるの?」
「あー…多分、隣の家とどんちゃん騒ぎ。」
「そうなんだ。仲が良いんだね」
「まあね、隣の家の幼馴染は生まれた時から一緒だし。」
「幼馴染…」
「そ、彼女。」


ヒロは嬉しそうに、でもキッパリとそう言った。

友香里を初め、圭人や敦弘も、少し驚いた顔で食べている動きを止めてヒロを見る。


「ヒロ…彼女居たんだ。」
「あれ?言ってなかった?」


ちょっと意外そうにする友香里に、ヒロは特に気にする様子もなくそう答え、敦弘と圭人は少し心配そうに私をチラッと見た。
私は、「そうなんだ」って言いながら、多分ショックを隠しきれない表情になったんだと思う。


「…そういや、羽純。この前の漫画のことだけどさ。」


圭人がさりげなく話題を変えてくれて。


「え?ああ、うんあれね。すごい面白かったよ!」
「あ!あれ?私も便乗で読ませてもらったよ!圭人、続き貸して!」


友香里もそれに乗ってくれて、ヒロの彼女の話はそこで終わった。


彼女が居たと知ってからも特にヒロとの関係が変わったわけじゃない。
相変わらず私はヒロが好きで、ヒロは私に何かとちょっかいを出してくる。


「おはよ、羽純。」
「あ、ヒロおはよう。明けましておめでとう!今年もよろしくね!」
「…それ、1月2日にも聞いたじゃん」
「そうだった!」
「…羽純、今年も相変わらずで嬉しいです。」
「何それ!」


その後も、仲が良いヒロと私。

むしろ、どんどんと仲良くなる距離感に、「幼馴染なら、先に出会ったのがそっちだったってだけ」と思うくらいに、距離の近さを感じていたって思う。

…けれど。1年経っても、ヒロは一向に私の方は向かない。相変わらず距離感は近くて仲良しなのに、そこ止まり。

友香里が見かねて相談に乗ってくれて、「違う方に目を向けよう!」としてくれた時もあったけれど、一緒に居てヒロみたいに楽しく過ごせる人なんて他に見つからなかった。

日に日に悩みが募る。
時々聞く幼馴染との関係も、恋人っていうより、ヒロがとにかく”過保護”って印象で。

ヒロ…もしかして、幼馴染で一緒にい過ぎて麻痺してるのかな。お世話しなきゃ的な。

そんな風に考え出したら、自分に都合の良い方に思考がどんどんと加速してしまった。

どこから加速が止まらなくなって行ったのか…おそらくは、バレンタイン後のヒロが櫻燈庵を圭人に紹介してもらったあたりからだと思う。

その日の夕方、大学近くのカフェに友香里と二人で寄った。


「…ねえ友香里。ヒロ、大丈夫かな。」
「ん?」
「や…ほら、何となく過保護というか…“一方的に尽くしている”感じがして。なんていうか…世話しなきゃって思ってそう。」
「だよね、それは私も思った。というかさ、その相手の幼馴染も大概図々しくない?いくら幼馴染、隣のお兄ちゃんだって全額平気で出させるかな、旅費を。」
「やっぱり心配だよ、ヒロが。一緒に居すぎて麻痺してるのかな…」
「それある!」
「どうすれば良いんだろうね…ヒロがそれに気が付くには。」


うーん…と唸りながら腕を組んで考え出した友香里。


「羽純と居る時間を増やしたら良いんだろうけど…」
「春休みだしね…というか、私も普通に行ってみたいな…、さっきヒロが見てた宿。」
「あっ!じゃあさ、うちらも旅行いこっか!一緒の日に泊まれば、鉢合わせするかもよ」
「な、なるほど…」


鉢合わせになったら、ヒロは私と過ごす時間を作ってくれるかもしれない。彼女が一緒に居ても。

早速、私の目の前で友香里がスマホから予約をとり始める。

「はい、取れた!協力するからね!ヒロの目を覚そう!」
「ありがとう…友香里。」


ニコニコして、チーズケーキを頬張る友香里をカフェオレを飲みながら笑顔で見ている。


友香里は思った以上に積極的に協力してくれて。

櫻燈庵でも、ヒロの隣で夕飯を食べられて、ヒロもそれを受け入れてくれていて。楽しかったのに…ヒナちゃんが居なくなるまでは。


櫻燈庵で4人で夕飯を食べた後、いきなりヒナちゃんが出ていってしまって。そうしたら途端に不機嫌になったヒロ。


「…もう、部屋に戻って。俺も出るから。」
「えー!良いじゃん、もう少し。ね、羽純だってヒロと話がしたいよね?」
「う、うん…」

遠慮がちにそう言ってみたけれど、ヒロの顔色がとても険しく、これ以上粘るのは得策ではないと悟った。


「友香里!部屋に帰ろう!」
「えー!何でよ。」
「ヒロ、ごめんね。またね!」
「………や、ごめん。」


私の謝罪に少しだけ険しい顔が緩むヒロ。

その表情に思った。

やっぱりヒロは、無意識には私と居たいって思ってて、だけどヒナちゃんが近くに居るからそれが急になくなると不安なのかも。


どんどんと、自分の都合のいい方に思考が動く。


この時点で、ヒナちゃんの事を考えるなんてことは皆無だったと思う。

むしろ、「ヒナちゃん、もっと気を遣えないのかな。ヒロと短時間しか話せなかったよ、ヒナちゃんのせいで。」なんて思ったくらいで。
だって、せっかく4人で楽しく食事をしているのに、あからさまに「つまらない」って顔してため息までついちゃって。
私達にも失礼だし、その場の雰囲気が悪くなるって考えないのかなって。

3人にしかわからない話をたくさんしていたけれど、それが私達の共通の話題なんだし、ヒナちゃんはそこに合わせるべきでしょ。
しかも、ヒロに大学受験の勉強まで付き合わせようとしてるとか。

ヒナちゃんてやっぱり我儘で、図々しい自分中心の感じなんだろうな…。
ただ、ヒロは麻痺していて気が付かない…自分が振り回されているって。

ヒロにヒナちゃんが気を遣えない子だってわかってもらえるようにわざと、「つまらないよね」ってヒナちゃんに話しかける。
その後も、大学の話をして、友香里がうまくそこに乗っかって重たい!って言ってくれたのに。
結局「言われた自分が可哀想」って感じで出て行っちゃって。

本当に自分中心の子だなあと思った。

だから…翌朝ヒナちゃんに会った時は、100%自分が正しいと思って、話をした。


“ヒロを解放してあげて欲しい”


……合宿のことは。

なんとなく、友香里はキャンセルするだろうなって期待があって、その通りになった。
ヒナちゃんも、知っておいた方が良いよね、私とヒロがいかに仲が良いか。
そう思って、友香里に、『ヒナちゃん、私とヒロだけで行ってるって知らないよね。良いのかな』とメッセージを送ったら、友香里から『それは任せて』と返信が来て…ああ、直接言いに行くんだろうなって思った。


友香里には、私を応援するていで、かなり色々ヒナちゃんに対して圧をかけてもらって、私はヒロのそばになるべく居るようにして。完全に役割分担ができている。このままなら、もう少しでヒロは私を選んでくれるかもと期待が高まる。
案の定、ヒロは後期始め位から、ヒナちゃんと距離を取るようになって、もう少しって思って、もっと一緒に居ようって思っていたのに。

私達ともあまり一緒に居なくなった。
バイトを掛け持ちにして、そのうちの一つが朝バイトだからって理由なのか、遅刻寸前に教室に入ってきてすぐに居なくなってしまう。
私の隣に座る事もなくなった。

どうしたんだろう…
なんとなく、モヤモヤが募る。
もしかして…ちゃんと別れられなくて苦労しているとか?それでバイトを沢山入れて忙しいって誤魔化しているとか。

だったら、私が応援してあげないと。
元気が無いヒロをご飯に誘って、帰り道に話をして。ヒロの久しぶりの笑顔を見た。


…けれど。
その後も、結局あまり一緒に居る時間はなくて。


そのまま迎えたクリスマス。


ヒナちゃんは受験だし…離れる努力をしているんだったら、私と居てくれるはずと声をかけた。


…けれど。


「ごめん、今日は無理。」


結局ヒロは、ヒナちゃんに囚われっぱなしで。
いつまで拘ってるの?解放されなきゃいけないのに!と、焦りが生じて思わず突っ込んだ話をしてしまった。

それに嫌悪感を露わにするヒロは、いつもの柔らかい表情は皆無で。
それだけじゃない。


友香里が、「ヒロと羽純が一緒に免許合宿に行ってる」とヒナちゃんに話したことも知っていた。


友香里が話したの…?
どうだろう…それはない気がする。だったら、ヒナちゃん本人が…?
ヒロが立ち去った後、一瞬呆然とはしたけれど。


知られた所で、それは“荒療治”なだけ。
ヒロは私に甘いし、それでヒナちゃんと距離が出来たのなら、それは良いことだからと納得し、その日は大学を後にした。


その翌日、『もうすぐ着くよ!』と約束していない友香里から謎のメッセージが来て、なんだろうと思って電話をかけてもメッセージを送ってもすぐには返事がなくて。
ようやく連絡が来たのは、夕方。


『もしもし羽純?ごめん!返事できなくて!間違えて送っちゃったんだ』
『そうだったんだ…。あ、友香里…昨日、ヒロと私、ヒナちゃんの事でケンカしちゃってね?だけど、ヒロ、明日会いたいってメッセージくれたの』
『そっか!じゃあ、ちゃんと会って話しておいでよ。』

…なんとなく、返事や会話がいつもの感じじゃない気はした。
でも、まさかヒロと話をした後だなんて思わなかった。


「…ヒナちゃん、知ってるのかな。私がヒロに誘われてるってこと。」


いつも通りの誘導会話をした私に、すぐには返事をせず、一瞬無言になる友香里。


「…友香里?」
『ああ、ごめん!どうだろうね。わからないけどさ、とにかく羽純はヒロとよく話なよ!』
「ゆ、友香里?あの…」
『ごめん、これから家族と食事に行くから!ヒロと話した後にでも、年末年始遊ぼうね!』


そう言って切られる電話。
モヤモヤと募った違和感。

友香里…何で協力してくれないわけ?と、後から考えればお門違いもいいところの不服が生まれる。

仕方ない、自分で言いに行くか、とヒロに『私、明日朝イチでヒロの家の近くで用事があるから、済ませてからヒロの家に行くね!』とそれらしいメッセージを送って、ヒロとの待ち合わせよりも早くにヒロの家の前に到着した。


迷わずヒナちゃんちのインターホンを押す。

お母さんに呼ばれて出てきたヒナちゃんは、家の中を気にして、迷惑そうな顔をする。


…わざわざ尋ねてきた知人にそれって、良くないと思うけどな。


なんて思いながらも、この寒空の下公園で話すということに渋々付き合った。


まあ、今日でヒナちゃんと喋ることも終わりだろうから。
ちゃんと、ヒロは私と付き合いたいって思ってるんだってわかってもらって…なんて考えながら話を始めたけれど。


何故か、ヒロが登場。


ど、どうして私がヒナちゃんと話をしてるのがわかったの?
動揺する私に、ヒロが、「俺が仲良しなの、ヒナだけじゃないんでね。」とニコッと笑う。

ヒナちゃんのお母さん…。
何それ、ずるい。
私、どう考えても不利じゃん。

ヒナちゃん、あなたのせいで私とヒロは付き合えないのに。
ヒナちゃんへの矛先が向きそうになった矢先、ヒロが私を責める。

どうして…。
ヒロは私にずっと優しかったのに。
ずっと…そばに居てくれたのに。
そう投げかけても“友達”だって頑なで。
何を言っても、頑なで。


最後は、心が折れた。


…と、言うより、我に返ったって方が近い感覚かもしれない。
私…何やってたんだろう。
こんなに傷つけられて、悲しくなって…頑張ってきたこと全部認められなくて。
そもそも、ヒロは、あれだけ優しく距離を近くしておいて、友達ってさ…バカにするのもいい加減にして欲しい。
そう気持ちが動いた。

「ごめん」と謝るヒロに余計に腹が立つ。


ヒロに対して、こんなふうに思うことがあるなんてな。


ヒロと別れて見上げた空は、ぽっかりと柔らかい雲が浮かんでいて、澄んだ青色。
それがぼやけて、鼻の奥がツンと痛みを味わう。

…帰ろう。
もう2度と、ヒロとは関わらない。
関わりたくない。

友香里をはじめ、いつも一緒にいた人達がヒロの味方をするならば、一人になったっていい。
だって、自分を理解しない人達と一緒にいる方が苦痛だもん。
そう思いながら、公園を後にした。

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