傷痕は運命の赤い糸
 来た道を戻り、感覚を頼りに声が聞こえてきた方向へ進む。
「離してくださいっ!」
 さっき聞こえたものと同じ声が近くなってきた。
 飲み屋が並ぶ小道を覗くと、金髪の男がひとり。そして、刈り上げた髪で遊ぶように、耳の上あたりに二本のラインを入れている男がひとり。
 いい大人の男がふたり並んで、可愛らしい若い女性を壁際に追い詰めて絡んでいるところだった。
 弱い者いじめや、卑劣な行為を心底嫌う紗世は、それを見て、怒りで頭に血が上った。
 けれど、考え無しで飛び込んでも、却って良くない結果を生むことは理解している。

 辺りを見渡して、男の人や助けてくれそうな人を探したけれど、こんな時に限って誰も通らない。
「きゃっ」
 短い悲鳴に視線を戻すと、今にも泣き出してしまいそうな女性が、男から無理やり肩を抱かれているところだった。

 駄目だ。人を待っている時間なんてないし、呼びに行く間に目を離したら、どこかに連れていかれるかもしれない。

——相手はふたり、か……。ギリギリいける。

 紗世は持っていたバッグを物陰に隠し、両の手首足首をくるくる回す準備運動をした。ンンッと小さく咳払いし、喉の調子を整える。
 すっと大きく息を吸い込んで、別人になりきるためのスイッチを入れた。
 そして、揉み合う男女の中に思い切り飛び込んだ。
「あっ、ユリちゃんここにいたんだね! もうっ、探したんだからぁ!」
 自分でも引いてしまうような猫撫で声で、初対面の女性の腕をつかんで、さりげなく引き寄せる。
 驚きで目を見開いている彼女から「あなたは誰ですか?」と言われてしまう前に、次の言葉を投げる。
「この男の人たち、知り合い?」
 話を合わせて、とアイコンタクトだけで彼女に訴える。
 紗世の意図を察したであろうユリちゃん(仮)が、怯えながらも小刻みに横に首を振った。
「し、知らない人たちです……」
「じゃあもう行こ? 早く帰らないと、また彼氏から怒られちゃうよ?」
 ユリちゃん(仮)に彼氏がいるかはわからない。その前に、彼らがユリちゃん(仮)の本当の名前を知ってしまっていたら一発アウト。

 下手な嘘がばれてしまう前に速やかに逃げるのが、紗世の作戦その1だ。
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