傷痕は運命の赤い糸

 突然の闖入者に呆気に取られていた男たちが我に返って、立ち去ろうとする紗世の腕をつかんだ。
「ちょっと待ってよ。俺らこの子と話してたんだけど」
 突然腕を掴まれたものだから、反射的に拳を出してしまいそうになった。
 しかし、まだ早い。

 突然現れた訳のわからない女が反撃を企てているなんて考えもしていない男が、舐めるような、不躾な視線で紗世をつま先から頭のてっぺんまで見て、ニヤニヤと笑った。
「よく見たらキミも可愛いね。一緒に遊ぶ?」

 少し垂れた大きな瞳にちょこんと付いた鼻、肩まで伸びた黒髪ストーレートを後ろにひとまとめにしている紗世の姿は、実年齢より幼く見える。
 へらへらと笑う男の呼気から強烈なアルコール臭がして、思わず拳を強く握りしめた。

 この状況では無駄かもしれないが、作戦その2。説得。
「私たち急いでるんです。それにユリちゃんには彼女を溺愛している格闘家の彼氏がいるので、男の人から絡まれて帰りが遅くなったなんて知られたら、大変なことになっちゃいます。だからほら、ユリちゃんだけでも先に行って」
 格闘家の彼氏と言えば、少しは怯んでくれるかと思ったけれど、効果は全くなかった。
 一緒に逃げられるならその方がよかったが、「私は大丈夫だから」と背中を強く押し、この場から逃げるようにと促した。
 彼女が罪悪感を抱いて躊躇しているのがわかる。男たちに聞こえないように「誰か助けを呼んできて」と使命を与えると、小さく頷いて彼女が駆け出した。
 金髪の男が「勝手に逃がすなよ」と舌打ちして、彼女を追いかけようと、紗世に背中を向けた。

——二対一は不利だ。今しかない。

「行かせない!」
 左足に力を込めて地面を踏み、しなやかな腰をバネに、男に盛大に回し蹴りをかました。
 右足が無防備な男の首元にクリティカルヒットして、金髪男はそのまま横方向にどさりと倒れた。

 すぐに体を半回転させて、もうひとりの刈り上げの男に向かって拳を構える。
 ここで『手強い敵だ』と相手が認識して、尻尾を巻いて逃げてくれるのが一番いい。
 けれど、どう頑張っても、紗世は強そうには見えない。
「チビのくせに舐めやがって」
 言葉尻を微かに震わせながら、男がガムを吐き捨てた。
 男の震えは、強者と対面したことへの怯えからきているのではない。おそらく、自分より格下の存在から歯向かわれたという怒りや苛立ちからきているのだろう。
 でも、それでいい。冷静さを欠いている人間は、動きか読みやすい。ぶりっこ演技をしたのは、相手を油断させ、苛立たせることが目的なのだから。
「無事に帰れると思うなよ!」
 吠えながら、男が勢いよく拳を繰り出してきた。
 大ぶりなパンチが眼前まで迫ってきたところで、スッと身をかがめてかわし、起き上がるときの弾みで最大限に足先に体重を乗せて、思い切り股間を蹴り上げた。
 ぐぅ、と短いうめき声をあげた男が、股間を両手で抑えながらカブトムシの幼虫みたいに地面に丸まった。蹴り上げられたあとに大事な場所を包んだところで遅いのに。
 こうなってしまったら、あとは騒ぎが大きくなる前に逃げるのみ。

——しばらくこの付近には来ないほうがいいかも……。

 面倒だな、と思いながら隠していたバッグを回収して走り出したときだった。 
「危ないっ!」
 声の主は、さっき助けを呼びにいったユリちゃん(仮)だった。彼女の隣には、スーツ姿の高身長の男性がいる。彼氏でも連れてきたのだろうか。どう見てもお似合いなふたりだ。
 紗世の後方を指さす彼女に導かれるように振り向くと、最初に蹴り飛ばした男がすぐそこまで迫ってきていた。
 しまった、しくじった。と思った。
 痛みを感じるほど右腕を強く掴まれて、振り解こうとしてもびくともしない。
 金髪男の右手が振り上げられる。
「このクソ女がぁっ!」

——やばい、避けられない。

 自分を襲うであろう痛みの衝撃に備えて、ぎゅっと両目を閉じた。
 次の瞬間。
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