傷痕は運命の赤い糸
 目を瞑っていたから真っ黒な視界のまま、ふっと右腕の拘束がなくなり、ドスンという鈍い音と同時に「ぐえっ」とカエルのような声が聞こえた。
 覚悟した痛みが一向にやってこないので、おそるおそる目を開けると、紗世に殴りかかってきた金髪の男が、スーツ姿の男性から完全な寝技で組み敷かれていた。

「二十二時三十五分、暴行罪で現行犯逮捕」
 スーツの男性が内ポケットから手錠を取り出し、鮮やかな動きで金髪男の両手首に輪っかをかけた。
 男は暴れることもできずに「放せこの野郎」と苦しそうに怒鳴っているだけだった。
 物騒、というより、綺麗、だと思った。
 抵抗を示す相手をこんなにも完璧に取り押さえるなんて、プロの格闘家だって簡単ではない。

 応援を要請していたのだろう。すぐに数名の警察官がやってきた。股間を抑えたまま地面にうずくまっていた男も拘束され、パトカーへと連行されていく。
 ビリッと、気配が肌に刺さる感覚がして、その方向を見ると、金髪の男が、恐ろしい目つきで紗世を睨んでいた。
「お前の顔覚えたからな! 絶対に探し出してぶち犯してやる!」
 負け犬の遠吠え、と揶揄できないほどの気迫に、紗世はびくりと肩を竦めた。

「お怪我はありませんか?」
「……え?」
 男に手錠をかけていたスーツの男性が目の前にやってきて、さりげなくひざをかがめて目線の高さを合わせてくる。
「私は大丈夫です。それより最初に絡まれてた女の子は……」
「彼女も無事です」
 さっきまで男を組み伏せていたとは思えないほど落ち着きのある声。
 彼が紗世の斜め後ろに視線を流したので同じ方向を見ると、向こうは女性警官と話をしているところだった。

「少し聴取をしてもいいですか? 怖い思いをしたでしょうから、無理のない範囲で構いません。僕が相手では話しにくいのであれば、女性の警察官が来るまで——」
 失礼にあたると分かってはいるが、長くなりそうなので話を遮って告げる。
「大丈夫です。私は怖い思いなんてしていません。彼女のほうが怖かったと思います……。あの、目線の高さも合わせてもらわなくて結構ですから」
 彼がぱちぱちと目を瞬かせ、「そうですか」と微笑むと、すっと背筋を伸ばした。彼の顔の位置が変わり、紗世の視線の先に見えたのはワイシャツの襟元、ネクタイの結び目だった。
 紗世は一五三センチと小柄だ。彼とは頭ひとつぶんほどの身長差がある。
 視線を上げて、目の前の男性を仰ぎ見る。
 大きなキャンディみたいなのど仏、シャープなあごのライン、ほどよく膨らみのある唇、滑り台のように通った鼻筋。そして、驚くほど綺麗なアーモンドアイ。
 精悍な顔つきで、しっかりと筋肉が付いていそうなのに男くさくもなく、全体的に細身に見えるのは、上背があるからだろうか。腰の位置も高い。
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