公爵令嬢の婚活事情〜王太子妃になりたくないので、好きな人と契約結婚はじめました〜

その2.公爵令嬢と契約交渉。

 ベルとのお茶会を終えたシルヴィアが向かった先は兄の勤め先である外交省。
 兄であるルキが代休を取っているなら、多分彼は内勤のはず。
 勢い任せで飛び出して来たので当然アポなし。会えるかどうかは分からないがとりあえず定時後に会いたいと受付で伝言を頼もう。
 そう思っていたシルヴィアの足が城内にあるカフェテリアの近くで止まる。

「……ハルさんだ」

 シルヴィアの視線の先にいたのは、ストラル伯爵家次男のハルステッド・ストラル。ベルの弟で、シルヴィアが今日ここに来た目的でもある。
 こんなところで会えるなんてとぱぁぁっと喜んだシルヴィアの瞳に写ったのは、

「最っ底!」

 レモネードをぶっかけられているハルの姿だった。
 ふわぁぁ、ド修羅場! と不謹慎ながらワクワクしてしまったシルヴィアは物陰に隠れてこっそり見学する。
 青みがかった黒髪から雫を滴らせたハルは人懐っこそうな表情を浮かべ、

「うん、そうだね」

 と全肯定をする。
 そんなハルにたじろいだのはレモネードをぶっかけた女性の方で。

「……言い訳すらしないの?」

 縋るようにつぶやいたその言葉には、

「どうして?」

 静かな問いかけが返ってきた。

「どう、して……って」

 綺麗な微笑みを浮かべているのに、彼女を見返すアクアマリンの瞳は冷たくて、ハルの雰囲気に飲まれた女性は息を飲む。
 
「私の事……愛してるんじゃ、ないの?」

 だからお付き合いを承諾してくれたのでしょう? と絶望感と悲壮感を漂わせた声が震える。

「いや、全く?」

 だが、そんな彼女の気持ちなど一切汲み取らず即答したハルは、

「ほら、僕は交際前にちゃんと言ったよ? 君の事好きでもなければ好きになる予定もないし、仕事最優先だから君に割く時間も取れないし、歩み寄る気もないけどそれでも良ければ、って」

 公正証書に起こした書類見る? と無邪気な笑顔で尋ねる。
 交際前、ハルは確かにそう言った。
 ハルを好きになったのも、ハルにしつこく付き纏ったのも、家の力をチラつかせて強引に迫ったのも彼女の方で。
 交際条件を公正証書で作成し、それにサインしたのも彼女自身。
 だけど、彼はいつも嫌な顔一つせず笑ってくれていたから。

「……本……当、に?」

 きっと、照れ隠しなのだと。
 そう、思っていたのに。

「初めは、そうだとしても。……今も……全然?」

 私を好きじゃない? と涙を流す彼女の訴えは、

「僕はきっと、これから先も変わらない」

 変える気がないんだ、と彼を好きになった時と全く同じ笑顔で肯定された。
 その瞬間、彼女の中で甘やかな思い出は黒く塗り潰される。

「これだから、卑しい生まれは!!」

 パンっと乾いた音がして、ハルの頬が紅く染まる。

「馬鹿にしないで頂戴。ちょっと毛色が珍しいから遊んであげただけよ」

 攻撃的な口調で言い捨てた彼女は、初めからハルのことなど眼中になかったといった態度で背を向け足早に去っていった。
 完全に彼女が立ち去ってから。

「はぁー痛かったぁ」

 大きくため息をついたハルは、

「レモネード勿体なっ。店長の自家製なのに」

 ここのレモネードすっごく美味しいのにと文句を言いながらグラスの底に僅かに残ったレモネードを飲み干した。
 とても先程までド修羅真っ只中にいた人間には見えない何とも気の抜ける対応である。
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