冷酷元カレ救急医は契約婚という名の激愛で囲い込む

4・新しい関係

 遠鐘病院のエレベーターの前で拓也と遭遇してから十日、日勤の香苗が食堂で昼食を食べていると、向かいの席にトレイが置かれた。

「ここ座っていい?」

 視線を上げると、医師の依田が椅子に手をかけている。
「どうぞ」

 仲の良い同僚とは休憩のタイミングが合わず、ひとり読書をしながら食事をしていた香苗は返事をして本を閉じた。

「九重さんは勉強熱心だね」

 香苗が読んでいたのが医療系の本だったのを見て依田が言う。

「患者さんの話を聞いていたら、気になることがあって」

 そんなふうに言われると、ガリ勉だとからかわれているようで少々恥ずかしい。でも依田は、それ以上そのことに触れることなく、すぐに話題を変える。

「九重さん、矢崎と地元が同じなんだってね」

 他にも席が空いているのに、彼が香苗の向かいを選んで座ったのは、その話をしたかったからのようだ。
 エレベーター前で拓也と遭遇して以降も、依田と顔を合わせてはいたが、プライベートな話しをする暇はなかったのでこのタイミングになったらしい。

「矢崎先生は、私のことをなんて言っていましたか?」

 まずは拓也が自分のことを依田にどう話したのか知りたい。

「高校が同じだったっていうのと、九重さんの実家の病院に矢崎が入院したことがあるって話しは聞いたよ」

 香苗の質問にそう答えて、依田は昼食のうどんを啜る。

「そう……ですか」

 つまり彼は、自分たちが付き合っていたことには触れていないのだ。
 拓也にとって、自分との関係は、友人に伏せておきたい情報なのだろう。
 自分が彼にしたことを考えれば当然のことと想いつつ落ち込んでいると、依田がこちらに身を乗り出してくる。

「矢崎って、どんな学生だったの? 友達いた? 女子にはモテた? なんかアイツの恥ずかしい過去知らない?」

 依田は興味津々といった感じだ。
 彼は普段から親しみが持てるキャラで、患者ウケもいい。
 香苗より年上だが前のめり目を輝かせる様は、失礼だが、大人に本の読み聞かせをせがむ子供のようだ。
 それをおかしく思いながら、香苗は首を横にふる。

「学年が違ったので、そういうのはわからないです」

 恋人としての拓也のことはいっぱい知っているが、今の自分が、昔の彼のことを語るのは違う。

「そうだよね」

 依田がつまらなさそうな顔をする。

「逆に、矢崎先生は大学ではどんな人だったんですか?」

 それで会話が途切れてしまうのも申し訳ない気がして、逆に聞き返してみた。
 すると依田は、少し考えてから言う。

「成績優秀で、教授陣の信頼も厚い。そしてムカつくぐらい女子にモテてたけど、告白されても『好きな子がいるから』って、いつも断ってた」

 園子ちゃんにも口説かれていたのに。と、依田は口の中で言葉を転がす。
 たぶん学生時代、依田が好意を寄せていた女性なのだろう。

「そうなですね」

 高校時代の拓也を知っているだけに、なんとなく想像がつく。

「まあ、矢崎のカノジョはすごい美人だったから、一途になっちゃう気持ちもわかるけど」

 依田としては、何気ない発言なのだろうけど、その一言に、香苗は心臓を握りつぶされたような痛みを覚えた。

「矢崎先生、恋人がいらっしゃったんですか?」

 思わず胸元を押さえる香苗の戸惑いに気付くことなく、依田はうどんのかまぼこを箸で摘まみ上げて答える。

「すごくセクシーな美人。学生時代、思い付きでアイツの部屋に泊めてもらおうとして訪問したら、矢崎のTシャツと短パン着た女子が出てきて驚いたよ」

 当時、依田が借りていた部屋より、拓也が借りている部屋の方が大学に近かたので、そういうことは時々あったのだと言う。
 その日も実習で遅くなり、男友達の気軽さで、連絡もせずに拓也の部屋を訪問したのだという。そして、当然のように拓也の服を着る美女に出くわしたそうだ。

「そう……なんですね」

 再会してからの態度に、もしかして彼が好きな女性というのは自分ではないかと期待していたけど、それは香苗の身勝手な妄想で、別れた後拓也には新しい恋人がいたらしい。
 今もその人との関係が続いているかは不明だけど、つくづく拓也にとって自分の存在はその程度なのだと思い知らされる。

(それなら、私の婚約者を名乗ってほしくなかったな)

 拓也からすれば、あの場を収めるために、よかれと思っての行動だ。
 それがわかっていても辛くなる。

「九重さん、どうかした?」

 箸をどんぶりに預け、依田が自由になった手を顔の高さでヒラヒラさせた。
 香苗は慌てて首を横に振る。

「なんでもないです。……私そろそろ休憩時間が終わるので戻ります」

 壁時計に目をやり、香苗は立ち上がる。

「午後もよろしく」

 ひらりと手を振る依田にお辞儀をして、香苗は、さっきかたわらに置いた本を小脇に挟みトレイを持って立ち上がった。
 トレイを返却口に戻した後で、トレイに載せていたスマホにメッセージが届いていることに気が付いた。
 ロック画面を解除すると、拓也からのメッセージが表示される。
 内容としては、月末に開かれるJPTECプロバイダー講座に空きができたのでどうかという内容だった。場所は都内だという。
 連絡先を交換してから、拓也からは何度か食事に誘われているが、今の彼とどう向き合えばいいかわからなくて、シフトを口実に断り続けていた。
 今回のメッセージは、そういったものとは内容が違う。
 香苗が変に構えないよう気遣ってくれたのか、拓也は講師を務めないことも書き添えられている。
 その日は、ちょうど香苗が休みだ。
 ちょうど向こうも休憩中だったのか、既読マークがついたのを見計らったように、拓也から【受講するならこのまま自分が申し込んでおくが?】といた内容のメッセージが届いた。
 そこまで甘えてもいいのか一瞬迷ったが、話を持ってきてくれたのが拓也なのだ。その申し出を断って、自分で申し込むほうが、相手を意識しすぎていて不自然かもしれない。

(拓也君は、ただの先輩として私を気にかけてくれているだけなんだもんね)

 あれこれ考えるのをやめて、香苗は拓也に申し込みを任せることにした。
 すると拓也から了解を意味するスタンプが送られてきて、そのまま食事に誘われてしまった。
 今後、自分が指導する際の参考にしたいから受講する側の感想を聞かせてほしいと言われると、断る理由が見つからない。
 それで結局は、講座を受ける日の夜に拓也と食事をする約束をした。
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