冷酷元カレ救急医は契約婚という名の激愛で囲い込む

6・ふたり暮らしの始まり

 拓也が一人暮らしをするマンションに身を寄せるようになって十日。

「どうしようかな……」

 朝のキッチンに立つ香苗は、冷蔵庫の中を覗き込んで呟く。
 今日は、彼のマンションで暮らすようになって初めてふたりの休みが重なった。
 時刻は午前九時。
 昨日の香苗は日勤だったけど、三交代制のシフトを取り入れているふじき総合病院で働く拓也の勤務は準夜勤だった。
 そのため彼はまだ眠っている。
 本人が言っていたとおり、拓也はマンションには寝に帰って来るだけといった感じで、一緒に暮らし始めてから今日までろくに顔を合わせていない。
 それでも彼は、時間の都合がつけば、車で香苗の送迎をしてくれている。
 忙しい彼にそんなことをさせるのは申し訳ないのだけど、どれだけ香苗が断っても拓也が聞き入れてくれない。
 もともと彼を安心させたくて同棲を始めたのだからと、結局は香苗が折れてその状況を受け入れている。
 そのお礼の意味も込めて、休みの今日、彼の食事の準備をしようと考えた。
 とりあえず作っておいて、拓也が迷惑に思うようだったら二回に分けて香苗が食べればいい。
 そう考えをまとめたのだけど、いざ調理に取りかかろうとすると、なにを作るかで悩む。
 キッチンは香苗の好きに使ってもらっていいと言われているので、少しずつ食材を買い足しているが、まだ日が浅いので食材が少ないし、今の拓也の職の好みがよくわからない。

「寝起きだから、軽めでいいよね」

 いつまでも悩んでいてもしかたないので、香苗は冷蔵庫から目についた食材を取り出し音に気を付けながら料理を始める。

(医師は体力勝負だから、食事には気を遣ってほしいな)

 それなのに拓也は、忙しさを理由に自炊をせず、食事は基本的に外食やコンビニ弁当で済ませているそうだ。まさに医者の不養生。
 逆に香苗は元から忙しいからこそ、体調管理のために自炊を心がけている。
 とはいえ職場では食堂を使うこともあるので、あまり偉そうなことも言えないのだけど。
 それでも彼が迷惑に思わないのであれば、これを機会に、香苗に食事の管理を任せてくれるよう提案してみるつもりだ。

「休みなのに早起きだね」

 三十分ほどかけて香苗が下ごしらえをしていると、Tシャツにスエット姿の拓也が続き間のリビングの方から入って来た。

「ごめんなさい。うるさかったですか?」

 彼の睡眠の妨げにならないよう、注意していたのだけど……。
 申し訳ないと眉じりを下げる香苗を見て、拓也が苦笑する。

「前にも言ったけど、俺は人の生活音に敏感なタイプじゃない。て言うか香苗の場合、俺に気を遣って気配消しすぎ。時々忍者と暮らしているのかと思うよ」

 香苗の隣に立って水を飲んだ拓也は、そんな冗談を言う。

「忍者って……」

 さすがにそこまでは、気配を消していない。
「あまり俺に気を使わなくていいっていう意味だ」

 軽く唇を尖らせる香苗を見て、拓也がふわりと笑う。そしてこちらの手元を覗いて訊く。

「食事の準備? もしかして俺の分も準備してくれている?」

 切り分けている野菜の量から、一人分の量ではないとわかったのだろう。拓也の声が少し迷惑そうに思えて、香苗は慌てる。

「迷惑? それなら私ひとりで食べるから気にしないで」

 香苗の言葉に拓也はとんでもないと首を横にふる。

「まさか。朝から香苗の手料理を食べられると思ってなかったから驚いただけだ。それと俺としては、せっかくの休みが合ったから、香苗を食事に誘うつもりでいたから、ちょっと失敗したなと思って」
「え?」

 驚く香苗に、拓也が言い訳するように続ける。

「急に俺の部屋で暮らすことになって、色々たりないものもあるだろうから、買い物ついでに、どこかで食事でもと思っていたんだ。一言メモでも残しておけばよかったな」

 拓也は失敗したと頭をかく。
 一緒に暮らすことになって、拓也とはアプリを使ってお互いのシフトを把握しているが、忙しい彼が、そんなことを考えてくれているとは思ってもいなかった。

「せっかくの休みなんだから、拓也さんはゆっくり過ごしてください。特に必要なものもないですから」

 ブンブンと首を横に振る香苗に拓也が言う。

「ベッドは?」
「寝具は、あれでいいんです」

 自分の部屋に置かれているマットレスを思い出して答える。
 最初に本人が言っていたとおり、彼のマンションはかなり広く、香苗は使われていなかった部屋を自室として使わせてもらっている。
 初日は拓也が自分はソファーで眠ると言って譲らず、香苗は彼のベッドを使わせてもらい、翌日からはあてがわれた自室にネット購入したマットレスと布団を運び込んで寝起きしているのだが、拓也はそれが不満らしい。

「自分のマンションでも、あんな感じで寝ていたので」

 特に困っているわけではないので、彼の手をわずらわせるほどのことじゃない。
 荷物を取りに立ち寄った時、拓也は寝室には入らなかったので嘘をつく。
 その言葉に拓也は半信半疑と言った感じの表情を見せるが、香苗はそれには気付かないフリで手を動かす。

「朝ご飯、簡単なものですけどすぐに出来るから待っていてください」

 先ほどの話し方だと、朝食を作っても問題ないようだ。
 フライパンにカットした野菜とベーコンを投入し、先に作っておいたコンソメスープを温め始める。

「ベッドを買うのが面倒なら、香苗も俺のベッドを使うか?」
「はぁ?」

 思いがけない言葉に、香苗は素っ頓狂な声を上げて彼を見た。
 赤面して口をパクパクさせうる香苗と目が合った拓也は、肩をすくめる。

「お互いのシフトが合う日なんて月に何日もないんだから。俺がいない時は俺のベッドを使ってくれてかまわないと思っただけだ」

 それはもちろん、香苗を恋愛対象として見ていないからこその台詞だ。だけど香苗としてはかなり心臓に悪い。

「そんなに気を使ってもらわなくても大丈夫です」

 ドキドキしていることを悟られないよう、心落ち着けて素っ気なく返す。そして彼に背を向けて言う。

「今朝はパンにさせてもらったんですけど、もし和食の方が好きだったら、また教えて」

 できるだけ素っ気ない口調で言うと、拓也は小さく息を吐くのがわかった。

「食事は、こだわりがないから香苗の食べたいものでかまわない。俺の分まで用意してくれてありがとう」

 拓也も、冗談が過ぎたと思ったのだろう。
 声のトーンを素っ気ないものに戻し、身支度をするために部屋を出ていった。

「そういう冗談は、意地悪だよ」

 香苗の気持ちは、あの頃となにも変わらないのだから。
 廊下の奥の洗面所の方から彼が水を使う音を聞きながら、香苗が食事の準備を続けた。
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