冷酷元カレ救急医は契約婚という名の激愛で囲い込む
12・世界一幸せな花嫁
「花のもらい手が見つかってよかったですね」
宏の見舞いを終えて、自宅マンションに戻った香苗は、リビングのソファーに座る拓也に声をかけた。
「あそこにそのままにしておくわけにもいかないからな」
そう応える拓也は、ふたり分の飲み物を手にソファーに歩み寄る香苗に手を伸ばす。
香苗は彼に、手にしていたグラスを預けて隣に腰掛けた。
隣に座ると、拓也がグラスの片方を香苗に差し出す。
グラスの中は、リンゴのリキュールを炭酸で割ったものが入っていて、小さな泡が弾けていく。
拓也の方のグラスとはリキュールの濃度が違うので、色でどちらのものかすぐにわかる。といっても次の日の勤務を考慮して、どちらの分もアルコール濃度は控え目だ。
軽くでいいから、どうしても今日は乾杯をしたい。
香苗と同意見の拓也は、香苗がとなりに座ると軽くグラスを触れさせて祝福をあげる。
「よろこんでくれる人がいてよかったです」
そう言って香苗は、自分の分のグラスに口をつけた。
彩子が投げ捨てていった花束は、拓也が回収し、花好きな職員に持って帰ってもらうことで落ち着いた。
彩子が買ってきた花を持ち帰る気にはなれないが、花に罪があるわけではないので、よろこんで引き取ってくれる人がいてよかった。
感情を爆発させた彩子が立ち去った後、改めて病室で結婚の挨拶をして、石倉夫妻の祝福を受けた。
宏の体調が整ったら、改めて両家の食事会を開く予定だ。
長い間家族との交流が途絶えていた拓也が、家族との関係を再開出来たことを香苗としてもうれしく思う。
グラスをテーブルに置いた拓也が、香苗の肩に腕を回して言う。
「それで、香苗は俺になにを隠してるの?」
「え?」
質問の意味がわからず香苗が目をパチクリさせると、拓也が悲しげな表情を浮かべる。
「少し前に、昔のことは母から聞かされた」
その言葉に、香苗は息を飲む。
「そんな……」
傷付くだけだから拓也が事実を知る必要はないと思っていたのに。
上手く説明できない罪悪感に表情を曇らせる香苗の頬に、拓也がそっと手を触れさせた。
「俺を気遣って、そのことは黙っておくように母に頼んでくれたそうだね。ありがとう。でも俺としては、優しい嘘で守られるより、香苗にどんな本音をぶつけられても動じない男になりたいと思っている」
「私は拓也さんのことを、誰よりも頼りにしているわ。ただ、それはもう終わった話だから、今さら拓也さんが知る必要はないと思っただけ」
その言葉に嘘はない。
拓也のことは、医師としても人間としても尊敬しているし、誰よりも信頼している。
それに無事再会を果たした今、あの時の別れは、自分たちの未来のために必要な試練だったと本気で考えているので、今さら掘り返す必要がないと判断しただけだ。
グラスをテーブルに預け、香苗が真剣な表情で説明した。
「そう? 香苗は俺のことを頼りにしてくれている?」
「もちろん」
拓也の言葉に、香苗は力強く頷く。
「そうよかった」
「じゃあ、周囲の祝福を受けて俺たちの縁談が進む中、香苗が時々浮かない表情を見せるのは何故?」
拓也が言う。
「え?」
香苗は息を呑む。
そんな香苗の首筋に拓也が困ったような顔をする。
「やっぱり、なにか悩んでいるんだね。それは俺に言えないこと? 俺との結婚が嫌になった」
「まさか、そんな……」
驚く香苗の首筋に、拓也は顔を埋めて言う。
「あの日の真実を聞かされてからずっと、優しい香苗の本音を見落とさないよう気をつけてきた。そんな俺が、香苗が悩んでいることに気付かないわけないだろ」
彼の声音に香苗を攻める気配は微塵もない。
ただ純粋に、香苗に頼ってもらえない自分をふがいなく思っていることだけが伝わってくる。
「拓也さん……」
彼にそんな思いをさせたいわけじゃない。
香苗が罪悪感に胸を痛めていると、拓也が「じゃあ、なにが不安なのかきかせて」と言う。
「それは……」
ここは一瞬言い淀む。
もちろん香苗だって、彼との結婚を心待ちにしている。
どんな理由があっても、二度と彼と離れるなんて考えられない。
だからこそ、ずっと言葉に出来ずにいた思いがあるのだ。
でもそうすることで、彼にこんな不安な顔をさせてしまうのなら、全てを打ち明けてしまったほうがいい。
そう覚悟を決めて、香苗は自分の胸に燻っていた思いを口にする。
「拓也さんは本当に、私と結婚して、九重総合医療センターの後継者になって後悔しませんか?」
絞り出すような香苗の声に、拓也が顔を上げた。
香苗は、そんな彼の顔をまっすぐに見つめて続ける。
「大きな病院の後継者となれば、周囲の態度が変わったり、変に勘ぐられて嫌なことを言われることあると思うんです」
九重総合医療センター院長のひとり娘である香苗は、長年、周囲のそういった特別扱いに辟易してきた。香苗の場合、自分の家のことなのでまだ諦めもつくが、拓也は違う。
それに拓也の学生時代からの友人である遠鐘病院の依田でさえ、ふたりの関係を聞いて『矢崎、うまくやったな』と笑っていた。
もちろん依田の場合は、気心の知れた友人としての冗談だ。だけど香苗の知らない場所では、明確な悪意を持って、それと同じようなことを拓也に言っている人がいるのではないだろうか。
「もちろんいるよ」
あれこれ悩む香苗と違い、拓也はあっけらかんと認める。
「今まで俺が現場主義を貫いていたのは、後々、九重総合医療センターに移ることが決まっていたから、面倒な人間関係を造るのを避けるためだったんだって噂されている」
「そんな……」
拓也は、ひとりでも多くの人を救いたくて奔走していただけなのに。
悔しさに唇を噛む香苗を面白がるような顔で、拓也は続ける。
「だとしても、それがなに? って、俺は思っている。救命救急の現場はいつも忙しくて、嫉妬ややっかみで腕のある医師を爪弾きにしている暇はない。ひとりでも多くの人の命を救いたくてこの仕事をしているのは、みんな同じなんだから」
そしてそうやって一生懸命処置にあたる姿を見せていれば、拓也の思いが何処にあるのか理解してもらえるから大丈夫だと言う。
迷いを感じさせない強気な口調に、香苗は胸を熱くする。
そして、そんな彼の考えを聞いてしまうと、余計に自分とこのまま結婚していいのだろうかと悩む。
「拓也さんの現場に掛ける情熱を私はよく理解しています。私と結婚することで、その現場を離れることになってもいいんですか?」
香苗はずっとそのことを心配している。
拓也が優秀だからこそ、父が彼に期待する気持ちもわかるのだが、それは彼からやり甲斐を奪うことになるのではないだろうか。
「香苗はそのことを悩んでいたの?」
拓也に問われて、香苗は素直に頷くと、彼がクスリと笑った。
「俺、香苗は俺のことをもっとよく理解してくれていると思ってたのに、残念だよ」
「え?」
香苗としては、もちろんそのつもりでいる。それなのに拓也は、違うと軽く肩をすくめて言う。
「俺が一番に大事にしたい理念は、ひとりでも多くの人の命を救うということだ」
「だから……」
「人の命を救えるのなら、それは俺じゃなくていいんだ」
「え?」
「どんな名医でも、ひとりの医師が救える人の数には限りがあるし、他者を救うためだけに優秀な医師が人生の全てを捧げるのも違うと思う。確かに今は現場にたち、多くのことを学びたいと思っているが、第一線を離れたら、後進の育成や医療スタッフの労働環境の改善に力を入れていきたいと考えている」
「そうなの?」
彼がそんなふうに考えているなんて、思ってもいなかった。
でもよく考えれば再会の切っ掛けは、拓也がJPTECプロバイダー講習の講師を務めていたことにある。
医師として忙しい彼がすすんで講師を務めていたのは、そういう思いがあったからなんだ。
今更ながらに拓也の考えを理解する。
「この先のことは、香苗のお父さんと相談して決めていくことになるのだろうけど、何処に行っても、俺がするべきことは変わらない。その時の自分に出来ることを全力で頑張っていくだけだ」
「拓也さん」
揺るがない意思を持って生きる彼の強さに、香苗の心が震える。
「じゃあ本当に、私とこのまま結婚しても後悔しない?」
香苗の質問に、拓也は「もちろん」と微笑む。
そして香苗の顎を軽く持ち上げて言う。
「その代わり、一つだけほしいものがある」
「なに?」
自分が彼に差し出せるものなら、どんなものでも喜んで差し出す。
あまり物欲を感じさせない拓也が、そんなことを言うのが珍しくて香苗が興味を示すと、拓也が言う。
「香苗を世界一幸せな花嫁にする権利」
それだけは他の誰にも譲る気はないと、強気な表情で香苗に唇を重ねる。
「うぅ……ん」
突然のキスに驚く香苗の呼吸を味わうように、拓也はねっとりと舌を動かしていく。
互いの想いを通わせるようになって今日まで、幾度も肌を重ねているけど、こういう不意打ちの行為にはまだまだ慣れない。
「その権利だけは、他の誰にも譲れない」
キスで散々香苗を翻弄した後で唇を解放した拓也が言う。
「もうとっくに、世界一幸せな結婚をさせてもらっています」
恥ずかしさから視線を逸らして応える。
色々あって婚姻届こそまだ提出していないが、気持ちとしては、自分は既に拓也の妻のつもりだ。
それも世界一幸せな花嫁だ。
「それはよかった。もともと俺としては、俺が九重総合医療センターのひとり娘をたぶらかしたんじゃなくて、魅力的な香苗が将来有望な敏腕医師をたぶらかしたと思っているんだけどな」
「たぶらかしたって……」
そんなことした覚えはない。
出会った時からずっと、香苗の方が彼に夢中なのだから。
そう説明しても、拓也は自分の意見を曲げない。
「嘘だ。俺の方が最初から香苗に惚れていた」
どちらが先に相手を好きになったのか。
そんなことを言い合いながら、お互い唇を重ねた。
最初は恥ずかしさが先に出ていた香苗も、幾度となく拓也に唇を求められていくうちに、自分からも彼の唇を求めるようになっていく。
拓也の温もりや呼吸を直に感じると、愛おしさがこみ上げて、彼なしでは生きていけないと思う。
「愛してる」
「私も」
幾度も愛の言葉を囁き、唇を重ねていると、どちらからともなくそれ以上の刺激がほしくなる。
唇を重ねて、舌を絡めて互いの吐息を味わう。
「香苗、愛している」
拓也の大きな手が、口付けに息を乱す香苗の胸の膨らみに触れる。
「拓也さんっ」
胸の膨らみに沈み込む彼の手の感触に、香苗は戸惑いの声を漏らす。
「駄目?」
拓也が甘えた声で訊く。そうしながら、香苗の首筋に顔を埋めで、舌先で肌を刺激してくる。
その聞き方はちょっとズルい。
「あっ」
香苗が思わず甘い声を上げると、拓也が耳元で「香苗のエッチ」と揶揄ってくる。その間も、彼の指は香苗の胸を揉みしだき、胸の尖りを爪で掻く。
着ている服の上からなのだけど、それでもその刺激は香苗を甘く刺激する。
「……意地悪っ」
愛する人にこんなふうに触れられて、声を抑えられるはずがない。
それでも拓也に揶揄われたのが恥ずかしくて、声を必死に堪えた。
「香苗、素直になって」
囁いて、拓也が耳朶を甘く噛む。
その刺激に、香苗は口を押さえて身もだえた。
「このままここでしてもいい?」
「えっ! 駄目っ!」
慌てる香苗の反応に、拓也が小さく笑う。
「じゃあその代わりに、もう俺に隠し事をしないって約束してくれる?」
「……うんっ約束する」
香苗は即答する。
「約束だ」
うれしそうに返して、拓也は香苗の胸を解放する。そして悪戯を成功させた少年の顔で言う。
「じゃあ、続きはベッドで」
「え?」
「ここでしなければいいんだろ? ベッドで隠し事のない香苗の反応を見せて」
男の情欲半分、揶揄い半分の声で囁かれ、香苗は目を丸くする。
「ズルい」
「それは、俺をたぶらかした香苗が悪いんじゃない」
香苗の抗議をあっさり無視して、拓也は香苗を抱き上げた。
そんな彼のずるさも愛おしいと思ってしまうのだから、やっぱり香苗の方が拓也にたぶらかされているように思う。
「こんなに好きにさせるなんてズルいです」
甘い声で抗議して、香苗は拓也に身を任せた。
宏の見舞いを終えて、自宅マンションに戻った香苗は、リビングのソファーに座る拓也に声をかけた。
「あそこにそのままにしておくわけにもいかないからな」
そう応える拓也は、ふたり分の飲み物を手にソファーに歩み寄る香苗に手を伸ばす。
香苗は彼に、手にしていたグラスを預けて隣に腰掛けた。
隣に座ると、拓也がグラスの片方を香苗に差し出す。
グラスの中は、リンゴのリキュールを炭酸で割ったものが入っていて、小さな泡が弾けていく。
拓也の方のグラスとはリキュールの濃度が違うので、色でどちらのものかすぐにわかる。といっても次の日の勤務を考慮して、どちらの分もアルコール濃度は控え目だ。
軽くでいいから、どうしても今日は乾杯をしたい。
香苗と同意見の拓也は、香苗がとなりに座ると軽くグラスを触れさせて祝福をあげる。
「よろこんでくれる人がいてよかったです」
そう言って香苗は、自分の分のグラスに口をつけた。
彩子が投げ捨てていった花束は、拓也が回収し、花好きな職員に持って帰ってもらうことで落ち着いた。
彩子が買ってきた花を持ち帰る気にはなれないが、花に罪があるわけではないので、よろこんで引き取ってくれる人がいてよかった。
感情を爆発させた彩子が立ち去った後、改めて病室で結婚の挨拶をして、石倉夫妻の祝福を受けた。
宏の体調が整ったら、改めて両家の食事会を開く予定だ。
長い間家族との交流が途絶えていた拓也が、家族との関係を再開出来たことを香苗としてもうれしく思う。
グラスをテーブルに置いた拓也が、香苗の肩に腕を回して言う。
「それで、香苗は俺になにを隠してるの?」
「え?」
質問の意味がわからず香苗が目をパチクリさせると、拓也が悲しげな表情を浮かべる。
「少し前に、昔のことは母から聞かされた」
その言葉に、香苗は息を飲む。
「そんな……」
傷付くだけだから拓也が事実を知る必要はないと思っていたのに。
上手く説明できない罪悪感に表情を曇らせる香苗の頬に、拓也がそっと手を触れさせた。
「俺を気遣って、そのことは黙っておくように母に頼んでくれたそうだね。ありがとう。でも俺としては、優しい嘘で守られるより、香苗にどんな本音をぶつけられても動じない男になりたいと思っている」
「私は拓也さんのことを、誰よりも頼りにしているわ。ただ、それはもう終わった話だから、今さら拓也さんが知る必要はないと思っただけ」
その言葉に嘘はない。
拓也のことは、医師としても人間としても尊敬しているし、誰よりも信頼している。
それに無事再会を果たした今、あの時の別れは、自分たちの未来のために必要な試練だったと本気で考えているので、今さら掘り返す必要がないと判断しただけだ。
グラスをテーブルに預け、香苗が真剣な表情で説明した。
「そう? 香苗は俺のことを頼りにしてくれている?」
「もちろん」
拓也の言葉に、香苗は力強く頷く。
「そうよかった」
「じゃあ、周囲の祝福を受けて俺たちの縁談が進む中、香苗が時々浮かない表情を見せるのは何故?」
拓也が言う。
「え?」
香苗は息を呑む。
そんな香苗の首筋に拓也が困ったような顔をする。
「やっぱり、なにか悩んでいるんだね。それは俺に言えないこと? 俺との結婚が嫌になった」
「まさか、そんな……」
驚く香苗の首筋に、拓也は顔を埋めて言う。
「あの日の真実を聞かされてからずっと、優しい香苗の本音を見落とさないよう気をつけてきた。そんな俺が、香苗が悩んでいることに気付かないわけないだろ」
彼の声音に香苗を攻める気配は微塵もない。
ただ純粋に、香苗に頼ってもらえない自分をふがいなく思っていることだけが伝わってくる。
「拓也さん……」
彼にそんな思いをさせたいわけじゃない。
香苗が罪悪感に胸を痛めていると、拓也が「じゃあ、なにが不安なのかきかせて」と言う。
「それは……」
ここは一瞬言い淀む。
もちろん香苗だって、彼との結婚を心待ちにしている。
どんな理由があっても、二度と彼と離れるなんて考えられない。
だからこそ、ずっと言葉に出来ずにいた思いがあるのだ。
でもそうすることで、彼にこんな不安な顔をさせてしまうのなら、全てを打ち明けてしまったほうがいい。
そう覚悟を決めて、香苗は自分の胸に燻っていた思いを口にする。
「拓也さんは本当に、私と結婚して、九重総合医療センターの後継者になって後悔しませんか?」
絞り出すような香苗の声に、拓也が顔を上げた。
香苗は、そんな彼の顔をまっすぐに見つめて続ける。
「大きな病院の後継者となれば、周囲の態度が変わったり、変に勘ぐられて嫌なことを言われることあると思うんです」
九重総合医療センター院長のひとり娘である香苗は、長年、周囲のそういった特別扱いに辟易してきた。香苗の場合、自分の家のことなのでまだ諦めもつくが、拓也は違う。
それに拓也の学生時代からの友人である遠鐘病院の依田でさえ、ふたりの関係を聞いて『矢崎、うまくやったな』と笑っていた。
もちろん依田の場合は、気心の知れた友人としての冗談だ。だけど香苗の知らない場所では、明確な悪意を持って、それと同じようなことを拓也に言っている人がいるのではないだろうか。
「もちろんいるよ」
あれこれ悩む香苗と違い、拓也はあっけらかんと認める。
「今まで俺が現場主義を貫いていたのは、後々、九重総合医療センターに移ることが決まっていたから、面倒な人間関係を造るのを避けるためだったんだって噂されている」
「そんな……」
拓也は、ひとりでも多くの人を救いたくて奔走していただけなのに。
悔しさに唇を噛む香苗を面白がるような顔で、拓也は続ける。
「だとしても、それがなに? って、俺は思っている。救命救急の現場はいつも忙しくて、嫉妬ややっかみで腕のある医師を爪弾きにしている暇はない。ひとりでも多くの人の命を救いたくてこの仕事をしているのは、みんな同じなんだから」
そしてそうやって一生懸命処置にあたる姿を見せていれば、拓也の思いが何処にあるのか理解してもらえるから大丈夫だと言う。
迷いを感じさせない強気な口調に、香苗は胸を熱くする。
そして、そんな彼の考えを聞いてしまうと、余計に自分とこのまま結婚していいのだろうかと悩む。
「拓也さんの現場に掛ける情熱を私はよく理解しています。私と結婚することで、その現場を離れることになってもいいんですか?」
香苗はずっとそのことを心配している。
拓也が優秀だからこそ、父が彼に期待する気持ちもわかるのだが、それは彼からやり甲斐を奪うことになるのではないだろうか。
「香苗はそのことを悩んでいたの?」
拓也に問われて、香苗は素直に頷くと、彼がクスリと笑った。
「俺、香苗は俺のことをもっとよく理解してくれていると思ってたのに、残念だよ」
「え?」
香苗としては、もちろんそのつもりでいる。それなのに拓也は、違うと軽く肩をすくめて言う。
「俺が一番に大事にしたい理念は、ひとりでも多くの人の命を救うということだ」
「だから……」
「人の命を救えるのなら、それは俺じゃなくていいんだ」
「え?」
「どんな名医でも、ひとりの医師が救える人の数には限りがあるし、他者を救うためだけに優秀な医師が人生の全てを捧げるのも違うと思う。確かに今は現場にたち、多くのことを学びたいと思っているが、第一線を離れたら、後進の育成や医療スタッフの労働環境の改善に力を入れていきたいと考えている」
「そうなの?」
彼がそんなふうに考えているなんて、思ってもいなかった。
でもよく考えれば再会の切っ掛けは、拓也がJPTECプロバイダー講習の講師を務めていたことにある。
医師として忙しい彼がすすんで講師を務めていたのは、そういう思いがあったからなんだ。
今更ながらに拓也の考えを理解する。
「この先のことは、香苗のお父さんと相談して決めていくことになるのだろうけど、何処に行っても、俺がするべきことは変わらない。その時の自分に出来ることを全力で頑張っていくだけだ」
「拓也さん」
揺るがない意思を持って生きる彼の強さに、香苗の心が震える。
「じゃあ本当に、私とこのまま結婚しても後悔しない?」
香苗の質問に、拓也は「もちろん」と微笑む。
そして香苗の顎を軽く持ち上げて言う。
「その代わり、一つだけほしいものがある」
「なに?」
自分が彼に差し出せるものなら、どんなものでも喜んで差し出す。
あまり物欲を感じさせない拓也が、そんなことを言うのが珍しくて香苗が興味を示すと、拓也が言う。
「香苗を世界一幸せな花嫁にする権利」
それだけは他の誰にも譲る気はないと、強気な表情で香苗に唇を重ねる。
「うぅ……ん」
突然のキスに驚く香苗の呼吸を味わうように、拓也はねっとりと舌を動かしていく。
互いの想いを通わせるようになって今日まで、幾度も肌を重ねているけど、こういう不意打ちの行為にはまだまだ慣れない。
「その権利だけは、他の誰にも譲れない」
キスで散々香苗を翻弄した後で唇を解放した拓也が言う。
「もうとっくに、世界一幸せな結婚をさせてもらっています」
恥ずかしさから視線を逸らして応える。
色々あって婚姻届こそまだ提出していないが、気持ちとしては、自分は既に拓也の妻のつもりだ。
それも世界一幸せな花嫁だ。
「それはよかった。もともと俺としては、俺が九重総合医療センターのひとり娘をたぶらかしたんじゃなくて、魅力的な香苗が将来有望な敏腕医師をたぶらかしたと思っているんだけどな」
「たぶらかしたって……」
そんなことした覚えはない。
出会った時からずっと、香苗の方が彼に夢中なのだから。
そう説明しても、拓也は自分の意見を曲げない。
「嘘だ。俺の方が最初から香苗に惚れていた」
どちらが先に相手を好きになったのか。
そんなことを言い合いながら、お互い唇を重ねた。
最初は恥ずかしさが先に出ていた香苗も、幾度となく拓也に唇を求められていくうちに、自分からも彼の唇を求めるようになっていく。
拓也の温もりや呼吸を直に感じると、愛おしさがこみ上げて、彼なしでは生きていけないと思う。
「愛してる」
「私も」
幾度も愛の言葉を囁き、唇を重ねていると、どちらからともなくそれ以上の刺激がほしくなる。
唇を重ねて、舌を絡めて互いの吐息を味わう。
「香苗、愛している」
拓也の大きな手が、口付けに息を乱す香苗の胸の膨らみに触れる。
「拓也さんっ」
胸の膨らみに沈み込む彼の手の感触に、香苗は戸惑いの声を漏らす。
「駄目?」
拓也が甘えた声で訊く。そうしながら、香苗の首筋に顔を埋めで、舌先で肌を刺激してくる。
その聞き方はちょっとズルい。
「あっ」
香苗が思わず甘い声を上げると、拓也が耳元で「香苗のエッチ」と揶揄ってくる。その間も、彼の指は香苗の胸を揉みしだき、胸の尖りを爪で掻く。
着ている服の上からなのだけど、それでもその刺激は香苗を甘く刺激する。
「……意地悪っ」
愛する人にこんなふうに触れられて、声を抑えられるはずがない。
それでも拓也に揶揄われたのが恥ずかしくて、声を必死に堪えた。
「香苗、素直になって」
囁いて、拓也が耳朶を甘く噛む。
その刺激に、香苗は口を押さえて身もだえた。
「このままここでしてもいい?」
「えっ! 駄目っ!」
慌てる香苗の反応に、拓也が小さく笑う。
「じゃあその代わりに、もう俺に隠し事をしないって約束してくれる?」
「……うんっ約束する」
香苗は即答する。
「約束だ」
うれしそうに返して、拓也は香苗の胸を解放する。そして悪戯を成功させた少年の顔で言う。
「じゃあ、続きはベッドで」
「え?」
「ここでしなければいいんだろ? ベッドで隠し事のない香苗の反応を見せて」
男の情欲半分、揶揄い半分の声で囁かれ、香苗は目を丸くする。
「ズルい」
「それは、俺をたぶらかした香苗が悪いんじゃない」
香苗の抗議をあっさり無視して、拓也は香苗を抱き上げた。
そんな彼のずるさも愛おしいと思ってしまうのだから、やっぱり香苗の方が拓也にたぶらかされているように思う。
「こんなに好きにさせるなんてズルいです」
甘い声で抗議して、香苗は拓也に身を任せた。