冷酷元カレ救急医は契約婚という名の激愛で囲い込む
2・偶然の再会
五月の連休明け、香苗は都内にある文化センターを訪れていた。
特に遊びに行く予定もなかったのでゴールデンウィークの連続勤務を引き受けた分、連休明けにまとまった休みを与えられた。それがちょうど先日目にしたJPTECプロバイダー講習の日程と合ったので、受講を決めたのだ。
「JPTECプロバイダー講習に申し込みした九重香苗です」
受付で名前を告げると、受講者であることを証明するネームタグと、任意のアンケート用紙を渡された。
資格の失効をしていなければ、受講時間が短い更新コースを選択することもできたのだが、知識の再確認のためにも一から学び直すことに不満はない。
ネームタグを首から下げ中に入ると、会場には香苗を含めて二十人程の受講者がいて、各々、先ほど香苗が渡されたのと同じアンケートに記入している。
香苗は適当な椅子に腰掛け、アンケートに記入していく。
(名前、勤務先、医療従事者の方は勤務されている科をご記入ください……)
心の中でアンケートを読み上げながら、香苗は質問の回答を書き込んでいく。
そうやって淀みなく動いていた手が、“当講座を受講した理由”の箇所で止まる。
「理由……」
簡単なアンケートなのだから、“知識の向上”“緊急時における初期対応を学ぶため”といったもっともらしい言葉を書けばいい。
それだけのことができないのは、香苗の心の問題だ。
(あの時、私は、私を助けたせいで大ケガをした“彼”に、なにもしてあげられなかった)
周りの大人がどれだけ『子供だったのだから仕方ない』『君はなにも悪くない。これは不幸な事故だった』と言われても、その後悔を拭い去ることはできない。
それは自分が“彼”の人生を狂わせてしまったという罪悪感を拭えないからだ。
苦い過去を思い出して止まっていた手を再度動かそうとした時、入り口のドアが開き、複数人が部屋に入ってくる気配がする。
どうやら講師陣が入って来たらしい。
講習は、数人のグループに分かれて、受講生とほぼ同数の講師から細やかな指導を受けるかたちで進む。
顔を上げ、講師人の顔を確認した香苗は、その一団のひとりに目を留めて息を呑んだ。
「えっ」
驚きの声をもらしたその拍子に、力が抜けた手からペンが滑り落ちた。
カシャンッと硬い音がして床に落ちたペンは、一度大きく跳ねると、そのままコマのように回転して転がっていく。
そして引力に引き寄せられるようにして、今、この部屋に入ってきた人物の靴に当たって回転を止めた。
その人は、腰を折って、足下に転がるペンを拾い上げる。
「落としましたよ」
そう言ってペンを差し出して初めて、香苗の顔を見たのだろう。
「……香苗?」
息を呑み、驚きの表情を浮かべた彼は、吐き出す息と共に香苗の名前を口にする。
戸惑いが色濃く滲んだ声に、昔のような親しみは感じられない。
こちらを見て揺れる瞳が“どうして君がここに?”と、問い掛けている。
でもそれは香苗も同じだ。
(どうして拓也君がここに?)
今目の前にいるのは、高校時代の恋人である矢崎拓也なのだ。
医療とは関係のない道に進んだはずの彼がこの場所にいることに驚いて、思考が上手く働かない。
「矢崎先生、どうかされましたか?」
お互い言葉もなく見つめ合っていると、続いて入室してきたスタッフが声をかけてきた。
「なんでもないです」
そう答えて拓也は「どうぞ」と、香苗にペンを握らせると、他の講師と共に、正面に設置されているホワイトボードの前に並ぶ。
それを合図に、参加者たちも手の動きを止めて前を向く。
全員が前を向いたのを確認して、年配の男性がマイクを手にした。
「本日はJPTECプロバイダー講習の受講ありがとうございます。救命救急師の飯尾安次といいます」
そう自己紹介した年配の男性は、そのままの流れでJPTECプロバイダーの知識の有用性について簡潔に述べ、次の人にマイクを渡す。
救命救急師や消防士の他、看護師や医師といった医療関係者が自己紹介をしていく中、拓也にマイクが渡る。
「医師の矢崎拓也といいます。今日はよろしくお願いいたします」
自己紹介を述べる彼の声を、香苗は夢の中にいるような気持ちで聞いていた。
(医師ってどういうこと? 拓也君は、医師になりたくないって思っていたんじゃないの?)
驚き過ぎて思考が上手く追いつかず、そればかりを考えてしまう。
だって香苗は、彼が家族に『医師になどなりたくない。だけど香苗のせいでそう言い出せないでいる』『彼女と別れて、もっと楽な道を進みたい』と話したいと聞かされ、別れを決意したのだから。
そのことに驚く香苗は、そっと瞼を伏せて過去を振り返る。
特に遊びに行く予定もなかったのでゴールデンウィークの連続勤務を引き受けた分、連休明けにまとまった休みを与えられた。それがちょうど先日目にしたJPTECプロバイダー講習の日程と合ったので、受講を決めたのだ。
「JPTECプロバイダー講習に申し込みした九重香苗です」
受付で名前を告げると、受講者であることを証明するネームタグと、任意のアンケート用紙を渡された。
資格の失効をしていなければ、受講時間が短い更新コースを選択することもできたのだが、知識の再確認のためにも一から学び直すことに不満はない。
ネームタグを首から下げ中に入ると、会場には香苗を含めて二十人程の受講者がいて、各々、先ほど香苗が渡されたのと同じアンケートに記入している。
香苗は適当な椅子に腰掛け、アンケートに記入していく。
(名前、勤務先、医療従事者の方は勤務されている科をご記入ください……)
心の中でアンケートを読み上げながら、香苗は質問の回答を書き込んでいく。
そうやって淀みなく動いていた手が、“当講座を受講した理由”の箇所で止まる。
「理由……」
簡単なアンケートなのだから、“知識の向上”“緊急時における初期対応を学ぶため”といったもっともらしい言葉を書けばいい。
それだけのことができないのは、香苗の心の問題だ。
(あの時、私は、私を助けたせいで大ケガをした“彼”に、なにもしてあげられなかった)
周りの大人がどれだけ『子供だったのだから仕方ない』『君はなにも悪くない。これは不幸な事故だった』と言われても、その後悔を拭い去ることはできない。
それは自分が“彼”の人生を狂わせてしまったという罪悪感を拭えないからだ。
苦い過去を思い出して止まっていた手を再度動かそうとした時、入り口のドアが開き、複数人が部屋に入ってくる気配がする。
どうやら講師陣が入って来たらしい。
講習は、数人のグループに分かれて、受講生とほぼ同数の講師から細やかな指導を受けるかたちで進む。
顔を上げ、講師人の顔を確認した香苗は、その一団のひとりに目を留めて息を呑んだ。
「えっ」
驚きの声をもらしたその拍子に、力が抜けた手からペンが滑り落ちた。
カシャンッと硬い音がして床に落ちたペンは、一度大きく跳ねると、そのままコマのように回転して転がっていく。
そして引力に引き寄せられるようにして、今、この部屋に入ってきた人物の靴に当たって回転を止めた。
その人は、腰を折って、足下に転がるペンを拾い上げる。
「落としましたよ」
そう言ってペンを差し出して初めて、香苗の顔を見たのだろう。
「……香苗?」
息を呑み、驚きの表情を浮かべた彼は、吐き出す息と共に香苗の名前を口にする。
戸惑いが色濃く滲んだ声に、昔のような親しみは感じられない。
こちらを見て揺れる瞳が“どうして君がここに?”と、問い掛けている。
でもそれは香苗も同じだ。
(どうして拓也君がここに?)
今目の前にいるのは、高校時代の恋人である矢崎拓也なのだ。
医療とは関係のない道に進んだはずの彼がこの場所にいることに驚いて、思考が上手く働かない。
「矢崎先生、どうかされましたか?」
お互い言葉もなく見つめ合っていると、続いて入室してきたスタッフが声をかけてきた。
「なんでもないです」
そう答えて拓也は「どうぞ」と、香苗にペンを握らせると、他の講師と共に、正面に設置されているホワイトボードの前に並ぶ。
それを合図に、参加者たちも手の動きを止めて前を向く。
全員が前を向いたのを確認して、年配の男性がマイクを手にした。
「本日はJPTECプロバイダー講習の受講ありがとうございます。救命救急師の飯尾安次といいます」
そう自己紹介した年配の男性は、そのままの流れでJPTECプロバイダーの知識の有用性について簡潔に述べ、次の人にマイクを渡す。
救命救急師や消防士の他、看護師や医師といった医療関係者が自己紹介をしていく中、拓也にマイクが渡る。
「医師の矢崎拓也といいます。今日はよろしくお願いいたします」
自己紹介を述べる彼の声を、香苗は夢の中にいるような気持ちで聞いていた。
(医師ってどういうこと? 拓也君は、医師になりたくないって思っていたんじゃないの?)
驚き過ぎて思考が上手く追いつかず、そればかりを考えてしまう。
だって香苗は、彼が家族に『医師になどなりたくない。だけど香苗のせいでそう言い出せないでいる』『彼女と別れて、もっと楽な道を進みたい』と話したいと聞かされ、別れを決意したのだから。
そのことに驚く香苗は、そっと瞼を伏せて過去を振り返る。